大井川通信

大井川あたりの事ども

涼宮ハルヒのために

京都アニメーションの放火事件は、僕にも相当な衝撃を与えた。無意識のうちにテレビやネットのニュースからも目を背け、新聞でも極力その記事を見ないようにしていたのだ。自然災害や大事件でニュース報道にくぎ付けになることはあっても、ニュースを避ける…

クマゼミの羽化

今月に入ってから、庭の周辺で見つけたセミの抜け殻を一カ所に集めている。手の届かないケヤキの枝の先に見つけたものも含めると、今日までで20個になった。そのうち19個は明らかにクマゼミで、一つはおそらくアブラゼミだろう。 二日前の夕方、庭の花壇の近…

エピソードが思考する

前々回の記事の『ほんとうの道徳』の書評は、その本をめぐって、若い教育学者の友人と、何回かメールでやりとりしながら考えたことのエッセンスである。メールの分量は、僕が書いたものだけでも、この書評の5倍以上はあるだろう。 僕は専門の学校教育には不…

カミキリムシの話

黒光りする硬い甲羅におおわれた甲虫は、昆虫少年のあこがれの的だ。カブトムシやクワガタムシ。水中ではゲンゴロウ族。ただし、どこにでもいて、戦闘力のないコガネムシやカナブンの仲間には魅力が感じられないのは、仕方のないことだろう。 それでは、カミ…

『ほんとうの道徳』 苫野一徳 2019

学校教育については、次から次へと批判者が現れて、一面的な観点や一方的な思い込みから、正論めいた意見をはく。 なるほど、学校には様々な問題があるだろう。それは、一人の人間を見ても、家族を見ても、地域や企業を見ても、社会や世界をながめても、およ…

僕はニイニイゼミすら聞き分けていなかった

夕方、家の周辺を歩く。いろいろ反省することしきり。 まずは、先日ヒメハルゼミの調査と称して、近隣の神社を車で回ったこと。家の近所をたんねんに歩き回れば、ちょっとした鎮守の森程度の林はあちこちに見つかるのだ。そこを調べるのが、やはり大井川歩き…

『空白の殺意』 中町信 1980(2006改稿 原題『高校野球殺人事件』)

中町信(1935-2009)の推理長編を読むのは、三作目だ。ミステリーファンでない僕が彼の作品にひかれるのは、それが世界の中に仕掛けられた謎というより、世界そのものの成り立ちの謎を示唆しているように思われるからだ。 この意味でいうと、前二作よりもず…

こんな夢を見た(不治の病)

職場に電話がかかってくる。「すぐに病院に来ないと死にますよ、という検査結果の通知を見てないのですか」と、とがめるような若い女性の声だ。そういえば、病院からの封書を見ていたのを思い出した。しかしそんな重大な知らせを忘れて一日放っておいたこと…

『セミ』 ショーン・タン 2019

6月の終わりくらいを皮切りに、自宅の庭でクマゼミの抜け殻を見かけるようになった。今年初めに植木のレッドロビンをすべて抜いて庭土を掘り返してしまったから、地中のセミが心配だったのだが、すでに10個近くの抜け殻を発見している。鳴き声も一週間く…

ヒメハルゼミの研究(その4)

梅雨なのに今日も晴れ。まだ明るい午後7時に家を出て、徒歩で目的の場所に向かう。やはり大井川歩きの基本は徒歩でないと。村で常緑広葉樹の林が残っているのは、鎮守の森以外では、かつての墓山だろう。今では大井区の納骨堂が造られているが、その背後の高…

ヒメハルゼミの研究(その3)

今日は快晴に近いから、夕方でも明るい。午後6時半近くに和歌神社へ向かうため、秀円寺裏の林の道を下りていると、遠くからヒメハルゼミの合唱が聞こえる。しかし近づくと、鳴き止んでいた。再び鳴き始めたのは6時50分。曇りの夕方より本格的な鳴き始めは遅…

「なんもかんも大変」のおじさんとしんみり話す

黄金市場を二カ月ぶりに訪ねる。日曜日のためか、ほとんどの店がシャッターを下ろしていて、平日の活気がない。後で聞くと、大通りをはさんだ古くからあるスーパーが年度末で閉店してしまったのも影響が大きいという。何割もお客さんが減ったらしい。何でも…

ヒメハルゼミの研究(その2)

仕事が終わってから、近隣では最大の鎮守の森がある宗像大社へ。午後6時を過ぎて人気のない境内を歩く。うっそうとした大木の並ぶ小道を歩いて、小山の上の祭祀場に向かう。奥の森からヒメハルゼミの鳴く声が小さく聞こえてくるが、アクセス可能な場所にはセ…

ヒメハルゼミの研究

午後5時過ぎに家を出て、歩いて5分ばかりの和歌神社にむかう。今日は曇っているので、すでに夕方らしい時刻だが、神社の境内にセミの声はない。いったん家に戻ろうとすると、突然裏の林からセミの合唱が始まる。5時30分頃だ。しばらく聞いてから家に戻り、帰…

ヒメハルゼミの合唱

数年前、職場近くの松林で、ハルゼミの存在に気づいて、驚いた。セミは、もっとも身近な昆虫であり、今さら新しい発見などないと思い込んでいたからだ。もっとも、ハルゼミは松林の中でなら、それほど珍しいセミではないのかもしれない。5月に奈良に行ったと…

僕は自分の方法をもっと信じなければいけない

妻が20年ばかり通っている彫金教室を、猫を連れて訪ねる。マンションの一室の工房を先生が改装したので、そのお披露目の会があるのだ。猫との外出は初めてなので、エサやらトイレの砂やらを車に持ち込む。こんなふうにあれこれ気を使うのは、子どもが赤ちゃ…

『月に吠える』 萩原朔太郎 1917

今月から始まった詩歌を読む月例の読書会に参加する。この会が定着すれば、毎月の小説を読む会、隔月の評論を読む会、月例の個人勉強会とあわせて、生活の中で無理なく読んだり考えたりすることのペースメーカーになってくれるだろう。 初回は萩原朔太郎(18…

『三陸海岸大津波』 吉村昭 1970

この書物を読むと、まるで2011年の東日本大震災の時の大津波の記録を読んでいるような気になる。あの時には、福島原発が「想定外」の被害を受けたということもあって、千年に一度くらいの稀な津波被害に、運悪く巡り会ったかのような印象を受けていた。事情…

ビワとカマキリ

以前に妻が、知り合いからビワの葉のエキスをもらってきて、それが市販の塗り薬よりもよく効くと話していた。それで自分で作りたいからビワの葉を見つけてほしいというので探すと、意外と身近なところにビワがあることに気づいた。近所のため池の縁にも、雑…

『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』 丸山俊一 2018

NHKのプロデューサーによる人気哲学者マルクス・ガブリエル(1980-)の軽めのインタビュー集のようなもの。読書会の課題図書で読んだのだが、問われるままにあらゆることに一言もの申しているためか、話題があちこちに飛び回っていて、いったい何がいいたい…

ポストモダンの時代感覚

吉村昭の『高熱隧道』の読書会に参加した時、僕の読みのポイントは、80年前の近代の暗黒期(戦時中)に遂行されたトンネル工事を題材にして、50年前の近代の充実期(高度成長期)を背景に執筆された作品を、現在のポスト近代の時代に読みあうことの意味を問…

自国の政治家/隣国の政治家

ネットを見ていると、自国の政治家(指導者、権力者、トップ)をあがめて、隣国の政治家をおとしめるコメントがあふれている。彼らはマスコミの報道などうそばかりだという。うんざりする。 一方、そうした風潮を批判する側の発信もあって、それによると自国…

こんな夢を見た(反体制小説家)

とある古書店で伊藤〇〇という小説家を知る。3巻本の全集を出していて、そのお店に来る人たちの間では神格化されている存在だった。僕もその一冊を手に取ってみるが、他の作家の書くものとは全く違うという真価を読み解くまでにはいたらない。 本を読んでい…

鳥の鳴き声の紹介(厳選版)

子どもたちに、三種類の鳥の鳴き声を聞かせる。いずれも、このあたりで昼間から、大きな声で鳴いているものばかりだ。 まずは、ウグイス。ホーホケキョは有名だけれども、谷渡りという鳴き声(ケッキョ、ケッキョと激しい)もウグイスであることを話す。同じ…

すた丼の味

子どもの頃、質素で堅実な家に育ったので、何でも美味しく残さずに食べるように教えられた。両親とも、戦中戦後の食糧難の時代を経験しているから、食べるモノがあることのありがたさが骨身に染みているようだった。当時の学校給食でも、この精神は教育され…

「阿蘇の灯」の語り部から聞く

三年前の熊本大地震による阿蘇の被災地でのフィールドワークに参加した。 当時は、熊本城の被害がクローズアップされたが、僕には、阿蘇訪問時によく使っていた阿蘇大橋の崩落が衝撃的だった。その近くに下宿する東海大の学生がアパートの倒壊で亡くなり、た…

小泉八雲旧家と桂花本店

出張帰り、熊本市街を歩く。修繕中の熊本城を横目に見て、市電を降りる。近くには、五校(旧熊本大)教師時代の漱石と八雲の旧家がそれぞれ保存されているようだが、近い方の小泉八雲(1850-1904)の家の方に立ち寄る。 デパート裏にある街中の公園脇の古い…

『高熱隧道』 吉村昭 1967

読書会の課題本。吉村昭だし(といっても彼の作品をまったく読んでいないのだが)、ドキュメンタリーだし、あんまり文学的でなさそうだし、ということで全く期待してなかったのだが、どっこい、かなり面白かった。 一つには、これが黒部渓谷のトンネルの難工…

非常階段の話

ガチャガチャ(ガチャポン)のおまけには、とても変なものがある。200円か300円を入れて、ハンドルをガチャガチャと回して、カプセルを出す、あれだ。昔は10円のガチャガチャだった。今では、100円のものでも見当たらない。 ガチャガチャのコーナーをのぞい…

役場とヒバリと山伏様の銀杏と

本当に久しぶりに、休日の朝の町を歩く。馬場浦池では、カイツブリの親子を発見。もう一人立ちして、立派に潜水を繰り返している子どもだが、まだエサはうまく取れないのだろう。水面に出るたびに親が口移しでエサを与えている。 旧街道沿いを歩いて、旧役場…