大井川通信

大井川あたりの事ども

「なべやきうどん」の味

僕の実家では、今のように外食をする機会はほとんどなかった。時代は高度成長期で、まだ国民の多くは清貧な暮らしにとどまっていて、消費社会なんてものが成立する前だった。

その分、これも多くあったわけではないが、家で食事の準備ができなかったときに、出前を頼むことがあった。てんやもの(店屋物と書くと今回初めて知った)なんて言葉が耳になじんでいるが、それは飲食店から出前で取り寄せるときに使っていたと思う。

出前を取るとき、ぜいたくなメニューの筆頭が「なべやきうどん」だった。もっとも、自分が実際に鍋焼きうどんを注文したり、その美味しさを味わったりした記憶があるわけではない。戦中派の両親にとって、鍋焼きうどんは、ぜいたくであこがれの食べ物だったはずだ。両親の会話を聞きながら、そのメニューへの高級なイメージが形づくられたのだろう。

たぶん、大人になってから、実際に鍋焼きうどんを食べる機会は何度もあったと思う。鍋焼きうどんと銘打たなくとも、つまりは「煮込みうどん」のことなのだから。そして、おそらく食べながら、特にうまいともまずいとも思ってなかったはずだ。

そんなわけで、僕の中で、永遠に味わいそこねてしまった幻のメニューとして「なべやきうどん」の価値が揺らぐことはない。

 

 

 

僕たちの「リロケーションギャップ」

僕の姉は、20代で実家を出てから、30年以上毎週のように実家に通い続けた。特に両親が老いて病身になってからは、彼らの支えになっていたし、二年前に母親が家を出たあとも、毎週末、家の管理をしに出向いていた。

母親が亡くなって、空き家になった自宅をどうするかが問題になって、一時は取り壊す話になったのだが、最終的に従兄にゆずって活用してもらうことになった。僕の知り合いの行政書士の方に書類や手続きに段取りをつけてもらって、昨年末に従兄に家を引き渡すことができた。

取り壊すとなると工事や費用の問題がでてくるし、十分使える家を壊すのもしのびない。従兄に使ってもらうのは母親の意向でもあったし、考えられる限りのベストの選択だろう。姉もいい方向で区切りがついてほっとしたと喜んでいた。

ところが、年があけて姉に会うと、この決断がかなり身体に応えたようで、がっくりとして十年ぶりに風邪をひいてしまったという。姉は40年間勤めた企業を昨年3月に退職したが、その時よりもショックは大きいそうだ。

この姉の気持ちは僕にもよくわかった。僕は実家を出てから30年間、多くても年に数回実家に戻る程度だったから、姉とは実家への思いは比較にならないだろう。しかし、実際に自分が生まれ(当時は病院ではなく産婆さんによる自宅での出産だった)家族との日々を刻んできた家を「手放す」ことは、何か自分の中の大切なものを引き抜かれてしまうようにも思えたのだ。

姉の話を聞いたあと、僕はこんな夢をみた。

ひとりで国立の実家の方へふらふらと歩いている。夜中過ぎだった。従兄の家の脇を抜けて、気づくと僕はすでに実家の中に入り込んでいた。鍵がかかっていなかったのだ。実際の実家とは違い、中は広い土間のようになっていて、小さな照明がぼんやりあたりを照らしている。ふすまの向こうには誰かいるかもしれない。そうっと開けると、暗がりの向こうには幸い人の気配はなかった。こんなところを見つけられたら、無断で立ち入ったことをどう言い訳したらいのか。僕はあわてて外にでて、扉をしめた。逃れるように家を離れたあとで、自分が手ぶらであることに気づく。もしかしたら部屋にカバンを忘れたのかもしれない。しかし確認にもう一度戻るのも嫌だ。どうしようかと逡巡しているときに目が覚めた。

 

 

ハヤブサを見た

昼休み、河口付近の商業施設にお昼ごはんを食べに行く。すぐ頭の上の空を、二羽の鳥がもつれながら飛んでいく。カラスか何かがじゃれているのかと、反射的に思った。

しかし、川の向こうに逃れていった一羽はハトで、取り逃がした方の一羽は、今度は急転回して、川の水面に休むカモの群れに向って突っ込んでいく。カモがいっせいに飛び立って、ここでも獲物にありつけなかったハンターは、道路わきの鉄塔の頂上にとまった。

タカなのはまちがいない。オオタカハイタカだろう。手元には小型の双眼鏡がある。タカの顔には、目のまわりから頬にかけて黒い大きなくま取りが目立つ。まさか、あの鳥では、と思いつつ観察を続ける。

のどは白く、首の回りも白い。胸から腹にかけて、横じまの短い線が細かく入っている。下から見上げる身体は、ずん胴で丸みをおびている。あわててネットで画像を検索して、確信した。そう、ハヤブサだ。

ハヤブサは、大分県の姫島で断崖にいる姿を一度だけ見たことがある。しかし、こんな身近な場所で出会うことができるとは。毎週末買い物に来ている店の前だ。

ハヤブサは鉄塔から飛び立つと、上空を大きく旋回して、今度は狩りをせずに林の方に消えていった。細長い翼の先がとがっているというハヤブサの特徴を、こんどはしっかり確認できた。

やはり空の王者の風格がある。この辺りはミサゴの狩場だが、魚だけをねらうミサゴの姿をみて小鳥たちがざわつくことはない。高速の空中戦で平然と同族をおそうハヤブサの非情さは際立っている。

ハヤブサを見たのだ。信じられない思いをかみしめながら、職場に戻った。

 

 

鳥居の話

元乃隅神社はごく新しい神社だが、その姿には景観の見事さという以上の説得力が感じられる。断崖絶壁の岩場に立てられた鳥居は、参詣者のためのものというよりも、海からやってくる超自然的な存在を迎え入れるためゲートと考えるほうが自然だろう。

諸星大二郎の「海竜祭の夜」では、海竜様を迎え入れるゲートとして鳥居が描かれている。この作品では鳥居は平たんな浜辺に立てられているが、人間を寄せ付けない断崖の上にある元乃隅神社の鳥居の方が、神の門としてはふさわしい。

しかも元乃隅神社の鳥居の先の断崖は、もともと「龍宮の潮吹き」と呼ばれる海水の噴射が見られる名所なのだ。龍宮に面して立つ鳥居という情景は、さまざまに想像力を刺激する。

問題があるとしたら、観光資源としての神社として当然のことながら、様々なご利益ばかりが強調されていることだろう。諸星の「闇の客人」では、鳥居の向こうの異界からやってくる超自然的な存在の性格として、人間にとってプラスになるものとマイナスになるものとがあることが強調される。祭りによってどちらのタイプの神がやってくるのかは偶然なのだ。

元乃隅神社が向き合う大自然も、晴天でインスタ映えをアピールできる日もあれば、荒天で近づくことさえ困難な日もあるだろう。「闇の客人」に描かれた町のように、大きなアクシデントによって、観光資源としての価値を一気に無くしまうことすらあり得るだろう。そういう過激な二律背反に向けて開かれた鳥居は、僕たちの目を引き付けてやまない。

 

大風のなかのチョウゲンポウ

冬の嵐のような大風の中、自在に飛び回る鷹を見て、気持ちが高まったという話。

僕の住むあたりより山側の集落で車を走らせているとき、鷹らしき鳥の姿が目に留まったので道路わきに車をとめて、単眼鏡をもって外に出た。

鷹は二羽いる。細長い翼の先がとがっていて、それを後方にギュッと曲げた姿は、ツバメのシルエットかバットマンのサインみたいだ。尾羽も長く、スマートに伸びている。体の色は、全体に明るく薄い茶色に見える。

電柱の上に構えていて、冬枯れの畑に飛び出していく。地面に身を伏せる。向かい風の中、翼をばたつかせてホバリングをする。突然、風に乗って集落の方へ大きく迂回し、再び畑に戻ってくる。

自由自在な飛び方は、ツバメにも似ている。体を大きく使うためか、ハト大という実寸よりずいぶん大きく見える瞬間がある。

僕の中にも、生きるための戦いや狩りに反応する部分があるためだろうか、猛禽類の姿には心が躍る。

初代ターセル後期型ソフィア 1981-1982

箸休めにもならない内容だが、僕が生まれて初めて購入した車がなんであったか、という話。

会社員になって二年目だと思うが、中古車屋から40万か50万くらいで1300㏄の3ドアの赤い小型車を買った。1985年のことだ。免許を取ってから1年以上空いていたから、ハンドルを握ってお店の前の道にドシンと乗り出した時の感触と緊張感は、今でも覚えている。

トヨタのコルサと説明を受けていたけれども、お粗末なことに実際は兄弟車のターセルだった。今写真で確認してもフロントグリルの形状などからターセルであることはまちがいない。

初代ターセル/コルサ(1978-1982)は、トヨタ初のFF(前輪駆動)車として開発された車で、僕が購入したのはマイナーチェンジ後の後期モデル(1980-)だったことになる。ロングホイールベースを売り物にした胴長のスタイルは、当時から評判が悪く、実際あまり売れなかったようだ。

80年代半ば以降は、3ドアハッチバックのコンパクトカーが人気の時代で、シビックやファミリアのスタイリッシュな外観に比べると、同じ形式ながらなんとも古めかしく見えた。何よりボンネットの先に突き出たフェンダーミラーがダサかったのだ。

それだけでなく、赤白のツートンのシーツなど内装も赤系で、ボディ両サイドに黄色いモールが貼られているなど、どことなく変なところがあった。車に疎かった僕にはわからなかった違和感の謎が、今のネット情報をもってすれば解明できる。

当時のスナップ写真をみると、車の後部にSophiaという小さなエンブレムがついている。ネットで検索すると、これは81年4月に女性向けお買い得モデルとして、不人気のてこ入れのために投入されたソフィアというモデルだったのだ。中古車販売店はそんなことはおかまいなしに、僕にこの車をすすめたのだろう。

僕は九州と東京で計5年間、この車であちこちを乗り回した。阿蘇や広島、松本城にも足を伸ばした。塾講師を辞めて転職しようと決意したとき、実家の近くの販売店で、この車を引き取ってもらった。店を出て最後に振り向いたときの、赤い車のなんだか寂しげな姿が目に焼き付いている。

 

初春の女郎蜘蛛

暖かいお正月だったが、今日にいたっては日中20℃にもなった。4月の陽気である。

正月連休前には、職場近くの林のジョロウグモは、二匹を残すのみだった。前年の冬よりサバイバーの数は少ない。久しぶりにのぞいてみると、一匹だけは年を越してまだ生きている。ただし悲壮な感じはしない。今日の天気に、なにやら動きも軽快である。

全盛期のジョロウグモの巣は見事な円形の大きな網を張っているが、今はもう縄ばしごをかけたくらいのみすぼらしさだ。それに松葉が何個か引っかかっている。何をしているのかと思ったら、松葉を巣からはずして落としているのだ。大切な商売道具のメンテナンスは欠かせない。春のような暖かさに、すっかり生きる気力を取り戻したようだ。

巣の掃除が終わると、ジョロウグモは、巣の真ん中に移動して、獲物を待つ不動の姿勢を見せた。まるで剣の達人の「正眼の構え」みたいだ。ただ気の毒なことには、数本の糸でかろうじてつながっているだけの巣に獲物がかかることはないだろう。


*この日の夜半から台風を思わせる風雨におそわれて、翌朝にはジョロウグモも巣も見当たらなかった。

ヒラトモ様と「海竜祭の夜」

諸星大二郎妖怪ハンターシリーズ「海竜祭の夜」は、加美島という架空の孤島の祭りが舞台になっている。島には安徳神社があり、浜辺には鳥居が並んでいるが、不思議な事にその鳥居は陸に向わず、カーブを描いて再び海に向いている。

海竜祭は、壇之浦で平家一門とともに八歳で入水して死んだ安徳天皇の鎮魂のための祭りであり、海竜となった天皇の怒りを鎮め、海に返すための祭りだったのだ。祭りの当日には、検校役の村人によって海に向かい平家物語が朗誦される。

シリーズの主人公稗田礼二郎は、島出身の教え子とともに海竜祭に立ち会うが、この年に祭りでは、様々なアクシデントにより安徳様の鎮魂に失敗し、それを「安徳様のお迎え」として受け入れる島民のほとんどを津波とともに滅ぼしてしまう。

ヒラトモ様も、壇之浦で入水した平知盛のゆかりの墓を祀ったものだという伝承がある。僕の調査では、その伝承は明治以降に生まれた新しいものだが、それによって先の大戦中さかんに戦勝祈願が行われた。

しかし、その結果はどうだったか。平知盛の鎮魂には成功せず、日本内外に壊滅的な損害をもたらしてしまったのだ。戦後にヒラトモ様の祭りが途絶えたのは、村人の変わり身の早さによるものばかりとは言えないのかもしれない。知盛の怨念は、敗戦という「お迎え」によって最終的に実現し決着してしまったのだ。

僕は今まで、ヒラトモ様の供養のためにと思い、時々ホコラの前で平家物語の「知盛の最期」を朗読していた。今年の初詣では、怖くてそうしようとは思えなかった。

 

 

神々への初詣

正月の旅行から戻って、めまいが再発するなど体調がすぐれず、正月5日になってやっと大井の神々への初詣がかなった。

和歌神社、水神様の前で黙礼して、久しぶりに里山に入る。やはり竹が倒れて道があれている。昨年から息切れ勝ちでもあるし、山の中でたおれてもいけないので、一歩ずつ踏みしめるように斜面をのぼる。

ヒラトモ様のホコラは、昨年僕がお供えした日本酒の小瓶がそのままになっている。ここ数年、僕以外が参拝している形跡はない。ホコラに舞い込んだ落ち葉を取り払い、お供えの木刀を模した木の根をきれいに並べなおす。今年は「神酒」という名のお酒をお供えする。僕は手を合わせて、ヒラトモ様にいくつかの約束をする。

里山の中腹まで降りて、細い山道で山腹を回るように歩くと、予想通り「御大典記念林」の石碑が立っている。大正四年三月とあるから、大正天皇の代替わりを記念しての植林だろう。そこを目印に人工林の尾根を下ると、ミロク様のホコラがある。

ヒラトモ様の自然石を屋根にのせた野趣あふれるホコラと違って、ミロク様は端正に加工された石造りだ。安永二年正月吉日村中と読めるから、今からほぼ250年前の1773年に大井村こぞっての建立だったのだろう。それは何のためだったのか。しかし今、このホコラの正式名称を知る村人もいないはずだ。「神酒」のお供えをしてから、山を下る。

田畑の脇の道から、里山の谷にそって進み、今度は大井炭鉱の坑口を目指す。竹や倒木にふさがれ昨年の道は使えない。山側を迂回してなんとかたどり着く。坑口をふさぐ竹を取り払って、日本酒をかけ、かつて祭られていたはずの山の神に新年のあいさつをする。

ヒラトモ様、ミロク様、大井炭鉱の山の神。3時間で大井山中の三社参りをやりとげて、ふさいでいた僕の気持ちもいくらかはれた。

 

 

こんな夢を見た(映画)

弓の老名人、といっても西洋人風だからアーチェリーかもしれないが、とにかく彼が若い愛人に裏切られて捨てられる。彼は、二人の女性を仲間にして、元愛人への復讐を企てる。

元愛人が花形選手として出る大会がある施設で開かれるのだが、そこから斜面を登った場所にある宿舎に、老名人は密かにアジトをつくる。そして、大会当日、元愛人が競技で指定のラインに立って弓をかまえたときに、斜め上方の宿舎の小さな穴から、老名人は矢を放つ。放った時には、僕自身がその老名人になっていて、まったく視界がないにもかかわらず、なぜか成功を確信する。

実際に矢は、遠距離を飛んだのち競技場の窓の隙間から飛び込んで、元愛人の首筋に見事にささった。僕である老名人は、なぜかすでにその競技会場にいて、彼女が倒れるのを確認する。それから急いで会場を飛び出すと斜面の石段を駆け上がって、逃走する。

逃げながら、なぜ捕まらないのだろうと疑問に思う。こんなにストーリーもはっきりして映像も鮮やかな夢は珍しいが、実はこれは一度見た映画なのだ、と夢の中で確信している。だから捕まらないし、展開もすでにわかっているのだと。

宿舎に戻ると、仲間の二人は逃走用の車を用意していて、ここでも簡単に施設を離れることができた。映画では、やってきた刑事たちが宿舎で老名人の痕跡を見つける場面があったはずなのだが、この夢でははしょられている。映画そのままだから、この夢にはオリジナリティはない、とちょっと残念に思っていた。

夢が覚めてしばらくして、ようやくこんな映画はないことに気づく。