大井川通信

大井川あたりの事ども

思想家たち

子どもの呼び名

吉本隆明は子どもの時、家族や友達から、「金ちゃん」と呼ばれていた。上級学校では、理屈っぽさから「哲ちゃん」と呼ばれたというのは、吉本らしい。(『少年』1999) なぜそう呼ぶのかのを親戚のおばさんに聞くと、タカアキが、タカキ、タカキンとなり、そ…

父親と吉本隆明

ある吉本論について、吉本を持ち上げるばかりで、吉本についての全体的で総合的な認識をつくっていない、それは吉本の精神にかなっていないのではないか、と批判を書いた。僕自身たいして読者ではないが、長く吉本が気にかかってきた者として、自分なりの吉…

吉本隆明の講演会

講演会で、吉本の話を二度聞いたことがある。1985年に、初めて吉本の姿を見たときの印象は強烈だった。マイクの前にたったのは、いかつい職人のような男で、話し始めても、語気が強くまわりくどい例の語り口だったから、これがあの吉本隆明なのかとあてがは…

『最後の吉本隆明』 勢古浩爾 2011

読書会の課題図書で読む。僕より少し若い人による選定。世評の高い吉本を知っておきたいという動機からのようだった。もし吉本コンプレックスというものがあるなら、そんなものは必要ないことをいいたくて、多少力を入れて読んでみた。 吉本の忠実な読者によ…

『マルクスの根本意想は何であったか』 廣松渉 1994

お盆に偶然、廣松渉の生家跡を訪ねることになった時、出かけに書棚から抜き出した本。この時期は、亡くなった人のことを思い返すのにふさわしい。お盆の習慣がない家に育ったために、今頃になってそんなことに気づく。往復の西鉄電車で、筑後地方の田園風景…

廣松渉の生家跡再訪

10年ほど前に、廣松渉の小学校時代について聞き取りをした。上司が廣松と同郷で、たまたま上司の母親が小学校の同級生だったのだ。その時のエピソードは「廣松渉の少年時代」という表題で、ブログに載せている。 昨年末に上司のお母様が83歳で亡くなられて…

みたび、柄谷行人のこと

最初に就職した会社を3年で辞めて東京に帰ってきてから、とある塾の常勤講師として働くことになった。腰掛のつもりが居心地がよく、結局3年勤めることになる。ある程度時間に余裕があり、将来の目標も定まっていなかったので、講演会やシンポジウムの類に…

ふたたび、柄谷行人のこと

七月のうちから猛暑日がえんえんと続いたり、台風が東海地方から新幹線の下りに乗るみたいに逆走してきたり、と今まで経験したことのない異常気象が続いている。そのせいか、頭がボーっとして書く意欲がわかない。昨日の流れで、柄谷行人の小ネタで、お茶を…

柄谷行人のこと

社会人になって二年目の長男と電話で話をした。息子は、父親が金曜日の夜にあんなに機嫌が良かった理由がわかった、という。日曜日の午後になると憂鬱になるよね。月曜になってしまえば、その気になれるのだけど。そうそう、と勤め人として共感しながら、だ…

生死巌頭に立在すべきなり

日付を見ると、2001年6月29日とあるが、朝日新聞夕刊の「一語一会」というコーナーに、今村仁司先生のエッセイが掲載された。仏教哲学者清沢満之の言葉を取り上げたもので、清沢の原文は次のように続く。「独立者は、生死巌頭(しょうじがんとう)に立在すべ…

学の道

今村先生は、晩年、清澤満之の著作との出会いを通じて、仏教の研究にも取り組むようになった。清澤満之の全集の編集委員を務めたし、清澤関連で3冊を上梓し、最後の出版は親鸞論だった。その中で、新しい人との出会いも多くあったようだ。ネットを見ても、…

お風呂場のデリダ

今村先生の講義を聞くようになった大学の後半、僕は、地元の友人たちといっしょに公民館で地域活動にかかわるようになった。70年代に「障害者自立生活運動」が巻き起こった土地だったから、当時周囲にはアパートで自立生活をする「障害者」とそれを支える…

シンポジウムの廣松渉

今年がマルクス生誕200年であることを、テレビで偶然知った。ドイツのマルクスの故郷に中国が記念の銅像を贈ったということを、昨今の中国の動きとからめて批判的に紹介するニュースだった。ソ連の崩壊と冷戦の終結で、資本主義と民主主義が勝利し、もう「歴…

今村ゼミの思い出

当時は、就職活動の解禁は、大学4年の6月くらいだったような気がする。卒業後就職して会社員となるというイメージしかなかったから、大学では3年から保険法の就職ゼミに入っていた。一年間、今村先生の講義を熱心に聞いて、さて学生最後の一年をどう過ご…

井之頭公園のアルチュセール

僕が今村仁司先生の存在を知ったのは、大学3年になったばかりの時だった。法学部に入学して、大学受験の延長戦で、司法試験の受験勉強に取りかかったものの、すぐに息切れしてしまった。目的を見失うと、無味乾燥な「解釈法学」の勉強は、およそ色あせたも…

『現代思想のキイ・ワード』 今村仁司 1985

5月5日は恩師の今村先生の命日なので、追悼で何か読もうとして、一番手軽そうな新書を手にとってみた。社会人2年目に出版と同時に読んでから、読み通すのはおそらく30数年ぶりになる。しかし、手軽と思ったのは大間違いだった。 当時流行していた「現代…

哲学者廣松渉の少年時代

本屋に行ったら、岩波文庫の新刊の棚に、廣松渉の『世界の共同主観的存在構造』が並んでいた。初めての文庫化ではないが、岩波文庫に入るのは古典として登録されたようでまた格別だ。廣松渉の逝去から、もう20数年が経つ。僕自身は、廣松さんの話を直接聞い…

また身の下相談にお答えします 上野千鶴子 2017

上野さんが新しいフェミニズム論をひっさげて活躍していたころ、僕も若かったこともあって、だいぶ影響を受けた。冷戦終結の頃と思うが、社会主義がテーマの大きなシンポジウムで、壇上にいた大御所のいいだももが、フロアの上野に向けて「理論的挑戦をした…

岡庭と吉本(再論)

どうだろうか。岡庭昇と吉本隆明は、その思想の骨格において、その批評の構えにおいて、似ているといえないだろうか。 そうでないという人は、考えてみてほしい。 詩人として出発し、影響力のある詩論を書き、ジャンルを超えて文学に精通し、その根底に独自…

メディア戦略

岡庭と吉本⑧ 吉本隆明は、雑誌「試行」を主宰するとともに、数多くの講演に出向いて、読者と直接向き合った。 岡庭昇も、雑誌「同時代批評」の編集・発行を行い、定期的な連続シンポジウムを開催した。また自著の出版を自から手がけた。

アマチュアイズム

岡庭と吉本⑦ 吉本隆明は、アカデミズムの外で独自の知を生み出して、在野の評論家一本で生活した稀な存在だった。 一方、岡庭昇も、テレビ局職員という、多忙で花形の職業をこなしながら、余技でない独立の評論活動を貫いた点で比類がない。

罵詈雑言

岡庭と吉本⑥ 吉本隆明は、論敵に対して、レッテル貼りや決めつけなどして、激しい口調で罵倒することもいとわなかった。それに拍手喝采する向きもあったようだ。 岡庭昇は、吉本の罵倒の被害者でもあったのだが、全方位に向けた「徹底粉砕」では負けていなか…

宗教論

岡庭と吉本⑤ 吉本隆明は、キリスト教や仏教を広く論じて宗教論集成を出版しているが、90年代には、オウム真理教の麻原彰晃を擁護する発言で物議をかもした。 岡庭昇は、メディア批判や社会批判の一方、創価学会を擁護する立場を明らかにし、池田大作を論じ…

ポストモダン

岡庭と吉本④ 吉本隆明は、オイルショック以後の社会の変化を受けて、批評のスタンスを変更した。『マスイメージ論』で大衆文化を論じ、先進国が「超資本主義」へ入った時代を独自の視点でとらえるようになる。 同じころ、岡庭昇も狭義の文芸評論の枠組みから…

世界文学

岡庭と吉本③ 吉本は、古典や詩歌から、近現代また国内外の文学を、普遍的な相で論じることができた。 岡庭昇もまた、漱石から戦後の諸作家、近現代の諸詩人だけでなく、例えばフォークナー論を一冊にまとめるなど外国文学についても、一貫した視座から論じて…

言語思想

岡庭と吉本② 吉本隆明の思想の根底には、『言語美』等で展開される、言葉や観念に対する原理的な把握があることは、よく知られている。 一方、岡庭昇にも、「規範言語論」とも呼ぶべき、言葉と観念をめぐる本質的な理解があって、それが、詩論、文学論、メデ…

詩と詩論

岡庭と吉本① 吉本隆明は詩人であり、詩についても多く論じている。前の世代の戦争詩を批判したり、70年代には、同時代の詩を「修辞的現在」として総括したりもした。 岡庭昇も、詩人として出発し、2冊の詩集と2冊の詩論を編んでいる。「芸の論理」による…

岡庭と吉本

岡庭昇を読み直すときに、吉本隆明の軌跡を参照軸にすることもできるだろう。それぞれの読者からは異論があるだろうが、両者には意外に多くの共通点がある。 一知半解を承知で、その共通点を挙げていく。狙いは、「戦後思想の巨人」に照らして、岡庭昇の仕事…

岡庭昇

学生の頃、市立図書館で岡庭昇の朔太郎論を偶然手にとって、衝撃を受けた。 等身大の言葉が世界とわたり合う力をもつ、と知って。 以来、言葉への密かな信仰を持ち続けている。