大井川通信

大井川あたりの事ども

大井川歩き

笠仏さま

笠仏(かさぼとけ)さまの絵本の製作が、頓挫している。聞き取りができたのが、4年前。3年前には、簡単な絵コンテを妻に渡した。妻が実際に絵を描いたのは、その1年後だが、その時には僕も気乗りがしなくなっていて、妻の絵を2年間放置している。 大井の…

大井のはちみつ

家を一歩もでたくない。ゼンマイがほどけてしまったような、電池が切れてしまったような休日が、僕にはよくある。そんな日は、本も読まずに、何も考えずに、昼寝をしたりして一日を過ごす。 お腹がすいたので、一枚の食パンを取り出し、はちみつをたっぷり塗…

大井川沿いを「ひさの」まで歩く

朝、家を出る。久々に遠出を考えて、遠くに見える多礼村の里山を目標にしようと思い立つ。大井川の水辺で、イソシギがおしりを振っているのを眺めてから、古民家カフェの村ちゃこに寄ったのが間違いだった。 村の賢人原田さんが難しい顔をして、何やら書をし…

大風の中の大井川

遠くに過ぎたはずの台風の余波でまだ風が吹き荒れているときに、僕は高台の住宅街を降りて、大井川に向かった。もちろん危険というほどの状態ではないのだが、念のために帽子をかぶって。 大風を浴びながら、大井を歩いてみたかったのだ。周囲が刈り取られた…

万延元年のフットパス

朝思い立って、久しぶりに大井川歩きに出かける。 まず隣の地区の公園へ。ここでは次男に自転車の練習をさせた思い出がある。自治会の役員の時には、グランドゴルフの練習もしたっけ。しばらく来ない間にすっかり他人行儀の表情をした場所になっている。 僕…

三年目を迎えて

一昨年の10月からブログを毎日書き続けて、ちょうど丸二年がすぎた。毎日書くようにしたのは、僕がきわめつけの怠け者で、そういう縛りがなければ書き続けられないのがわかっていたからだ。しかし、ただの日記を公開するのなら、それは本人の実際の姿と同じ…

彼岸花の行進

僕が今住んでいる地域は、市街地の周囲にある程度の自然が残されている。近隣にでかけるときには、農地の景色にふれないということはない。細かい農業の段取りについて知っているわけでなくとも、何年も暮らしていて自然と目につき覚えるようになった季節ご…

僕は自分の方法をもっと信じなければいけない

妻が20年ばかり通っている彫金教室を、猫を連れて訪ねる。マンションの一室の工房を先生が改装したので、そのお披露目の会があるのだ。猫との外出は初めてなので、エサやらトイレの砂やらを車に持ち込む。こんなふうにあれこれ気を使うのは、子どもが赤ちゃ…

役場とヒバリと山伏様の銀杏と

本当に久しぶりに、休日の朝の町を歩く。馬場浦池では、カイツブリの親子を発見。もう一人立ちして、立派に潜水を繰り返している子どもだが、まだエサはうまく取れないのだろう。水面に出るたびに親が口移しでエサを与えている。 旧街道沿いを歩いて、旧役場…

村の賢者がインスタをはじめる

大井の古民家カフェに村の賢者原田さんを訪ねると、表情が明るい。話を聞くと、自分の作品をインスタに上げるようになって、見てくれる人の数が増えているのだという。僕が勉強部屋代わりに使っている近所のファミレスがあって、以前から食事をする原田さん…

大井で花見に歩く

年度がわり前後の忙しさが一段落して、久しぶりの大井川歩き。テーマは花見。間に合ってくれただろうか。 まず、ババウラ池をのぞく。稲作に備えて水をためた池に、ちゃんとカイツブリの夫婦がいる。少し離れたイケノタニ池にも。一昨年は、早めに水の抜かれ…

安部重郎氏のこと(祖母の思い出)

大井村本村の住人安部重郎氏(1899-1982)は、母親の33回忌(1971)に親族に話した内容を、「我が家我が父母」という手記にして残している。現在は東京の田無(田村隆一の詩「保谷」の隣町)に住む重郎氏の娘さんからお借りして、読むことができた。 40頁ほ…

方角に祈る

昨晩は、宗像大社の近くに自動車を置きっぱなしにしていたので、午前中、ゆっくりと大社までの4キロばかりの道のりを歩く。昨日、諸星さんと車で走った道を感無量でながめたりしながら。以前のようにやみくもに歩いていたときに比べて、足の故障であまりたく…

大井炭鉱跡とミロク様に詣でる

ひろちゃんの娘さんと待ち合わせて、大井炭鉱跡を案内する。昼前には小雨がぱらついて、怪しい雲行きだ。一人では心細くて、とても荒れた里山には入れないだろう。 娘さんはひろちゃんから鍛えられているだけあって、荒れ果てた竹やぶも急な斜面もスタスタと…

ひろちゃんとため池

大井のひろちゃんの家に夫婦で年始の挨拶にうかがう。ひろちゃんは、庭で小魚や野菜を干す作業をしていた。体調を崩していると聞いていたが、思ったより元気そうで安心する。 ひろちゃんは昭和16年生まれで、大井川歩きでは、僕の師匠のような人だ。もう5年…

平知様と「知盛の最期」

平知様(ヒラトモサマ)は、大井川歩きの聖地にして原点だから、初詣を欠かすわけにはいかない。里山のふもとまで車で移動し、足をいたわりつつ標高120メートルの頂上を目指す。途中、倒れた竹を押し分けながら、前に進む。この荒れ方では、今後は参拝も難し…

自転車で初詣

歩きを控えなければいけないので、自転車で初詣に出かける。 和歌神社、水神様、大井始まった山伏様にお参りして、村はずれの観音堂と大クスに挨拶しているときに、町内放送が鳴る。和歌神社の新年会の参加の呼びかけだ。 宗像大社までの車道には、すでに車…

語り部として

年末のファミレスで、友人と4時間ばかり議論をする。経験やフィールドは違っているけれども、なぜか問題意識や感覚がそっくりな友人なので、ずいぶんと頭の中が整理できた。 僕はある旧村の里山に開発された団地に転居してきた。土地とのかかわりは偶然だっ…

試練はつづくよ どこまでも

今年の3月には左ひざ、8月には右足首を痛めて、整形外科に駆け込んだ。軽いぎっくり腰や首のねちがえで整骨院に頼るのは定期的なことだが、足の痛みで歩けなくなるのは今までなかった気がする。 10日ばかり前に数日間集中的に歩いたあとに同じ左ひざが痛く…

自分が歩く範囲に責任をもつ

自宅から、歩いて帰れる範囲を自分のフィールドとする。フィールド内の自然も歴史も出来事も、全て自分の責任の範囲内と考える。これが、僕の大井川歩きの原則である。それなりの経緯があってたどり着いた方法論なので、自分なりには確信があるから、機会が…

イソシギと赤い実

日曜日の晴れた朝、久しぶりに大井川べりを歩く。狭い川底に、おしりを上限に振りながら歩いている地味な鳥がいる。尾羽は短く、まるっこい。イソシギだ。何年も前からこのあたりで見かける。 小さな橋を渡って、村の賢人原田さんの住まう古民家カフェへ。賢…

赤松と黒松

昔、知人から、赤松と黒松の松葉の見分け方を教えてもらったことがある。そのときは、樹木にも、まして松葉には特に関心がなかったので、そんなものかと聞き流していた。 大井川歩きを始めて、地元を意識するようになった。今の地元は、海沿いなので、黒松が…

クロスミ様とアミダ様

久しぶりに、クロスミ様にお参りしようと思って、朝一番で近所の里山を目指す。数年前に、ミカン畑がソーラー発電に変わってしまってから、山道にトラックが入らなくなってしまったために雑草が道を覆い隠している。イノシシもこわい。あえなく断念して降り…

とあるブックカフェで

近在の集落に面白いブックカフェがあると聞いたので、訪ねてみた。真新しい住宅街に囲まれて、ひっそりと鎮守の森と集落が連なる路地がある。その突当りに、蔵を改装したカフェがあった。 ご主人と奥さんが、主に休日に開いていて、お茶を飲みながら、棚に並…

榜示(ぼうじ)とクスの木

ようやく涼しい日が続くようになってきた。今年は、7月から連日の猛暑が続き、8月のお盆がすぎても、暑さが手をゆるめなかった。35度超が当たり前だった。足首を痛めるというアクシデントも加わり、しばらく歩いていなかったのだが、今朝久しぶりに、住…

千灯明と「がめの葉饅頭」

ハツヨさんの故郷、平等寺の地蔵堂で千灯明があると聞いたので、かけつける。まだ明るかったので、ハツヨさんの生家の脇の路地を上り、高台のため池ごしに、ミロク山の姿に手をあわせる。僕は、この村を舞台にしてハツヨさんの生い立ちを絵本にするつもりだ…

ムジナが落とした物語がひょっこり別所に届けられる(貉の生態研究⑥)

【物語の誤配/交配】 大井村の力丸家の由来を描いた絵本「大井始まった山伏」は、その唯一の伝承者睦子さんの病床に届けることができた。枕元で絵本を読み上げると、苦しい息の下で、物語の展開の創作に喜んでいただける。 平知様の物語は、紙芝居となって…

ムジナの霊が現れて今いるムジナに舞いを教える(貉の生態研究⑤)

【身振りの模倣】 70年以上前、大井の村人がおこなったという戦勝祈願にならって、古式にのっとり(この時ばかりは)自転車に乗って、和歌神社、摩利支天、宮地嶽神社、金毘羅様、田島様と「五社参り」を敢行する。 かつての木剣の代わりに「木の根」が献納…

ムジナが物語をくわえて方々に走り出す(貉の生態研究④)

【虚構の介入】 かつて北九州枝光での演劇ワークショップで、演出家の多田淳之介さんは、参加者に地元の事物をネタに寸劇を作らせて、それを実際に上演することで、鮮やかに「虚構」を地域の歴史につなげてみせた。自ら何年も枝光の盆踊りに飛入り参加し続け…

ムジナがうろつく土地が意味にみちてくる(貉の生態研究③)

【フィールドの情報化】 寺社やホコラ、ため池、アパートなど土地のさまざまなモノは、それぞれの歴史をもつ。それぞれの歴史は、それに立ち会う生き証人をもつ。あるいは多少の記録をもつ。町角やあぜ道でよろよろと歩きながら登場するお年寄りたちは、個人…