大井川通信

大井川あたりの事ども

「祝辞」 NHK 土曜ドラマ 1971

結婚式のスピーチで思い出すのは、子どものころ観たあるドラマだ。当時チャンネル権は父親が掌握していたから、父親から公認されたドラマ視聴だったのだろう。それで僕の記憶に残っているのは、妙に大人びた番組ばかりということになる。 記憶では、「テーブ…

結婚式で祝辞をのべる

職場の人の結婚式で、スピーチをした。ネタ探しから、原稿書きと推敲、読みの練習とずいぶんと時間をつかった。会場と同じくらいの広い場所で実際にスピーチしてみる。空間に意識を向けるのは、演劇ワークショップで習った手法だ。今回は新しい試みとして、…

鳥の巣をひろう

林の中で鳥の巣をひろった。初めてのことだ。 小さなどんぶりくらいのサイズで、真中に直径5センチメートルくらいのきれいな半円の穴が作られている。内側は茶色の細い植物の繊維のようなもので編まれているが、外側は白っぽい材料が目立って、編み方も雑に…

『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』 金谷武洋 2014

最近文庫化されたので手に取る。タイトルだけ見ると、いろいろ突っ込みを入れたくなって、読むのをためらってしまいそうになるが、本の中身はたいしたものだ。 カナダの大学で25年間、日本語教育と日本語の研究を行ったきた著者が、現場で考え、実地で体験…

神社という場所

昨日の展覧会評で、神社は非日常の場所であるという、当たり前のことを確認した。問題はその中身である。僕は、大井川歩きで、地元の小さな神社やホコラに足を運ぶ中で、これらの場所の意味を確かめていった。香椎宮のような巨大な神社のもつ意味合いも、か…

「美 つなぐ 香椎宮」展 2018

神社という場所に関心があるので、そこで現代美術にどんなことができるのか、期待があって出かけてみた。しかし思った以上に現代美術の作品が無力な印象を受けた。ちょっと残念だった。 勅使館という施設の座敷や庭園という閉ざされた空間の中で展示されてい…

寒風にゆれる女郎蜘蛛

以前、電灯近くのジョロウグモの巣に、一面コバエのような小さな虫がくっついているのを見たことがあった。明かりに集まったコバエが捕まってしまったのだろう。しかしこれでは、巣の存在が一目瞭然だ。すると主であるジョロウグモが、その一つ一つを口でく…

あべこべのひと

20代の頃、東京の塾で同僚だった知人と会った。 知人は僕よりいくらか年長で、今年塾を定年退職したそうだ。それで再就職までの時間を利用して、実家の隣町に住むお姉さんの看病で二カ月ばかりこちらに滞在しているという。僕が今住んでいる地方が、たまたま…

麻酔の恐怖(続き)

足首の金具をはずす手術のあとは、部分麻酔が十分に効いていたから、前回の時のような激痛は免れた。しかし、その代わり少し不思議な体験をした。 手術した右足は、ふくらはぎから足首まで包帯におおわれて、足指の付け根くらいから上だけが露出している。そ…

『感性は感動しない』 椹木野衣 2018

以前、現代美術が専門の知人に、美術の批評家で誰が面白いかを聞いたら、椹木野衣(さわらぎのい)の名前を教えてくれた。新聞の書評を意識して読むようにすると、なるほど彼の書く文章は、平易に書かれているにもかかわらず、解像度が他の書き手とはワンラ…

麻酔の恐怖(その1)

以前に足首の骨を折ったときに、全身麻酔の手術を受けたことがある。移動用のベッドに載せられ手術室に入っていくとき、仰向けに見上げる部屋の天井や医師たちの様子が、映画のシーンみたいで既視感があった。人生の最期に観る景色は、こんなものかもしれな…

『夜と耳』Ort-d.d(Theatre Ort)2012

安吾の短編集を読んで、6年前に観た小劇場の芝居を思い出した。安吾の『夜長姫と耳男』を原作とした劇だったからだ。 中年過ぎてから、とあるワークショップに参加したのをきっかけに小劇場の舞台を観出した僕は、なんとか舞台を観る眼を養いたいと、観劇リ…

坂口安吾の短編を読む

読書会の課題図書で、岩波文庫の安吾の短編集を読む。以前柄谷行人が安吾の再評価をした時、評論を読んで、なるほど面白いと思っていた。しかし今小説を読むと、『風博士』『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』などの一部の特異な作風の作品をのぞいては、…

寝具にくるまって

体調がすぐれなくて、寝具にくるまって休んでいる時に、ふとこんなことを考えた。 たとえば、圧倒的な権力や経済力を誇っている人物にしたって、あるいは、何かの分野で突出した才能を発揮して名声を勝ち得ている人間にしたって、一日に一度は、こうして寝具…

ミソサザイを看取る

朝から職場で、スズメが部屋に紛れ込んだと騒いでいる。窓を開けて出て来るのを待っているのだが、書棚の上などに隠れてなかなか飛び立たない。ようやく飛び立つと、ガラスにぶつかって、またどこかに隠れてしまった。 こんどは部屋を横切るようにながく飛…

子どもの呼び名

吉本隆明は子どもの時、家族や友達から、「金ちゃん」と呼ばれていた。上級学校では、理屈っぽさから「哲ちゃん」と呼ばれたというのは、吉本らしい。(『少年』1999) なぜそう呼ぶのかのを親戚のおばさんに聞くと、タカアキが、タカキ、タカキンとなり、そ…

いじめっ子と妻(その3)

次男は、二歳を過ぎても言葉が出なくて、幼稚園に入っても、園ではいつもお世話をしてくれる専任の先生の膝の上にチョコンと座っていた。小学校に入学後もしばらくは、クレヨンしんちゃんなどの好きなアニメのセリフを好き勝手にくりかえすことが多くて、友…

いじめっ子と妻(その2)

妻の小学校の高学年の時の担任は、新任の男の先生だった。ひどいいじめにあっていたとき、その担任の先生から、「お前は強いなあ」と言葉をかけられたことを覚えていて、それが救いになったという。先生がどういう文脈で声をかけたのかはわからないが、妻は…

いじめっ子と妻(その1)

風邪で体調が悪く昼間から寝ていると、妻が買い物から帰ってくる。少し興奮して、小学生に怒ってやったと言っている。 話を聞くと、小学3,4年生くらいのグループが下校中に、ある男の子が、一人の子に対して、「お前を今度から〇〇と呼んでやる」としきり…

こんな夢をみた(その5)

正体不明の風邪に苦しんで、職場を休み、まる一日横になっているとき見た(悪)夢。 年末。職場ではあわただしく仕事をしている。僕の手元の分厚いノートには、仕事上の重要なメモが書かれているらしく、これで来年は頑張ろうと意気込んでいる。 独身の頃な…

『ビルマ敗戦行記』 荒木進 1982

亡くなった父の蔵書には、文学書のほか、昭和史や戦争に関する記録が目立つ。実家をたたむので、僕も思い入れのある詩集などを持ち帰っていたのだが、今回ちょうど吉本論を読んでいたせいだろうか、戦争体験の手記が気になって、何冊かもちかえってみた。こ…

「塩を編む」 渭東節江 (糸島国際芸術祭2018)

一年前に、八幡の古い木造市場を舞台に行われた現代美術展で、渭東さんの作品を観た。築後70年が経つ市場は、そのままで人々の歴史がしみ込んだ魅力的な環境だ。美術家たちは、その雑多なイメージを上手く取り込んだり、お店の歴史を引用したりしながら、…

「つりびとのゆめ」 鈴木淳 (糸島国際芸術祭2018)

大井川歩きを始めてから、身近な里山の中へ足を伸ばすようになった。目標は、山頂にまつられたホコラや古墳などである。足を踏み入れて、想像したこともない異世界が身近にあることに驚いた。そもそも里山の入り口はわかりにくいし、正式な山道でもないから…

父親と吉本隆明

ある吉本論について、吉本を持ち上げるばかりで、吉本についての全体的で総合的な認識をつくっていない、それは吉本の精神にかなっていないのではないか、と批判を書いた。僕自身たいして読者ではないが、長く吉本が気にかかってきた者として、自分なりの吉…

LGBT(性的少数者)をめぐって

職場でLGBTについての研修会があった。こうした場で当時者の話を聞くのは何度目かである。そこでの、ざっくりした印象。 僕は80年代前半の学生の時に、東京郊外で、「障害者」自立生活運動とかかわりをもった。90年代以降は、被差別部落の運動と断続的にかか…

吉本隆明の講演会

講演会で、吉本の話を二度聞いたことがある。1985年に、初めて吉本の姿を見たときの印象は強烈だった。マイクの前にたったのは、いかつい職人のような男で、話し始めても、語気が強くまわりくどい例の語り口だったから、これがあの吉本隆明なのかとあてがは…

『最後の吉本隆明』 勢古浩爾 2011

読書会の課題図書で読む。僕より少し若い人による選定。世評の高い吉本を知っておきたいという動機からのようだった。もし吉本コンプレックスというものがあるなら、そんなものは必要ないことをいいたくて、多少力を入れて読んでみた。 吉本の忠実な読者によ…

ジョウビタキとカトリヤンマ

夕方、夫婦で久しぶりに散歩をする。妻が、和歌神社にお礼参りにいくというので付き合ったのだ。前回、心配でお願いしていた検査結果が良かったから、スーパーで買った日本酒の小瓶をお供えするらしい。和歌神社の社殿の前でふたりそろってお参りしたが、妻…

虹の足

通勤で川沿いの道を車で走っていると、にわかに雨が強くなる。すると正面に虹が見えたので、道路わきの神社の大きな駐車場に車をとめて、観察することにした。 はじめは右半分くらいしか見えていなかったのだが、いつのまにかうっすらときれいな半円を描いて…

天邪鬼と女郎蜘蛛

ポーの短編小説のなかに、「天邪鬼」(the perverse)を人間の本質とみる視点があることを書いた。われわれは、そうしてはいけないから、かえってそれをしてしまうのだ。ポーは小動物をいじめてしまうことを、その実例にあげている。 僕も自然観察者を気取り…