大井川通信

大井川あたりの事ども

サークルあれこれ(その3 MMA的勉強会)

MMAとは、mixed martial arts の略称で「総合格闘技」のこと。打撃や投技、関節技など様々な技術を駆使して戦う格闘技で、名称も競技としての歴史も比較的新しい。日本では「異種格闘技」の方が耳になじみがあって、比喩としても通りやすいだろう。、この…

行橋詣で(2024年3月)

以前は特急を行橋で降りそびれたことがあったが、今回は、別路線にいく電車に乗り間違えてしまい、気づいたら見慣れない山間部を走っている。よく見たら古びたワンマン車両だ。のどかな無人駅で降りて折り返しを待つことになった。 日曜日の商店街は相変わら…

サークルあれこれ(その2 思想系読書会)

日本の風土で哲学思想(というより論理)を語り合うことの困難を骨身にしみて考え続けることのできた読書会。30年にわたってつかずはなれずの関係をつづけたおかげで、いろいろな課題を見つけることができた。そのことはいくつかの記事に書いてきた。 今まで…

サークルあれこれ(その1 詩歌読書会)

僕は月に一回、詩歌を読む読書会に参加している。初回が萩原朔太郎の『月に吠える』で2019年6月30日だったから、それ以来6年近くになる。事情があって行けない時もあるから実際の参加率は、三分の二くらいかもしれない。 主宰の神保さんは古書店を兼ねたブッ…

月がついてくる話(安部公房生誕100年)

長男を子育て中、幼児だった彼が、自動車の窓から月を見つけて、「どうして月がついてくるの?」と不思議がっていた時期があった。なるほど、窓の景色はどんどん飛び去って行くのに、いつまでも夜空の月は風景を横切って追いすがってくる。 僕も同じような経…

『続・ゆかいな仏教』 橋爪大三郎・大澤真幸 2017

『ゆかいな仏教』があまりに面白かったので、その続編を注文して読んでみた。同じ対話形式の本でも、前著の半分くらいのボリュームしかない。前著は、本づくりのために仏教を網羅的に語ったものだが、今回は雑誌掲載の対談2本をまとめただけだから、分量の…

お互いに空気であること

近代短歌の名作集を読んでいたら、老いた作者が、その妻を「空気」みたいな存在だと表現する歌があった。昔の歌なので、当時から「空気」という比喩表現があったことに驚く参加者の声もあった。 たしかに高齢になってお互いが空気の様に気にならなくなった夫…

『近代秀歌』 永田和宏 2013

以前、同じ著者の『現代秀歌』を別の読書会で取り上げて報告したことがあるが、同じ岩波新書のこの本が、今度は詩歌を読む読書会の課題図書となった。 日本人ならせめてこれくらいの歌を知っておいてほしいぎりぎりの百首を選んだと著者が豪語しているとおり…

M先生の格闘

今年も、アメリカから来日して浄土真宗の大学で研究をし日本で研究者になったM先生の話を聞いた。三コマの講義に質疑応答をあわせて4時間にわたる講座だ。外部からの参加者は優遇されるとかで今年は先生の目の前の席だった。すごい話を聞いてしまったという…

『飛ぶ男』 安部公房 1994 

安部公房(1924‐1993)の没後、フロッピーディスクに遺されていた作品で、生誕100年に合わせて、データに忠実な形で文庫化したものらしい。 『他人の顔』の文庫本解説で大江健三郎が、安部は短編の名手だが、長編になるとバランスの悪いものを書きがちである…

読書感想画の謎

2月の吉田さんとの勉強会で、吉田さんは「読書感想画」に関する回想メモを書いてきてくれた。僕は「読書感想画」というものは知らなかったが、吉田さんの育った別府では、小学校6年生と中学の3年間は、夏休みの宿題に読書感想画を書かせられたそうだ。吉田…

『他人の顔』 安部公房 1964

いくつかの手記で構成されている小説という形式のためもあるのだろうが、主人公の男の自分語りがえんえんと続く。理系らしいモノのディテールの対するこだわりと、際限のない論理癖。系統的に読んでいるわけではないから確かには言えないが、安部公房の後期…

『あるく武蔵野』 横田泰一 1976

子どもの頃の蔵書の復元が完成したと豪語したばかりだが、ここにきて欠けていた重要なピースを手に入れることができた。 50代になって、さも新しく発見したかのように「大井川歩き」を唱えているが、その原型は子どもの頃の武蔵野(多摩)歩きにあった。すっ…

九太郎5歳!

僕はずっとペットを飼ったことがなかった。だから、子どものいない夫婦がペットを可愛がっているのを見た時など、子どものかわりに、あくまでも本物のかわりの偽物として、やむなくペットを飼っているのだろうと漠然と感じていた。 失礼な感想を抱いていたも…

尻もちをつく/背中をうつ

高校生の時に、年賀はがきを配達するアルバイトをした。子どもの頃に遊んだ近所の路地にくまなく入り込んで配達するのが面白かった。何年かしてから、その時仕事を教えてくれた郵便局職員のお兄さんの太って変わり果てた姿を見てショックを受けたことをなぜ…

ミロク様と山の神に初詣

ヒラトモ様には初詣をすませてあるので、大井の里山の中の別の神様に、お参りに行く。人の出入りがない場所なので、ヒラトモ様以上の難所である。先週末に雨が続いて、道がぬかるんでいるのも誤算だった。 まず、近頃気になっている秀円寺の裏山の石仏にお参…

『世界でいちばん透きとおった物語』 杉井光 2023

中学生のビブリオバトルでチャンプ本となった本で、その縁で読書会の課題図書になった。作品そのものを成立させるアイデアというかネタがすべての小説であるので、ネタバレが前提というところで感想を書く。 おおざっぱに言うと活字の配置が前頁同じ(正確に…

『魂を考える』 池田晶子 1999

ふと書棚のこの本が気になってカバンに入れて持ち出し、朝のファミレスで読んでみた。ページを開くのは20年ぶりくらいだろう。 池田晶子(1960-2006)は、僕と同世代の哲学系の書き手だ。といっても研究者ではなく、哲学の思考そのものを生きた人といってい…

かわいい鳥/おもしろい鳥

近頃は、双眼鏡をもって散策することがなくなったばかりでなく、短眼鏡を失くしてしまって、往復の通勤時に鳥を見つけることもまれになってしまった。こんなことではいけないと思いつつ。 駅までの通勤路で、街なかにあるため池の名前は新池という。冬場で水…

『ハンチバック』 市川沙央 2023

読書会の課題図書だが、100頁にも満たない作品だから、ブックカフェで読み切ってしまい、購入しなかった。もともと、こうした芥川賞受賞の話題作を読むのは苦手で、読書会への参加にも後ろ向きになっていたところだった。 ところが、そういう悪意の先入観を…

こんな夢をみた(神社と甲虫)

ある僻地の学校を視察することになった。電車で目的の駅に行き、そこから歩いて数キロの場所だ。学校の敷地は細長く建物も貧相だったが、この地域の資力ではこれが精いっぱいだったのだろう。近隣のいくつかの集落が校区になっているが、そのうちの一つは性…

姉弟の『武蔵野風土記』

多摩歩きのガイドブック『武蔵野風土記』を手に入れたことで、僕の子ども時代の蔵書再構築プロジェクトはほぼ完成した。本の汚れ等に敏感な僕の場合、ただ集めればいいというのではなくて、一定程度の「美品」であることも大切だ。こんなことができたのもネ…

行橋詣で(2024年2月 再び)

先週は井手先生がご不在だったので、今週またお伺いする。一つには、本日が先生の誕生日なのでお祝いをすること。新年に提出した金光教レポートの一頁目の日付がたまたま昨年の今日だったことに先生が少し驚かれて、それでたまたま誕生日を知っていたのだ。…

家族優先の原則

玄関の脇に、大きなキャリーバックが置いてある。明日、妻が天神のお店にスペースを借りて小物を出品するからその準備だろう。思ったより大きなバックなので、持ち上げてみるとかなり重い。これはまずい、と思った。 かなり前から明日の出品は自分で電車にの…

痛みとともに生きる

昨年11月からは、しつこい風邪に悩まされた。咳と淡と鼻の炎症がすぐにぶり返す。検査では一応陰性とはいえコロナだったかインフルエンザだったか、直前にうったコロナワクチンの副作用だったかわからない。年齢による衰えも含めて複合的なもののような気が…

大地と霊性と金光教

「天日はありがたいに相違ない。またこれがなくては生命はない。生命はみな天をさしている。が、根はどうしても大地に下さねばならぬ。大地にかかわりのない生命は、ほんとうの意味で生きていない。天はおそるべきだが大地は親しむべく愛すべきである。大地…

日本的霊性とは何か

鈴木大拙の『日本的霊性』が面白かった。本書が提示する「日本的霊性」の概念はなかなか魅力的だ。著者も、具体的にわかりやすくその内容を説明している。煙に巻くような感じではない。説明の道具立てもシンプルで、繰り返しすこしづつ角度を変えながら照明…

『日本的霊性』 鈴木大拙 1944

中央公論社の「日本名著」の一冊で清沢満之を読んだついでに、ふと併せて収録されている鈴木大拙の『日本的霊性』を読んでみようと思った。 鈴木大拙(1870-1966)が清沢よりもはるかにビッグネームで多くの著作があって国際的に評価されていることは知って…

『数に強くなる』 畑村洋太郎 2007

僕はどう考えても文系人間のくくりに入ってしまうが、数学や科学に対するあこがれはある。科学技術が光り輝いていた60年代に幼少期を過ごした人間の共通感覚だろう。だから、数式を使わずに「考え方」で数学を説明する画期的な本が面白かった畑村洋太郎の…

行橋詣で(2024年2月)

いつもより早めだが、二月は逃げるというので、三連休の中日に行橋に向かう。今回は初めて井手先生が不在だった。ただ、広前には先生の奥様が出てきて座ってくださる。奥様とのエピソードはいろいろお聞きしていたので、いつかはお話をしたいと思っていたと…