大井川通信

大井川あたりの事ども

フィギュアを買う

少し前に、10年近く遅れてアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006、2009)を見て、その内容に驚いた。そのあと、これも名作だと評判の高い『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)に衝撃を受けて、すっかり夢中になってしまった。何ごとに関しても飽きっぽく、消化吸収…

神戸の鉄人

もう7,8年前になるだろうか、神戸に寄ったついでに、長田区にある鉄人28号の「実物大モニュメント」を見に行ったことがある。地元商店街等でつくる「神戸鉄人プロジェクト」が、2009年に震災復興と地域活性化のシンボルとして完成させたもので、当時はニュ…

『チョコレートをたべた さかな』 みやざきひろかず 1989

この絵本を手に入れた時のことは、よく覚えている。家の近所の大きなスーパーの一階にある本屋さんの絵本コーナーに平積みになっていたのだ。ずいぶん前に閉店してしまったお店だけれども、絵本には強いこだわりのある本屋さんだったと思う。 単色の水彩画に…

クモの話

クモが特別に苦手だという人がいる。以前同僚だった人は、一センチに満たない小さなクモにも逃げ回っていた。子どもの頃好きだった時代劇『素浪人花山大吉』(1969-1970)の中の人気キャラクター渡世人「焼津の半次」もクモが苦手だった。 昆虫好きだった僕…

『「地方ならお金がなくても幸せでしょ」とか言うな!』 阿部真大 2018

副題は、『日本を蝕む「押しつけ地方論」』。タイトルの印象とは違って、きわめて明晰で冷静な記述に貫かれている。著者は上野千鶴子門下の気鋭の社会学者だ。 本書の意図や方法については、巻頭の頁からこれでもかというくらい何度もていねいに説明されてい…

地蔵のある家

大井の兄弟をめぐる悲劇も、それを知る人がいなくなれば、忘れられていくだろう。やぶの中の地蔵だけが、その痕跡となるだろうが、その意味を知ろうとする人は、これからの時代にはあらわれそうにない。 かつては、そうした記憶はもっとながく受け渡されてい…

飲み仲間の家

兄弟のいさかいによる悲劇は、おそらく四、五十年前の話だろう。家屋も取り払われて、集落の記憶の中で日付も輪郭もあいまいになっているが、かえって濃密なリアリティが感じられる。これが10年前の事件となると様子は別だ。 大井で、ある男の自宅で3人が酒…

兄弟の家

大井で以前にあったこと。 ある家に住む兄弟同士が、何かでいさかいを起こし、一人が一人を鎌で切りつけたのだという。血だらけになって倒れた兄弟を見てようやく我に返った男は、兄弟を殺してしまったと思い、近くの木で首を吊ったそうだ。切られた方の兄弟…

『木原孝一詩集』 現代詩文庫47 1969

木原孝一(1922-1979)は、田村隆一と同世代の「荒地」の詩人。昔から気になっていたが、今回初めて現代詩文庫を通読した。この詩人も57歳で亡くなっている。やれやれ。 イメージと構成の明快な思想詩を書いている印象があったが、似ていると思った田村隆一…

大井炭鉱跡とミロク様に詣でる

ひろちゃんの娘さんと待ち合わせて、大井炭鉱跡を案内する。昼前には小雨がぱらついて、怪しい雲行きだ。一人では心細くて、とても荒れた里山には入れないだろう。 娘さんはひろちゃんから鍛えられているだけあって、荒れ果てた竹やぶも急な斜面もスタスタと…

日めくりをめくって

「皆様、明けましておめでとうございます。皆様も、新年に抱負を持たれたかと思います。私は、小さいことですが、毎日朝一番に日めくりカレンダーをめくることにしました。 日めくりには、その日のことわざが書かれています。今日は、『頭が動かないと尾が動…

ちくわぶ(竹輪麩)の味

玉乃井に年始の挨拶にうかがって、安部さんと東京の食べ物の話になった。安部さんは、初めは苦手だった納豆も食べられるようになったが、ちくわぶだけはだめだった。あんな不味いものはないという。 僕はショックを受けた。子どもの頃、実家のおでんの具の中…

『死の淵より』 高見順 1964

昨年は、現代詩を義務的に読むことをしてみた。それで詩を読む習慣を、ほとんど学生の頃以来久しぶりに取り戻せたような気がする。今年は、さらに自由に詩を楽しんでみたい。あんまり目くじらを立てずに、肩の力を抜いて。 高見順(1907-1965)は、昔から好…

年賀状がこわい

いつの頃からか、年賀状が恐ろしくなった。誰に出すべきなのか、何を書くべきなのかがよくわからない。いや、考えればわかる程度のことだが、それを考えるのがおっくうだ。 パソコンで作成するようになってからは、作り出したら一晩で出来てしまうほど手軽に…

家族の人形と猫の人形

今年も、筑豊山中で正月に開かれる木工の展示会に行ってみた。そこで小さな猫の人形を購入する。展示室の隅に置かれた試作品のようだったが、ご主人の内野筑豊さんに頼んで売っていただいた。 我が家には、十数年前に内野さんから買った家族の人形がある。こ…

ひろちゃんとため池

大井のひろちゃんの家に夫婦で年始の挨拶にうかがう。ひろちゃんは、庭で小魚や野菜を干す作業をしていた。体調を崩していると聞いていたが、思ったより元気そうで安心する。 ひろちゃんは昭和16年生まれで、大井川歩きでは、僕の師匠のような人だ。もう5年…

平知様と「知盛の最期」

平知様(ヒラトモサマ)は、大井川歩きの聖地にして原点だから、初詣を欠かすわけにはいかない。里山のふもとまで車で移動し、足をいたわりつつ標高120メートルの頂上を目指す。途中、倒れた竹を押し分けながら、前に進む。この荒れ方では、今後は参拝も難し…

自転車で初詣

歩きを控えなければいけないので、自転車で初詣に出かける。 和歌神社、水神様、大井始まった山伏様にお参りして、村はずれの観音堂と大クスに挨拶しているときに、町内放送が鳴る。和歌神社の新年会の参加の呼びかけだ。 宗像大社までの車道には、すでに車…

『年末の一日』と佐藤泰正先生

芥川龍之介に『年末の一日』という短編があって、この時期になると読み返したくなる。自死の前年の1926年に発表された私小説風の小品だ。 新年の文芸雑誌の原稿をどうにか仕上げてお昼近くに目覚めた芥川は、知り合いの新聞記者とともに、没後9年になる漱石…

こんな夢をみた(出オチ)

大きな校舎のような建物だった。僕はある課題を与えられた。一つの部屋に様々な小道具が置かれている。それを自由に使って、別室で待つ人たちの前で、何か面白いことを演じないといけない。 初めは少し複雑な設定を考えていたのだが、直前になってそれを取り…

語り部として

年末のファミレスで、友人と4時間ばかり議論をする。経験やフィールドは違っているけれども、なぜか問題意識や感覚がそっくりな友人なので、ずいぶんと頭の中が整理できた。 僕はある旧村の里山に開発された団地に転居してきた。土地とのかかわりは偶然だっ…

新年の抱負

数年前、地域の自治会長を引き受けてしまったときのことだ。自治会長は毎月、役員さんたちと各組の組長さんたちを集めて、公民館で会議を開く。その前年、組長としてその会議に参加して、一言の発言の機会もなく、役員さんたちのだらだらと続く議論を聞くの…

森で招く赤い人影の恐怖

毎日、通勤の車で森の中の道を走っている。道の両側の草が刈られたので、森の中が見とおせるようになった。暗い森では、雑草も茂らないのだ。 12月も半ばを過ぎて、森の中のあちこちに赤い人影のようなものが立ちすくんでいるのに気づいた。暗い森の中で、…

フェルメールの部屋

いつの間にか、フェルメール(1632-1675)が大人気で、チケットに日時指定があるのには驚いた。10年前に、やはり上野でフェルメールの作品を集めた展覧会があったときも、ここまでではなかった気がする。 僕がフェルメールの名前を知ったのは、浅田彰がさっ…

『キッチン』その後

『キッチン』の読書会のあと、「真顔でケンカをうっているみたいだった」と言う人がいた。この作品が好きで課題図書に押した人の意見を全否定しているみたいに取られたのだろう。自分としては根拠を示して批判したつもりだが、反省してみれば、そういう発想…

ムンクの黄色い丸太

仕事が終わってから、金曜の午後の上野公園にいく。フェルメール展の入場予約時間にまでしばらくあるので、東京都美術館のムンク展をのぞいてみることに。 ムンクは、西洋美術館で大きな展覧会を観た記憶があたらしい。その時は、ムンクの絵が塗り残しがある…

詩集『錦繡植物園』 中島真悠子 2013

5年ばかり前、新聞の夕刊に彼女の詩が載っていた。新聞で詩を読む機会はめったにないのだが、そのときは読んでとても気に入った。それで、大きな書店まで彼女の詩集を買いに行った。 詩集は、気楽に読み通したりできない。買ったばかりで何篇かめくってみた…

にゃんにゃんの日

壁塗りの職人さんから、イヤホン越しに呼び出される。仕事の話かと思ったら、家の前の側溝の中から猫の鳴き声が聞こえるという。住宅街の側溝は、コンクリートで蓋をされており、ところどころ鉄柵がはめてある。鉄柵のはずし方がわかれば、助けたいとのこと…

古本市の大井川書店店主

津屋崎の旧玉乃井旅館でのトロ箱古本市に、昨年に引き続き出品する。津屋崎の漁港では、魚を入れるトロ箱が並んでいる。「一箱古本市」をもじった命名だ。 今回は勤務で会場には行けないので、文字通り小さなビニールケース一箱だけの参加となった。今回は、…

『キッチン』 吉本ばなな 1987

読書会の課題図書。近来稀な不思議な読書体験だった。微妙に違う方向を向いたセリフやふるまいが並ぶため、イメージがハレーションを起こし、どの登場人物も生きた人間としてリアルな像を結ばない。たとえば、祖母の死という決定的な出来事の受け取り方でも…