大井川通信

大井川あたりの事ども

大井川歩き

石炭ケーブルカー

「よいことを聞かれた」と、ハツヨさんの口ぶりがいっそう元気になる。僕がふと思いついて、石炭を運ぶケーブルカーのことを知らないか尋ねてみたときだ。 隣村からの往還(道)の上を、ケーブルカーが通っていて、その車輪がぐるぐる回っていたそうだ。石炭…

盆うた

日当たりのいい庭で、みんなで話を聞いていると、103歳のハツヨさんは突然、思い出したという風に手をたたいて、ゆっくりと盆おどりの歌をうたいだす。 ハツヨさんは、村では歌姫と呼ばれて、盆踊りの歌い手としてかかせなかったそうだ。他の娘さんたちで…

大井川歩きのこと

お年寄りは時間と空間の見当を失いがちになる、という村瀬孝生さんの言葉を聞いてから、ずっとそのことが気になっている。 僕が、大井川歩きのルールを決めたのは、4年前のことだ。自宅から、歩いて帰ってくることのできる範囲を、特別な自分のフィールドと…

老人ホーム「ひさの」を訪ねる

大井炭鉱坑口にお参りしたあと、下流の隣村まで足を伸ばす。ゆったりとして明るい集落の旧家で、住宅型有料老人ホーム「ひさの」をしている田中さんを訪ねる。田中さんは、原田さんのお店で以前から顔見知りだけれども、ご自宅に伺うのは初めてだ。 田中さん…

大井炭鉱跡再訪

ようやく休日の晴天と体調がかみあって、双眼鏡を首にかけ、竹の杖をついて大井川に降りていく。氏神様と田んぼの真中の水神様に、しばらく足が遠のいていたことを詫びる。水神様の上空でホバリングして、ヒバリがせわしなく高鳴きをしている。そういえば、…

疎開の意味

戦争中の生活を描いた『夏の花』の連作を読むと、「疎開」にもいろいろな種類があることがわかる。そもそも、疎(まば)らに開く、だから、原義は軍事作戦用語で、集団行動している兵を散らして攻撃目標となるのを避けることのようだ。 主人公は、千葉から実…

砕けるような祈り

世間では、桜の花盛りである。ぼうっとした薄いピンクの雲がまちのあちこちに広がっている。公園や道路などの土地の造成で、そこら中に桜を植えすぎている気さえする。村里の遠景に、桜が一本目をひくくらいの方が、なんだか好ましい。 夕方、大井川の岸辺を…

大井川歩きで山城に登る

穏やかな日差しに誘われて、久しぶりに大井川歩き。天候やら用事やらで地元を歩くのはだいぶ間があいてしまった。歩くとまちがいなく楽しくいろいろ発見もあるので、これからはできるだけ毎週歩こうと、あらためて思った。 ダムで見慣れぬ大きな水鳥をみつけ…

『稼ぐまちが地方を変える』 木下斉 2015

昨年から、地元のまちづくり関係のワークショップや話し合いの場に出るようにしている。そこで驚いたのが、若い不動産オーナーが、コミュニティやまちづくりの構想と実際の経営とを両立させていることだった。あるいは、古い空き家の再生や活用を、新たなマ…

給水塔の話

年末、海に近い町の小さな本屋さんを夫婦で訪ねた。古い時計店を改装したお店で、前の半分はカフェとなっている。妻が盛んにカフェの方の店主に話しかけて、コーヒーの注文をした。あとで聞くと、イケメンだと興奮している。薬を変えて体調が戻り、そんな元…

ある訃報

石牟礼道子さんが亡くなった。水俣病を告発し支援し続けた作家として、地元の新聞では一面トップと社会面で特大の扱いをしている。僕は『苦海浄土』すら読んでいないし、高群逸子を扱ったシンポジウムで、上野千鶴子らと登壇している姿を見たことがあるくら…

ゲンゴロウの狡知

ほとんどの水生昆虫は、空気中から酸素をとりいれて呼吸している。水中に身をひそめているゲンゴロウも、頻繁に水面に上がってきて、素早くおしりを水面に突き出し「息つぎ」の仕草を見せる。 面白いのは、空気をため込む場所である。固い前羽と背中の間にす…

「冬の盆」から6年

その演劇ワークショップに申し込んだのは、ちょっとした気まぐれだった。しかし偶然が重なり、2年越しの参加となって、実際の小劇場の舞台に立つことになる。それがちょうど6年前。 公立劇場の先進的な取組に、多田淳之介という優れた演出家が力をふるった…

霜柱とぬかるみ

東京都心で、48年ぶりに零下4度を記録したそうで、霜柱の写真が新聞に出ていた。多摩地区の府中市では、なんと零下8度だったそうだ。地球温暖化やヒートアイランド現象の影響だろうか、夏はかつてよりも熱くなり、冬は以前ほど寒くなくなった体感がある…

ゲンゴロウの躍動

ゲンゴロウというと、開発によって生息できる環境が少なくなり絶滅寸前になったひ弱な昆虫、というイメージがあるかもしれない。しかし、ハイイロゲンゴロウだけは、別の種と思えるほどのたくましさがある。 まず、その泳ぎ方だ。舵の壊れた暴走モーターボー…

ゲンゴロウの誘惑

今の住宅団地に引っ越して20年になる。はじめはJRの駅やバイパスの方ばかり向いて暮らしていた。高台から反対に降りた側にある、里山のふもとの小さな集落のことなどまったく気にかけていなかった。そういう住民が今でもほとんどだろう。僕がこの土地に目…

ヒラトモ様のご褒美

少し遅くなったけれども、天気がいいので、ヒラトモ様の里山に初詣に行く。山道は、両側から竹が倒れていて、少し歩きづらくなっている。道が途切れ、きつい山の斜面を登っているとき、ひらひら歩く襟巻のようなイタチとすれちがう。 ヒラトモ様の石のホコラ…

ランドマークとしての神々

国立の実家に帰ると、谷保にでかける。かつて段丘下に田んぼが広がって多摩川まで続いていたのだが、今は住宅街に姿を変えて面影がない。しかし段丘に沿った谷保天満宮の境内だけは、子どもの頃遊んだ姿とほとんど変わらない。 国立は大正時代に街の開発とと…

フリースペースとしての神々

近隣にある集落が、里山の山上にクロスミ様という神様をまつっている。集落の人口が減りだしたときに、住民たちがクロスミ様をおろそかにしたためではないかと考えて、ホコラを囲う小堂をつくり、それだけでなく、由来を書いた説明板と、街道脇にクロスミ様…

年末にニュータウンの境界を歩く

郊外のリノベーションの連続ワークショップで、自分の経験から、開発団地の境界付近が面白いという発言を何回かした。年末時間が空いたので、当該ニュータウンの境界線を実際に歩いてみることにする。大晦日という一年の境界の日の、黄昏時という昼夜の境界…

木で作る話

ずいぶん久しぶりに筑豊山中の木工の展示会に顔を出した。夫婦と帰省中の長男と3人、正月のドライブを兼ねて。工房「杜の舟」の主人内野筑豊さんは、絵や文もたしなむ才人で、常に新たな造形を生み出す作家性と、ていねいに作品を作りこむ職人気質を兼ね備…

木を倒す話

正月も特別な休みのない次男を、暗い中、駅まで送る。ついでに早朝の大社に初詣に寄った。駐車場は早くも車がごった返しているが、列をつくるほどではない。例年よりなぜか夜店が少なく、北海道から来る名物女将の「東京ケーキ」が店を出していないのが気に…

プライバシーの境界線

日本全国もそうなのだろうが、僕の住む地域はとんでもない冷え込みである。真冬の一番寒い時のような気候が、12月に入って続いている。例年12月は、けっこう暖かい日が続いていたと思う。そんなわけで大井川歩きの看板が泣くような休日を過ごしているの…

キッザニアのマーケティングに学ぶ

キッザニアの立ち上げから関わってきたマーケッターの関口陽介さんの話を聞く機会があった。キッザニアは、主に小学生を対象にして、リアルな職業体験を提供する教育娯楽施設で、今大変な人気だそうだ。ライバルの多い子供向けの施設の中で、独自の市場を獲…

『古代から来た未来人 折口信夫』 中沢新一 2008

地元の大井川の周辺を歩くと、まず目につくのは、平地に広がる田畑である。あるいは、里山に植林された針葉樹であったり、斜面に広がるミカン畑であったりする。大地や川や山は「物質」であり、それが育む稲や麦、果実は「生命」だ。集落には人々が住み、田…

こころって困った宝だ (原田一言詩抄)

三枚目は、一番弱々しい言葉だ。そのせいかどこか頼りない書体で書かれている。しかし、僕はこの一枚が、一番原田さんらしい言葉だと思う。自分のこころを前にして、困り顔で立ちすくむ姿が目に浮かぶ。心は素晴らしいものであると宣伝される。しかし、本当…

独りを知る そこにみんな (原田一言詩抄)

ここでは、一見「人知れず私」とはまったく反対のことが書かれている。しかしここに矛盾を見る必要はない。まずは人知れない〈私〉として世界に登場したあとの自分は、つまり「世界内存在」としてある自分は、世間知や宗教や科学がいうように、ありふれた共…

人知れず 私 (原田一言詩抄)

大井村の賢人原田さんは、荒れ果てた民家を借りて、何年もかかってほとんど一人で改修して、古民家カフェの体裁を整えた。僕が四年ほど前にたまたま入店したのは、そのリニューアルオープン日だった。早朝の新聞配達で店の運営を支えていた原田さんは、幼稚…

クマバチの意志

近所のため池で、クマバチを見かける。秋に見ることは珍しいような気がして、図鑑で調べると、それそろ活動期間の終わりの時期だった。 昔図鑑で見るクマバチの姿は、大型のハチにしてはまるっこくて胸の黄色と黒いおしりもかわいらしく、いかにも狂暴そうな…

樋井川村から大井村へ

近所の大規模住宅団地で、今、ニュータウンのリノベーションの動きが起きている。先月から毎回ゲストを招いて「郊外暮らしの再成塾」が開催されていて、今月が株式会社樋井川村の村長を名乗る吉浦隆紀さんだった。所有と市場をベースに、おおきなうねりの発…