大井川通信

大井川あたりの事ども

闖入者ミソサザイ

芭蕉の門人に野沢凡兆(1640-1714)という人がいる。才能豊かだったが、師を離れ不幸な晩年を送ったらしい。学生の頃、凡兆が気になって、大学図書館から戦前出版された全句集を借り出したことがある。その時全頁をコピーして紐で閉じたものが手元に残っていて、今でも何句かは暗唱することができる。そのうちの一句。

「身ひとつを里に来鳴くかみそさざい」

ミソサザイを実際に見たのは、この土地で鳥見を始めてからだ。渓流が近い林の斜面の藪のなかで、チッチッと短く鳴きながら移動する。単独で生活し、早春には、平地の里でも美しいさえずりが聞くことができる。そういう生態を、凡兆がよくとらえているのに気づいた。

今朝も氷点下の冷え込みで、林に囲まれた職場の建物に、「身ひとつ」で小鳥が紛れ込んできた。スズメよりずっと小さい。全身こげ茶色で、細かいまだら模様が見える。眉がやや白いところまで、間近く観察できたのだが、すぐにミソサザイと気づかなかったのは、短い尾をくの字に立てる得意のポーズが見られなかったためだ。やはり、明るい会議室では勝手が違ってとまどったのだろう。やがて窓から、凍てつく林に帰っていった。

「積極奇異」でいこう

僕は、人間の問題の大枠は、岸田秀の唯幻論で理解できると固く信じているので、「発達障害」についても、こんな風に思ってきた。

人間は本能の壊れた動物である。壊れた本能の代わりに、擬似本能として文化や自我をでっち上げて、なんとか種の存続を図ってきた。しかし偽物の本能だから、本物のように精妙には働かず、過剰や過少に傾きがちだし、故障しがちだ。

前近代までは、文化が本能の代わりをする割合が大きかっただろう。近代からさらにポスト近代に移行するとともに、文化の規制力が弱まって、個々の自我に任せられる場面が大きくなってくる。近年になって、発達障害が取りざたされるようになったのは、もともと不完全な代替本能である自我に負担がかかりすぎて、その失調が目立つようになったためだろう。メンタルヘルスとか、心のケアが、叫ばれるのも同じ理由だ。

もともと壊れ物であり、欠陥品である自我は、どれも「発達障害」的な傾向を持っているはずだ。診断が難しかったり、特徴に濃淡があったりするといわれるのは、そのせいだろう。ほころびが表に出るのは、程度の差にすぎないのだ。

そんなわけでさほど関心がなかったのだが、先日専門家から解説を聞く機会があった。そこで「積極奇異型」という社会性の障害のくくりがあることを知って、上手いことを言うなあ、と感心した。

僕は子どもの頃から、人間関係、特に多人数の中での関係が苦手だった。社会人を何十年もやってきた今でも、グループでの振舞いがよくわからないし、苦痛だったり、退屈だったりする。かといって、孤立して無口でいるというより、むしろ積極的に奇異な振舞いに打って出ることが多い。今でも、酒の力を借りることなく、場違いな羽目の外し方をしたり、つい自分の関心事をとうとうと語ってしまうこともある。そういう自分を手なずけて、まるめこんで、なんとかやってきたのが正直なところだ。

長い間、人間関係で失敗し苦しんできた人が、発達障害の診断を受けて楽になったという話を聞くことがある。僕の場合は、それと同列に語ったら申し訳ない気がするが、それでも具体的に言葉を与えられること、言葉の力で肯定されることは小さくないと実感する。

積極奇異。いいじゃないか。積極奇異でいこう。

 

ゴーゴリ『死せる魂』を読む(その2)

第1部は、完成されて1842年に出版されたものだ。一方、第2部は、1852年の死の直前にゴーゴリが自ら原稿を焼却してしまったため、残った草稿やノートから復元したもので、分量も1部の半分程度である。未完だし、欠落や粗略も目立つ。しかし、通読して2部の方が断然面白かった。

1部は、地主訪問という同じパターンの繰り返しで、単調になりがちだ。ゴーゴリは、人物に焦点を当てた緻密な戯画は得意だが、人々の関係や集団を描いて、ストーリーを展開させるのは苦手ようで、NN市でのチチコフの騒動のかんじんな顛末は、およそラフなスケッチにしかなっていない。謎の訪問者による町のお偉方のドタバタ劇なら、戯曲『検察官』の方が、ずっとスピード感があって面白い。

2部になると、単純なカリカチュアではない、内面に苦悩や確信をもった人物も登場し、ストーリーも動き始める。ややぎこちないが、チチコフの内面の転換の兆しも描かれる。キーマンである地主コスタンジョーグロが語る言葉も、ロシアの近代化に対する批判として地に足がついたものだ。彼は、農業を中心に、自然の営みと調和した領地経営で豊かな富を生み出している。死んだ農奴をかき集めて一儲けをたくらむチチコフに対して、死せる魂ではなく自分の生きた魂について考えよ、と忠告する賢者ムラーゾフの言葉は全編のモチーフを象徴して、力強い。

しかし、何よりこの長編の魅力は、ときに羽目を外すほど奔放な語り手の存在だと思う。ここでは作者の本音が存分に語られていると見ていいだろう。役人をはじめとする人々の滑稽な権威主義は、完膚なきまでにたたかれる。少年時代に訪れた見知らぬ土地での、様々な風物や人々の暮らしへと飛翔するロマンティックな想像力は、作家の視線の原型を物語っているようだ。ロシアの大地を駆け抜ける馬車からの風景の魅力を語る文章には、作者のうっとりと夢見心地の気分が乗り移っている。

ゴーゴリのさまざまな作品を貫く美質は、時代や文化の違いがあるにもかかわらず、どの一行にも不可解さ、不透明さが感じられずに、生の臨場感がみなぎっていることだ。だから、時空を超えて自在に「笑い」すら操ることができる。もちろん、翻訳の良さもあるだろうが、それだけではない。ゴーゴリは作品を知人に向かって朗読で発表していたそうだが、目の前の人に口頭で伝えることを目指して彫琢された文章に、その理由があるのではないか。

最後に。岩波文庫版のロシア風の挿絵が楽しく、また理解の助けとなった。ロシア風と勝手に判断するのは、子どもの頃愛読したソ連の科学入門書の魅力的な挿画に似ているので。

ゴーゴリ『死せる魂』を読む

子どもの頃から、ニコライ・ゴーゴリ(1809-1852)が好きだった。なんで好きになったのか、もう覚えていない。隣のいとこの家にあった少年少女世界文学全集で『外套』を読んだためかもしれない。唯一の好きな外国文学の作家で、それでロシア文学の勉強をしたいとあこがれた時期もあった。建築学を学びたいと思ったりもしたが、結局法学部でお茶をにごすことに。

読書会で、ゴーゴリの短編が課題図書になった。ありがたい。これを機会に主著の長編『死せる魂』を読んでみようと思い立ち、ついに読み切った。実は主著すら読んでいなかった、というおそまつな事実はさておいて、達成感と充実感は半端ではない。子どもの頃、自動車の図鑑に首っ引きとなり、いつかはポルシェに乗りたいと夢想して、ついに手に入れた時のような感激だ。僕がポルシェを手にする見込みは現実的にはゼロだが、生涯のうちに『死せる魂』を通読する可能性も、こんな僥倖に恵まれなければほぼゼロだったろうから、実現した喜びは、おそらく同じようなものだ。いくら名作でも『カラマーゾフの兄弟』や『明暗』に縁はなくても、やはり僕は『死せる魂』だけは読むべき運命にあったのだろうか。

以下、再読のためのメモ

第1部 【1章】チチコフ、ロシア北部のNN市に到着。県知事ら表敬。夜会に出席。【2章】地主マニーロフ訪問。お目でたい善人。友情をいつわり死んだ農奴の購入成功。【3章】未亡人コロボーチカ邸に偶然訪問。因業な老婆を脅して取引成功。【4章】地主ノズドーリョフに出会う。ばくち好きでほら吹き。暴行され逃げ出して、取引不成功。【5章】地主ソバケーヴィッチ訪問。熊なみの大男でしまり屋。取引成功。【6章】地主プリューシキンのゴミ屋敷訪問。けちんぼの廃老人。取引成功。【7章】裁判所での農奴取引の登記手続。チチコフ大金持のウワサ広まる。【8章】舞踏会でチチコフに心酔する市の人々と婦人たち。【9章】一転、チチコフのゴシップ広まる。死んだ農奴購入し、知事令嬢誘拐か。【10章】役人たちの動揺。傷痍軍人の挿話。検事の死。【11章】チチコフ、NN市から逃走。チチコフの履歴。死農奴購入の理由。

第2部 【1章】ロシア南部の地主テンテートニコフ。理想に破れのらくら暮らす。チチコフ訪問し、逗留。【2章】テンテートニコフとの和解の仲介で、ベトリーシチェフ将軍訪問。豪放磊落な性格で、取引成功。【3章】チチコフ、将軍の依頼で親戚訪問。地主ペトゥーフを誤って訪問。気前のいい巨漢。隣家の地主プラトーフと出会い、旅の同伴を約束。将軍の親戚コシカリョーフ大佐訪問。委員会かぶれで、取引不成功。プラトーフの義兄の地主コスタンジョーグロに紹介され、農業中心の勤勉で大胆な経営にチチコフ感銘を受ける。【4章】コスタンジョーグロの薦めと助力で、地主フロブーエフの荒れた所領をチチコフ買い取る。一方、フロブーエフの金持ちのおばハナサーロフの遺書の偽造にチチコフが関与。【・・章】遺書の偽造や死んだ農奴の購入等のチチコフの悪事が露見。公爵による裁きを前に絶体絶命。人格者ムラーゾフに助力を請い、死んだ農奴(財産)でなく生きた魂(精神的富)を求めよと忠告受けるが・・。(未完) 

 

 

『「助けて」と言おう』 奥田知志 2012

著者はホームレス支援を長く続けている牧師。少し前なら、むしろ学生の政治団体SEALsの奥田愛基の父親として、知られていたのかもしれない。地元では昔から有名な人だから、軽い気持ちで、シンポジウムでの講演を聞きに出かけてみた。

最近になって、少し視野をひろげて周囲にかかわるように努めてきた。そうすると、自分よりずっと若い世代の仕事ぶりや社会へのかかわり方に目を開かされることが多かった。彼らは、大げさな社会批判の身振りを見せたり、理念を語ったりしない。しかし、素直に他者や社会につながり、それらの関係を気持ちよくしたい、という感性や思いを持っている。無理に敵をつくらず、自分のやりたいことを、やりたい仲間とひろげていく。仕事や、住む場所についても身軽で、自分の財産や、市場やネットなど既存の仕組みを抵抗なく使いこなす。彼らの姿は、正直、とてもまぶしかったりする。

鈍感な自分が仕事や子育てにかまけている間に、世界はずいぶんかわってしまったんだな、と思う。もちろん、世の中の大きな潮流が厳しい方向に向かっていることも事実だろう。しかし、それに向き合う人々の流儀も、確実に更新されているのだ。

奥田さんは、僕よりほんの少し若い人だが、旧世代に属している。キリスト者として「いのちに意味がある」という理念のもとに、ホームレス支援の徹底した実践を重ねてきた。一人一人との出会いや出来事の意味を真剣に問い続けて、社会に蔓延する自己責任論をしりぞけ、弱い者、傷ついた者、罪ある者同志の共生を求めている。

気さくな風貌の奥田さんだが、その話には圧倒的な迫力があった。手法は、若い世代を先取りするような地道さやていねいさをもっているけれど、背後にある意志や覚悟の重みはやはり異質だろう。たしかに奥田さんがいうとおり、この30年の間に、生産性や効率が絶対の正義にのし上がり、「一人の命は地球より重い」という言葉はすっかり死語になってしまった。それにあらがうためには、柔らかな良心や感性のさらに奥に、歯止めとなる明確な理念の存在と、それを担う意志を持った人間の存在はやはり不可欠なのかもしれない。

講演のあと、教会での話をまとめたこの本を購入した。奥田さんは手慣れた仕草で、「絆は傷を含む」という言葉を書き加える。思わず握手を求めると、笑顔で応じてくれた。

記事が消えた

夜中、ようやく一本の文章を仕上げる。漠然としたアイデアを、なんとかうまく文章に落とし込めた気がする。満足して保存のボタンを押したのだが、家のWi-Fiの調子が悪くて、サーバーとつながらない、と表示がでた。ジタバタしたのだが、結局、せっかくの文章が影も形もなくなってしまった。

困った。今なら、なんとか再現できるだろうが、これから作業をするのはつらいし、明日の勤務に差し支える。同じようなものならまた書けるかもしれないが、手塩にかけた我が子のような文章の微妙なアヤが、永遠に失われてしまうのは残念だ、と夜中なので変なことに思いつめる。ふと、スマホのボイスメモに録音しておけばいいじゃないか、とひらめいた。音声で入れる作業なら、5分もあればできるだろう。

これはいい思い付きで、すらすら作業がすすみ、念のため録音を確認してみることにした。正直、これは気がすすまなかった。録画や録音で見たり聞いたりする自分の姿や声に違和感を抱くのはよく聞く話だが、僕もまた自分の声は好きでないし、なにか生理的に受けない。6年前の演劇ワークショップの成果物のDVDでさえ、一度も見ていないのだ。

ところが、である。あれ、こいつ、なかなかいい声だし、話し方も悪くないな、と最後まで聞きほれてしまった。これはさすがに経験を積んで、発声や話法に磨きがかかってきたためだろうか。そう考えたいのはやまやまだが、おそらくこれも老化による変化の一つなのだと思う。それもかなり危機的な。

外部に対象化された自分の姿に他者の影を見出してとまどうというのは、とても微妙な感受性だと思う。その感覚が、自分可愛さのナルシシズムにすっかり飲み込まれてしまったようなのだ。相手の気持ちが読めなくなり、一方的に自分の話をしてしまうお年寄りみたいなものだ。まあ、それはそれで、本人(僕)にとっては幸せなことなのだろうけど。

衰えたこと、できなくなったことの自覚は、残念ながら避けられない。しかし、まだできることを足場にして、いまだできていないことへ向けて、しばらくは前にすすんでいきたいと思う。

 

【追記】後日、記事を書こうと録音をあらためて聞くと、声にはいつもの違和感、話し方も気持ち悪く、内容も大したことがなかった。なぜか深夜にはナルシストとなり、気恥ずかしい文章を平気で書いてしまうという例の現象の影響だったと判明。ちょっと安心した。

ある演出家の蹉跌

昨年末、ある演出家のセクハラの話が、ネットニュースで大きく取り上げられた。ネット上でのセクハラ告発が評判になっているさなか、ハリウッドの大物プロデューサーの事件の日本版みたいな扱いも受けたようだ。

演出家市原幹也さんは、僕が6年前、地域密着型の演劇ワークショップに参加していたとき、その地域の商店街にある小さな劇場で芸術監督をやっていた。銀行の古い空き店舗を使った、粗削りの魅力がある空間で、柿喰う客やOrt-dd(シアターオルト)や東京デスロックなどの劇団の、衝撃的に面白い舞台を体験した。僕がおくればせながら演劇の魅力を知ったのは、この劇場のおかげだと言っていい。彼は入り口で物静かに立っている印象があるが、劇場の企画や運営はとても優れたものだったと思う。

当時、衰退する地元商店街に積極的にかかわることもしていて、商店街を舞台に彼の劇団の芝居をしたり、劇場に地元の小学生を出入りさせて、公演も無料で見せていたと思う。僕は、彼が商店街を歩き回りながら、各店舗で詩を朗読するという企画に参加したことがあるが、それは何が面白いのかよくわからないものだった。やがて彼は、その地域を離れて、地域とかかわる演劇という方法論をもって、活躍の舞台を広げていったようだ。

地域とかかわる、ということが、時代の要請もあってクローズアップされているのは確かだろう。しかし、僕は、彼の活動のその部分には特に魅力は感じなかった。彼の実家が商店で商店街に特別な思い入れがある、というインタビュー記事を読んだ記憶がある。人や地域とかかわりたい、というのは彼個人の欲望から生じていたことだろう。それを演劇や街づくりという平面で切り取って、プラスの面だけで評価するというのは事の反面にすぎない。

しょせん人間の欲望から始まることには、光と闇がある。その光と闇をまるごと抱え込むのが、演劇という芸術のはずだ。彼の方法論は、この闇の部分を繰り込むことができずに、それをセクハラという粗野な形で放任してしまったのかもしれない。

 

ほんとうの話 /うその話

僕は、若いころから、批評が好きだった。小説は、意識して読もうと思わない限り、手に取ることはない。ただ、世間では、本好きな人といえば、小説を楽しむ人が大部分だろう。しかし、小説好きでも、自分で小説を書いてみようという人は、それほど多くない気がする。

以前、わけがあって小説もどきを一つだけ書いたことがある。そもそも小説をあまり読まないのだから、とても苦労した。しかしなんとか書き上げたのは、小説を書くコツ、というか、それがどういう行為なのかに気づいたからだ。

まず、情景描写。しかしそんな場所も景色も本当はどこにもないのだ。キャラクター。しかし、そんな人間は本当はどこにもいない。そんないない人間同士が、実際にはありえない関係をもち、ありえない事件を起こして・・・。本当ではないことを、世間では嘘という。すると、小説は一行一行がすべて嘘であり、小説を書くためには、とめどもなく嘘をつき続ける必要がある。

ところが、人は嘘をついたらいけない、と教えられて育っている。嘘をつくことへの心理的抵抗感は、想像以上に大きい。しかし、この抵抗感を解除しない限り、一行だって物語は進まない。だから、小説を書くためには、嘘はいけないという身体に深くしみ込んだ規範をかなぐり捨てる必要がある。そこに開き直りさえすれば、自分の体験でいえば、つぎからつぎへと嘘が飛び出してくるし、むしろそれがタブー破りの快感となっていく。

一方、批評は、ほんとうを目指す行為だ。こんな小文だって、批評の片割れだから、自分のなかの本当をさぐって、自分にとって嘘でない、というものを見つけないと、一行だって書くことはできない。

こんな風に考えると、同じく言葉のかたまりといっても、小説と批評とでは、その入り口というか、言葉に向き合う態度が全く正反対であることに気付く。それは、自分が実際に書く時には顕著だが、読む立場になると、ある程度あいまいになってしまう。しかし、このあいまいさが、本や言葉をめぐる誤解やあつれきを、時に引き起こしているようにも思える。それは、本当と嘘という、人間にとって死命を決するような重大な差異をないがしろにしてしまうわけだから。

ゲンゴロウの狡知

ほとんどの水生昆虫は、空気中から酸素をとりいれて呼吸している。水中に身をひそめているゲンゴロウも、頻繁に水面に上がってきて、素早くおしりを水面に突き出し「息つぎ」の仕草を見せる。

面白いのは、空気をため込む場所である。固い前羽と背中の間にすき間があり、そこをボンベのようにして空気を持ち運んでいる。さらに彼らは水中で、おしりに空気の泡を一つ付けていることがある。これがなかなか愛らしいのだが、実はこの泡も呼吸に関係があるらしい。泡の壁が、わずかながら水中の酸素を取り込み、逆に二酸化炭素を外に出す働きをしているそうだ。

大井川周辺の田んぼで、ハイイロゲンゴロウよりも普通にみられる水中の甲虫は、これも1センチばかりのヒメガムシだ。真っ黒な身体で、ゲンゴロウに似てはいるが泳ぎが下手でもたもたしている。一瞬ゲンゴロウかと勘違いして、すぐにがっかりすることをだいぶ繰り返してきた。以前は一回り大きいコガムシの姿を見ることもできたが、今はどうだろうか。ガムシの仲間は、おしりではなく、頭部を水面に出して、平らな腹部の側に空気の泡をためこみ、それで水中で呼吸をしている。だから水中でヒメガムシのお腹をみると、空気の層が銀色に光ってきれいなのだ。

この辺りでは見ることはできないが、タガメタイコウチなどのカメムシの仲間の水生昆虫は、おしりに呼吸管を持ち、それをシュノーケルのように突き出して呼吸をする。もともと陸上で暮らしていた昆虫が、それぞれ気が遠くなるような時間をかけて、独自に工夫を重ねてきた結果なのだろう。そうして、力の強い者も弱い者も、泳ぎの上手い者も下手な者も、小さな田んぼの水中でともに生きていることの不思議さ。

 

「冬の盆」から6年

その演劇ワークショップに申し込んだのは、ちょっとした気まぐれだった。しかし偶然が重なり、2年越しの参加となって、実際の小劇場の舞台に立つことになる。それがちょうど6年前。

公立劇場の先進的な取組に、多田淳之介という優れた演出家が力をふるった企画で、今思えば、本当に得難い体験をしたと思う。ある地域の高齢者の方が半分、公募による広い年齢層のほぼ素人が半分で、市民センターを舞台に連続ワークショップを実施した。参加者が一緒に地域を歩いて地域をネタに芝居を作り、演出家のアイデアを加えて、二日間の劇場公演を行った。新聞の劇評にも取り上げられ、後日報告書のための参加者座談会に出たりもした。

多田さんには公演直前、自分なりの「伸びしろ」を見せたいと話した記憶がある。振り返ると、このワークショップから受け取ったものが多いことに驚く。その後の「伸びしろ」をメモしてみよう。

《演劇》  観劇の習慣がつき、あれこれ考える手段となる。昨年自分主催の勉強会では、自作の寸劇を一緒に演じてもらいつつ、演劇論の報告をした。

《教育》  教師たちと議論する上で、多人数が同一空間を共有する事態そのものを注視する多田演出の経験は、とても大きかった。それが教室の原点であるにもかかわらず、意外に等閑視されてきたから。

《地域》  地域との泥臭い関わりは、地元の組長、自治会長を引き受ける事で体験。公民館での敬老祝いの会では、役員たちと芝居の出し物をした。役員にたまたま演劇関係者がいたので、小規模ながら殺陣の稽古も演出も本格的。寸劇「歯磨き侍」の主役を務めた。

《虚構》  地元のお年寄りから昔の話を聞き取りして、それをもとに手作り絵本を作り、ご本人に手渡すことを細々続けている。「ひらとも様」や「大井はじまった山伏」などを描く。虚構を介して地域に関わる独自の方法論。

《模索》  地元に対してたえず新鮮な目線で関わる体験は、大井川歩きで継続中。現在は、建築系のまちづくりワークショップに参加して刺激をえている。