大井川通信

大井川あたりの事ども

理髪店と神社

辞令交付の前日、髪が伸びているのが気になって、夕方、職場近くの「床屋」に思い切って入ってみた。髪を切られるのが苦手で、昔ながらの理髪店でそれも行きつけのところでないとだめだ。職場の地名が店名になっているのも何かの記念になるだろうと、扉を開くと、閑古鳥が鳴いていると思いきや、町はずれの店なのに意外に明るく活気がある。客が多いというわけでなく、家族が多いのだとすぐに気づいた。

髪を切るのはもう老人といっていい主人、髪を洗うのは奥さん、顔を剃るのは娘さん、奥さんと同年配の女性も手伝っていて、孫たちも遊びから帰ってくる。

腕もサービスもよく、もっと早くから来ておけばよかったと後悔した。しかし、この町で働くことはこの先ないだろう。外に出るともう薄暗い。お店の隣には神社があって、鳥居の前で、仕事を終えた娘さんが子供二人を遊ばせている。こちらに気づくと、小さく会釈してくれた。

大井炭鉱

家から歩いて10分ばかりの里山の中に、小規模な炭鉱跡があることは、10年近く以前の聞き取りで知っていた。谷に沿って山に入ると、今は小さな畑地になっているが、周囲にはボタが落ちていたり、赤水がたまっていたりして、かろうじてその痕跡をうかがうことができる。しかし、昔から知る人がいうように、すっかり当時の姿を消してしまっているようだった。

それが、ネットで久しぶりに炭鉱好きの人のブログを開いてみたら、次々と新しい坑口などの遺構を見つけていて、そのコツまでが書いてある。モデルや先達が存在する力は大きいもので、地元の小ヤマをもっと徹底して調べようという気にさせてくれた。

谷にそってさらに数十メートル斜面を上がったところの藪の陰に、ひっそりと坑口は姿を隠していた。幅は2メートル程度、奥には台形に組んだ枠も残っていて、傾斜して地中に向かっているが、底は土砂でふさがれて水が溜まっている。

閉山から60年。創業は10年に満たず、数十人の炭鉱夫が働くだけの規模だったようだが、まぎれもなくこの土地に奥深く刻み付けられた歴史である。坑口は、今開かれたばかりのように生々しかった。

 

卒業式雑感

次男の特別支援高等学校の卒業式に夫婦で出た。大学4年の長男に声をかけると意外にも、式に参加するという。そういえば、次男の中学の卒業式も、家族全員で参加したっけ。神妙に立つ次男を取り囲んで、かかわってくれた中学の先生たちが順番に声をかけてくれたことを思い出す。普通高校の卒業式となると厳格なものだが、次男の高校の卒業式は、先生の涙や謝恩会などもあって、なごやかな雰囲気だった。

今年は、二人の子どもとも学校を卒業して、社会人になる。自分のときもそうだったが、本人にとっては新生活が気がかりで、卒業式など迂遠な儀式に過ぎないかもしれない。しかし、親にとっては、自分たちの子育ての終わりを実感し、納得するための重要な区切りなのだ。

長男の大学の卒業式となると、さらにあっけないものとなるだろうが、やはり顔を出してみようと思う。僕の父親は、卒業式前日に、自分の署名に「曇天寒日大学卒業前日」と書き入れた本をプレゼントしてくれた。長男の卒業式は偶然、僕の卒業式の33年後の同じ日にあたる。長男には、どんな本を贈ることにしようか。

イワツバメ乱舞

国道の高架下の暗がりを車で通り抜けるとき、ツバメの群れが自由自在に飛び回る姿が目に止まった。

近くでみたら、腰に白い帯が目立って、尾羽の短いイワツバメだろう。

彼らの巣は、川をまたぐコンクリート橋梁の下面でよく見かける。

本家のツバメより数週間早く、春の訪れを告げていた。

 

 

 

 

 

 

「演劇」覚書

 「例えば映画なら、ストーリーに反するような事物や撮影機材がスクリーンに映り込むことは、原則ありえないでしょう。しかし、演劇は、反ストーリー的な要素を排除できないし、むしろそういう不純物の現前が演劇の存在意義、立脚点ともいえるわけです。 演出家の岡田利規は、このことを、「役者と役柄の一致」という約束は正視に耐えない嘘だ、という言葉で説明しています。役者と役柄のズレが、むしろ面白いのだと。ところで、僕は、この事態を、記号(舞台)と意味(ストーリー)の二重性と呼びたいわけですが、映画や小説と共通の課題、つまりストーリーに何らかの中心性、求心力を持たせる必要とは別に、そこからはみ出してしまう舞台の側を秩序立てる仕掛けが必要になってきます。それがストーリーとは一見無関係でありながら舞台に存在し続け、舞台を魅力あるものにするゼロ記号の存在であり、優れた演出家は感覚的にそれを巧みに創出し、使いこなしているように思えます。例えば、ある芝居では、それは舞台に林立する竹の棒であり、役者たちは、棒の位置を自在に変えつつ、演じていきます。ゼロ記号は、役者たちが操作する特徴的な舞台装置である場合が多いのですが、もっとシンプルな舞台では、役者たちの特異な動きや発声自体がゼロ記号となって、舞台にリズムを作り、秩序を生み出すこともあります」

カササギのタクト

佐賀平野を住処とするカササギが、確か10年くらい前から、僕の家の近所でも見かけるようになり、今ではすっかり当たり前の鳥になった。ただし、黒白の扇が優雅に舞うような気品のある姿には、どこで出会っても見入ってしまう。

朝自宅の玄関の、葉が落ちてほうきになった欅の木で、カササギがしきりに枝をつついている。すると、50センチばかりの枯れ枝を一本、左右のバランス良くくわえると、住宅の屋根伝いに飛び去っていった。

カラスの恐怖

通勤では、森の峠道を走るから、タヌキが車に轢かれているのによく出くわす。そのつど、タヌキの家族のことや、魂の抜けた死体がしんと静かなことが、一瞬頭をかすめたりするが、それだけのことだ。

ところが今朝は、猫の礫死体があって、その頭の半分ほどをカラスが引きちぎって食べていた。

僕も黙って近所の里山に入って、頭でも打って命を失ったら、当たり前のようにカラスに食われるのだろうと、思わずゾッとした。

 

岡庭と吉本(再論)

どうだろうか。岡庭昇と吉本隆明は、その思想の骨格において、その批評の構えにおいて、似ているといえないだろうか。

そうでないという人は、考えてみてほしい。

詩人として出発し、影響力のある詩論を書き、ジャンルを超えて文学に精通し、その根底に独自の原理論を持っていた者。80年前後の社会の構造転換に身を挺して臨み、批評の方法や対象を大きく変え、90年代には宗教の問題を、危険地帯に身を置いて論じた者。一貫して制度化された学問の庇護の外で、自らのメディアをも組織しながら、時に罵詈雑言を交えて、言葉を繰り出し続けた者。

吉本隆明が当てはまるのに異論はないとして、岡庭昇以外、この全条件を満たす批評家、思想家を僕は思い浮かべることはできない。

吉本隆明を読む人たちは、その片言隻句をもって彼を否定することはしない。彼の誤りや欠落さえも、吉本の全思想の中に位置づけて評価するだろう。

だとしたら、岡庭昇の批評も、その言説の一部によってではなく、彼が戦後を生き抜いた思想の全体において受け取める必要があると思う。

 

80年代の初め、岡庭の読者になった僕は、多くは吉本の尻馬に乗って岡庭をたたくことをよしとする風潮にうんざりしていた。あれから30年。もう吉本支持者も老いてしまったし、岡庭を軽んずる声も消えてしまった。今ようやく、批評家同士の関係性や世間的な格付けとは無縁に、その思想そのものを冷静に検討できるようになったのかもしれない。

 

ミロク様

ヒラトモ様の鎮座する里山の中腹で、ミロク様の石の祠にお参りして、お酒を供える。

先代の住職は、年に一度お経をあげていたそうだから、おそらく仏教の弥勒菩薩と関係があって、だから村の鎮守に集められることもなく、山中に取り残されたのだろう。

祠には、安永二年(1773年)村中の文字が見える。250年前に、村をあげて祭った神の名を憶えているのは、もう集落で数人しかいない。

 

 

電柱のノスリ

バス停脇の電柱の上に、一見、電線の設備の一部みたいに白っぽい大きな鳥がじっと止まっている。尾が短くダルマのように丸い鷹、ノスリだ。以前、ダムの上空で凧のようにホバリングしたり、森の樹上に止まる姿は見ていたが、人家の近くは初めてだ。人や車をさほど気にしない様子。

ノスリは、ゆったりと羽を広げ、少し先の電柱へと移動していく。カワラヒワのような小鳥も近くの電線で平気でいる。