大井川通信

大井川あたりの事ども

「演劇」覚書

 「例えば映画なら、ストーリーに反するような事物や撮影機材がスクリーンに映り込むことは、原則ありえないでしょう。しかし、演劇は、反ストーリー的な要素を排除できないし、むしろそういう不純物の現前が演劇の存在意義、立脚点ともいえるわけです。 演出家の岡田利規は、このことを、「役者と役柄の一致」という約束は正視に耐えない嘘だ、という言葉で説明しています。役者と役柄のズレが、むしろ面白いのだと。ところで、僕は、この事態を、記号(舞台)と意味(ストーリー)の二重性と呼びたいわけですが、映画や小説と共通の課題、つまりストーリーに何らかの中心性、求心力を持たせる必要とは別に、そこからはみ出してしまう舞台の側を秩序立てる仕掛けが必要になってきます。それがストーリーとは一見無関係でありながら舞台に存在し続け、舞台を魅力あるものにするゼロ記号の存在であり、優れた演出家は感覚的にそれを巧みに創出し、使いこなしているように思えます。例えば、ある芝居では、それは舞台に林立する竹の棒であり、役者たちは、棒の位置を自在に変えつつ、演じていきます。ゼロ記号は、役者たちが操作する特徴的な舞台装置である場合が多いのですが、もっとシンプルな舞台では、役者たちの特異な動きや発声自体がゼロ記号となって、舞台にリズムを作り、秩序を生み出すこともあります」

カササギのタクト

佐賀平野を住処とするカササギが、確か10年くらい前から、僕の家の近所でも見かけるようになり、今ではすっかり当たり前の鳥になった。ただし、黒白の扇が優雅に舞うような気品のある姿には、どこで出会っても見入ってしまう。

朝自宅の玄関の、葉が落ちてほうきになった欅の木で、カササギがしきりに枝をつついている。すると、50センチばかりの枯れ枝を一本、左右のバランス良くくわえると、住宅の屋根伝いに飛び去っていった。

カラスの恐怖

通勤では、森の峠道を走るから、タヌキが車に轢かれているのによく出くわす。そのつど、タヌキの家族のことや、魂の抜けた死体がしんと静かなことが、一瞬頭をかすめたりするが、それだけのことだ。

ところが今朝は、猫の礫死体があって、その頭の半分ほどをカラスが引きちぎって食べていた。

僕も黙って近所の里山に入って、頭でも打って命を失ったら、当たり前のようにカラスに食われるのだろうと、思わずゾッとした。

 

岡庭と吉本(再論)

どうだろうか。岡庭昇と吉本隆明は、その思想の骨格において、その批評の構えにおいて、似ているといえないだろうか。

そうでないという人は、考えてみてほしい。

詩人として出発し、影響力のある詩論を書き、ジャンルを超えて文学に精通し、その根底に独自の原理論を持っていた者。80年前後の社会の構造転換に身を挺して臨み、批評の方法や対象を大きく変え、90年代には宗教の問題を、危険地帯に身を置いて論じた者。一貫して制度化された学問の庇護の外で、自らのメディアをも組織しながら、時に罵詈雑言を交えて、言葉を繰り出し続けた者。

吉本隆明が当てはまるのに異論はないとして、岡庭昇以外、この全条件を満たす批評家、思想家を僕は思い浮かべることはできない。

吉本隆明を読む人たちは、その片言隻句をもって彼を否定することはしない。彼の誤りや欠落さえも、吉本の全思想の中に位置づけて評価するだろう。

だとしたら、岡庭昇の批評も、その言説の一部によってではなく、彼が戦後を生き抜いた思想の全体において受け取める必要があると思う。

 

80年代の初め、岡庭の読者になった僕は、多くは吉本の尻馬に乗って岡庭をたたくことをよしとする風潮にうんざりしていた。あれから30年。もう吉本支持者も老いてしまったし、岡庭を軽んずる声も消えてしまった。今ようやく、批評家同士の関係性や世間的な格付けとは無縁に、その思想そのものを冷静に検討できるようになったのかもしれない。

 

ミロク様

ヒラトモ様の鎮座する里山の中腹で、ミロク様の石の祠にお参りして、お酒を供える。

先代の住職は、年に一度お経をあげていたそうだから、おそらく仏教の弥勒菩薩と関係があって、だから村の鎮守に集められることもなく、山中に取り残されたのだろう。

祠には、安永二年(1773年)村中の文字が見える。250年前に、村をあげて祭った神の名を憶えているのは、もう集落で数人しかいない。

 

 

電柱のノスリ

バス停脇の電柱の上に、一見、電線の設備の一部みたいに白っぽい大きな鳥がじっと止まっている。尾が短くダルマのように丸い鷹、ノスリだ。以前、ダムの上空で凧のようにホバリングしたり、森の樹上に止まる姿は見ていたが、人家の近くは初めてだ。人や車をさほど気にしない様子。

ノスリは、ゆったりと羽を広げ、少し先の電柱へと移動していく。カワラヒワのような小鳥も近くの電線で平気でいる。
 

メディア戦略

岡庭と吉本⑧

吉本隆明は、雑誌「試行」を主宰するとともに、数多くの講演に出向いて、読者と直接向き合った。

岡庭昇も、雑誌「同時代批評」の編集・発行を行い、定期的な連続シンポジウムを開催した。また自著の出版を自から手がけた。

都会のシロハラ 田舎のシロハラ

田舎に住むシロハラは、とても用心深い。人影を見つけた途端、一直線に飛び去ってしまう。かつて、ツグミとともに猟の対象だったなごりだろうか。

人波が絶えない都会の公園で、歩道わきで平然と餌をついばむシロハラを見て、驚いたことがある。

冬に渡って来る鳥だが、日本での生息場所の環境にも、各々適応しているのだろう。


アマチュアイズム

岡庭と吉本⑦

吉本隆明は、アカデミズムの外で独自の知を生み出して、在野の評論家一本で生活した稀な存在だった。

一方、岡庭昇も、テレビ局職員という、多忙で花形の職業をこなしながら、余技でない独立の評論活動を貫いた点で比類がない。