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大井川通信

大井川あたりの事ども

都会のシロハラ 田舎のシロハラ

田舎に住むシロハラは、とても用心深い。人影を見つけた途端、一直線に飛び去ってしまう。かつて、ツグミとともに猟の対象だったなごりだろうか。

人波が絶えない都会の公園で、歩道わきで平然と餌をついばむシロハラを見て、驚いたことがある。

冬に渡って来る鳥だが、日本での生息場所の環境にも、各々適応しているのだろう。


アマチュアイズム

岡庭と吉本⑦

吉本隆明は、アカデミズムの外で独自の知を生み出して、在野の評論家一本で生活した稀な存在だった。

一方、岡庭昇も、テレビ局職員という、多忙で花形の職業をこなしながら、余技でない独立の評論活動を貫いた点で比類がない。

ハクセキレイ

歩道の脇の空き地で、妻の投げるお菓子のかけらをトコトコ走り回ってひろっていた。

河原などに住み、長い尾羽を上下に振り続ける姿から、イシタタキと呼ばれた彼ら。街中のアスファルトの上を好むのはわかるが、この人懐っこさはどこから来ているのだろう?

介護職員研修

特別支援学校の高等部を、次男がこの春卒業する。なんとか希望通りに、老人介護施設に就職できそうで、来週から、資格取得の講座に通うことになった。

下見のために、会場になる大学に通う道を夫婦と次男で歩く。短期間でも大学に通えるので、彼も気合いが入っている。

大学の正門前で、長男の大学入学の時のように、家族で記念撮影した。

 

 

罵詈雑言

岡庭と吉本⑥

吉本隆明は、論敵に対して、レッテル貼りや決めつけなどして、激しい口調で罵倒することもいとわなかった。それに拍手喝采する向きもあったようだ。

岡庭昇は、吉本の罵倒の被害者でもあったのだが、全方位に向けた「徹底粉砕」では負けていなかった。

 

宗教論

岡庭と吉本⑤

吉本隆明は、キリスト教仏教を広く論じて宗教論集成を出版しているが、90年代には、オウム真理教麻原彰晃を擁護する発言で物議をかもした。

岡庭昇は、メディア批判や社会批判の一方、創価学会を擁護する立場を明らかにし、池田大作を論じた本を執筆している。

 

ポストモダン

岡庭と吉本④

吉本隆明は、オイルショック以後の社会の変化を受けて、批評のスタンスを変更した。『マスイメージ論』で大衆文化を論じ、先進国が「超資本主義」へ入った時代を独自の視点でとらえるようになる。

同じころ、岡庭昇も狭義の文芸評論の枠組みから出て、文化批判、メディア批判へと重心を移していく。さらに『飽食の予言』では、食の問題等の現実批判へと舵を切った。

ヤドリギ

散歩の途中、遺跡公園の落葉樹の高い枝に、そこだけ丸く葉が残ったところがあるのに気づいた。直径50センチばかりの球状に黄色い葉が茂っている。

鳥の巣だろうか。後で知人が、ヤドリギだと教えてくれた。古代から神聖視され、人類学の古典『金枝篇』の金枝とは、このヤドリギのことだという。

確かに少しは目を引くが、奇妙な人工物があふれた風景の中で、それを特別なモノとみるような感性はすでに失われている気がした。

世界文学

岡庭と吉本③

吉本は、古典や詩歌から、近現代また国内外の文学を、普遍的な相で論じることができた。

岡庭昇もまた、漱石から戦後の諸作家、近現代の諸詩人だけでなく、例えばフォークナー論を一冊にまとめるなど外国文学についても、一貫した視座から論じている。

言語思想

岡庭と吉本②

吉本隆明の思想の根底には、『言語美』等で展開される、言葉や観念に対する原理的な把握があることは、よく知られている。 

一方、岡庭昇にも、「規範言語論」とも呼ぶべき、言葉と観念をめぐる本質的な理解があって、それが、詩論、文学論、メディア論等を貫いている。