大井川通信

大井川あたりの事ども

建築

日本海海戦記念碑をめぐって④【海と空の博覧会】

★有名建築家との因縁をめぐる調査から、一変、戦前の博覧会のハリボテへの連想とその根底にある呪術的思考への考察へとすすんでいく。こうした飛躍と思弁が、良くも悪くも僕の作文の持ち味かもしれない。 【海と空の博覧会】 では記念碑を戦艦の形にしてしま…

日本海海戦記念碑をめぐって③【建築家 徳永庸】

★徳永庸については、すでにこのブログに書いている。玉乃井プロジェクトの終了後、古賀市青柳の生家跡や国立市の旧居を訪ねたりした。福岡県内の作品では、旧福岡銀行門司港支店が結婚式場に模様替えされ、久留米市中心街のカトリック教会が改修を経て現役で…

日本海海戦記念碑をめぐって②【伊東忠太と幻の設計】

★地方の無名の記念碑は、意外にも伊東忠太という全国区の名前と結びつき、僕自身の故郷での記憶につながっていく。 【伊東忠太と幻の設計】 安部正弘氏の伝記『いのちの限り』には、海戦記念碑の建設の経緯に触れた部分があって、大正10年(1921年)に記念事…

日本海海戦記念碑をめぐって①【はじめに】

★13年前の玉乃井プロジェクトでの僕の作文「日本海海戦記念碑をめぐって」を、7回に分けて章ごとに紹介したい。なお、東郷平八郎の書による碑文は「紀念碑」と刻まれているが、この作文では、通常の表記に従っている。地元では知られた東郷公園と記念碑が、…

伊東忠太と徳永庸

安部正弘氏の手記には、大正10年(1921年)に日本海観戦記念事業を思い立ち、翌年には、建築界の権威伊東忠太博士に設計を依頼したことが記されている。伊東忠太(1867-1954)は、スケールの大きな建築史家、建築家として知られる。明治時代に「建築」とい…

建築家徳永庸のこと

安部さんからメールで、「日本海海戦紀念碑」の設計者についての質問が入る。「徳永庸」という名前を思い出して返信したのだが、決して有名ではない彼の名が、すぐに浮かんだのが不思議だった。たしかに15年ばかり前に因縁があったのだが、今の僕は中年過ぎ…

『建築をつくる者の心』 村野藤吾 なにわ塾叢書 1981

丹下一門の構想力の正史と、それを「どや建築」と捉える裏面史との二冊の本を読んだところで、今度は、彼らの先輩格にあたる筋金入りの建築家である村野藤吾(1891-1984)の本を読んでみる。4回にわたる市民講座で講師を務めた時の後述筆記がその内容だ。 …

『非常識な建築業界』 森山高至 光文社新書 2016

先日読んだの『丹下健三』(豊川斎赫著)は、丹下健三とその弟子の有名建築家たちの構想力と作品を、戦後建築史として肯定的に描きだしたものだった。 今回の本は、いわばその裏面史ともいうべきもので、彼らの仕事を身もふたもなくぶった切るものとなってい…

『丹下健三』 豊川斎赫 岩波新書 2016

僕はもともと古建築が好きだったのだが、社会人になってからは、近代以降の建築もぼちぼち見るようになった。 古建築は、様式が主役だ。寺院や神社などの宗教建築が中心で、建物の用途も限られている。様式を覚えることで、いっそう興味をもっておもしろく見…

不動院金堂 広島県広島市(禅宗様建築ノート3)

広島の不動院金堂に訪れたのは、もう35年くらい前の話になる。内部の拝観をさせていただいたが、本尊への参拝もそこそこに天井やら柱やら内部架構ばかり見上げていたから、住職に急かされて、ちょっと気まずい思いをしたのを覚えている。 建築書の図版で見る…

『改訂 古建築入門講話』 川勝政太郎 1966

学生の頃買った本で、その時の書店まで覚えている。京王線府中駅近くの大きな本屋さんだった。一回手放してしまい、いつか手に入れたいと思っているうちに絶版となってしまった。 昨年500円で新刊書同然のきれいな本をみつけたのは、国立駅前の古本屋さんだ…

「日本の住まいは腰から下の空間がとても豊かだ」

村瀬孝生さんの『ぼけてもいいよ』(2006)から。 近年の日本の住まいは、欧米のまねをして、ダイニングテーブルの高さからしつらえが始まり腰から下の空間が忘れられている、と村瀬さんはいう。もともと日本の住まいは、座面からしつらえが始まり、そこから…

組物を手にして小躍りする

以前ホコラの修繕のワークショップでお世話になった建築士の金氣さんから、組物をいただいた。金氣さんが関わっているお寺の改修があるから、その時不要の組物を取っておいていただけるという話だったのだ。しかし、実際に手にすると小躍りしたくなる気分と…

「共鳴りの術」と日本の家

玉乃井カフェを訪ねて、主の安部さんと話している時、古い家屋で耳に入る音について話題になった。 築百年の木造の旧旅館は、雨だれや風の音など、さまざまな自然の音を増幅してひびかせる。また、屋内で生じるささいな音、例えば時計の機械音なども、はっと…

深夜の楼門

深夜に衛星放送を見ていたら、三億円事件をモデルにした昔の二時間ドラマ「父と子の炎」を放映していた。事件は未解決だけれども、フィクションで真犯人の姿を描いたものだ。 事件は、高度成長期の1968年。ドラマの制作は消費社会の入り口の1981年。この13年…

『20世紀建築の空間』 瀬尾文彰 2000

僕が建築の本を読むのはなぜだろう。もちろん建築の設計をするわけではない。建築の鑑賞も、趣味といえるほど熱心に行っているわけでもない。ただ、建築に関する語彙や語り方を学んで、自分が生きている世界について理解する手がかりを得たい、という漠然と…

『現代建築の冒険』 越後島研一 2003

中公新書の一冊で、建築の一般書として特別に評判を呼んだ本ではないのだろうが、僕にはとても重要な本だ。10年ぶりに再読して、あらためてそう思った。 10年前読んだあとに、東京の都心部を歩いてみて、著者のいう④「縦はさみ型」のビルが多くあることに目…

町家の離れでごろごろする

用事で遠方に出向いたら、その近くに白壁の古い町並みがあった。江戸時代からの土蔵造りの商家が、かなり残っている。国から保存地区の指定を受けて、それなりに観光地として売り出してはいるようだが、平日の昼間のせいか、人の姿はほとんどない。第一、真…

東大寺南大門の悲しみ

東大寺南大門の前には、たくさんの観光客がごったがえしていた。修学旅行生とともに、外国人旅行者が目立つ。以前は、ここまでの喧騒はなかったはずだ。しかし南大門は、相変わらず、鎌倉時代以来の風雪を身にまとったまま、喧騒のなかを、すっくと立ち尽く…

棟梁の仕事ぶり

玉乃井DIY講座で、今日は、ホコラの建具(扉)の制作を手伝う。もっとも、細かい作業になれば、僕などいっそう戦力にはならない。指示通りにほぞやほぞ穴の墨入れ(といっても鉛筆書きだが)をしたり、丸鋸で切り込みを入れてもらった後に、カンナで余分の材…

町家というもの

港町津屋崎の中心に構える豊村酒造の建物について、文化財修復の専門家の話を聞く。酒造全体では、明治から大正にかけて蔵などの諸施設が建設され、建坪千坪に及ぶ建物群を形成しており、歴史的な価値をもっているそうだ。しかし、やはり目を引くのは、店舗…

職人さんたちと

学校を卒業して、保険会社で働き出したころ。当時、事務処理でようやくコンピューターが登場したばかりの頃で、日常の図表などはふつうに手書きしていたし、計算も電卓だった。どちらも苦手な僕は、勝手の違う世界にすっかりくたびれていた。 人と紙の商売と…

『図解 古建築入門』 西和夫 1990

今、DIY講座で小さなホコラの改修を手伝っている。部材を完全にばらして、できるだけ古い部材を活かす。一部が傷んだ部材は、全体を交換するのではなく、そこだけ新しい材で埋木する。こうした考え方は、テレビドキュメンタリーで見た本格的な文化財の修復と…

ホコラを修復する

小さな木造のホコラの修復作業で、一日大工仕事をする。生涯はじめての事だ。宮大工の末席のそのまた末席に連なったみたいで、うれしい。 津屋崎の旧玉乃井旅館の玄関脇にある恵比寿様の修復を行うプロジェクトに応募したのだ。寺社建築に実績のある建築士と…

『やねのいえ』 てづかたかはる+てづかゆい 2014

昨年末、ある会合で、建築家手塚貴晴さんの講演を聞いた。手塚さんは、真冬なのに青いTシャツ姿で、いつもそれで通しているのだという。ちなみに奥さんの由比さんは赤い色で、たしか二人のお子さんにも固定したイメージカラーがあるとのことだった。講演の…

「ガラスの茶室 ー 光庵」 吉岡徳仁

知人に誘われて、デザイナー吉岡徳仁(1967-)の作った「ガラスの茶室」の展示を美術館に観に行く。想像以上によかった。魅入られた。 ステンレスの細い柱で組まれたシンプルな構造物。柱から少し内側に四方をガラスで仕切られた空間がある。屋根はシンプル…

橋の保存について

富岡八幡宮の近くに、明治11年に架けられた国産第一号の鉄橋である八幡橋(旧弾正橋)が保存されている。昭和4年に八幡宮に近い場所に架け替えられて、改称されたそうだ。長さ15メートルで、幅2メートルほどの小さな人道橋である。 人通りの少ない遊歩道…

『塔の思想』 マグダ・レヴェツ・アレクサンダー 1953

国立駅前の古書店で見つけて、古い本だが面白そうなので買ってみたが、当たりだった本。池井望の訳で、河出書房新社から1972年に出版されている。 余談だが、若いころは古本屋が大好きだったのだが、いつ頃からか、人の手垢のついた古い本というのがダメにな…

興国寺仏殿 福岡県福智町(禅宗様建築ノート2)

念願の禅宗様についての文章を書きはじめることができたので、地元では貴重な禅宗様仏殿に立ち寄ってみた。なだらかな傾斜地の奥の山懐にある曹洞宗の寺院で、なんど訪れてもロケーションはすばらしく、参拝の途上、伽藍を遠望できるのもいい。禅寺としての…

懸造は岩壁にはりつくバッタである

宇佐神宮から内陸に入ったところに院内という町があって、そこには町のいたるところに大小の石の眼鏡橋がかかっている。その町の山深い集落に、龍岩寺がある。僕はこの寺が好きで、若いころから何回もお参りしてきた。 狭い石段を登ると、小さなお寺の建物が…