大井川通信

大井川あたりの事ども

批評

『雨の日はお化けがいるから』 諸星大二郎 2018

ほぼ新作のみの作品集だけれども、いい方向に予想が外れて面白く、一気に読めた。民俗もの、少年の非日常体験、中国もの、ナンセンス、ギャグ、異世界もの等、バラエティに富んで初期の本のような楽しさがある。実は先日三巻で完結した現代が舞台の魔術もの…

『雨・赤毛』 モーム短編集 新潮文庫

◎『雨』 キリスト教の罪悪や恥辱の観念の本質が、宣教師デイヴィッドソン夫妻の言動を通じてえぐられる思想劇。南洋の現地人の文化や奔放な若い女性トムソンに対して、かれらは信仰において容赦ない。南洋の洪水のような雨の「原始的自然力のもつ敵意」を前…

『うしろめたさの人類学』 松村圭一郎 2017

この本を読者への「越境的な贈り物」にしようとする著者の真面目さは疑えないが、一読後の印象は微妙で、少なくとも『弱いつながり』のような希望を感じることはできなかった。その理由を考えてみる。 当初の連載時のテーマが「構築人類学入門」だったためだ…

『ジゴロとジゴレット』 モーム傑作選 新潮文庫(その2 )

◯『マウントドラーゴ卿』 登場人物は3人。精神分析医のオードリン医師と、診察室で向き合う外務大臣のマウントドラーゴ卿。そして患者の悪夢に登場する下院議員のグリフィス。 オードリン医師は、患者を治す特別な資質に恵まれているために名医とされるが、…

『弱いつながり』 東浩紀 2014

新年からすがすがしい本をよんだ。昨年は新刊の『観光客の哲学』に出会って、だいぶ考えさせられて、とても役に立ったけれども、東浩紀は何年も前からこんなすっきりした文体を手に入れていたんだと感心する。なんのてらいも臭みもなく、新鮮で大切な知見を…

『東京少年昆虫図鑑』 泉麻人(文) 安永一正(絵) 2001

泉麻人は、僕より5歳ほど年長だ。高度成長期の東京で5年の差というのは大きい。ただし23区内に育った泉よりも、はるか西の郊外育ちの僕の方が自然に恵まれていたとはいえるだろう。いずれにしろ、虫をめぐる共通の体験が、当事者ならではの重箱の隅をつ…

『ジゴロとジゴレット』モーム傑作選 新潮文庫

◎「征服されざる者」 昔、柄谷行人の講演で、坂口安吾論を聞いたことがある。無慈悲に突き放される物語にこそ文学の原型がある、という安吾のエッセイを中心に論じていた。この小説を読んで、そのときの話を思い出した。この短編の読後感は、僕には『月と六…

『奇妙で美しい石の世界』 山田英春 2017

著者の名前にひかれて、自分にはずいぶん場違いな本を買ってしまったと思っていた。主に瑪瑙(メノウ)などの石の断面の「奇妙で美しい」模様を図版で解説する本だ。しかし読みながら、自分も石について興味があって、何冊も本持っていることを思い出した。…

その後の樋口一葉

読書会で、樋口一葉(1872~1896)の短編の続きを考えるという課題がでた。一葉の小説を読むと、まず大人の世界がしっかり描かれていることに驚く。脇を固める市井の人たちが生き生きとして実に魅力的だ。 主人公の方は『にごりえ』のお力、『十三夜』のお関…

『敗者の想像力』 加藤典洋 2017

加藤典洋は、比喩の使い手だ。思ってもみないような比喩を持ち出し、作品や現実の意外な真実を引き出す。それが何年か前に、久しぶりに彼の本を手に取ったとき、その比喩の精度がずいぶん落ちたような印象を受けた。この新著でその印象は決定的になった。全…

『月と六ペンス』 サマセット・モーム 1919

読書会で『月と六ペンス』を読んだ。こういう機会がないと、確実に生涯読むことのない作品だ。モーム(1874~1965)が想像より現代に近い作家であること、とても面白い短編を書いていること、など知ることもできた。若い世代が中心の読書会なので、彼らの本…

『魔障ヶ岳』 諸星大二郎 2005

考古学者稗田礼二郎が活躍する漫画「妖怪ハンター」シリーズの一冊。出版当時読んだときは、ラッパーの教祖が出てきたり、旧石器ねつ造事件を話題にしたりと、ストーリーもとっちらかった感じで、あまりいい印象ではなかった。そう思ったのは、物語の中心に…

テッド・チャン その他の短編

『あなたの人生の物語』を含む短編集(2003 ハヤカワ文庫SF)について、再読に備えての覚書。一読後のメモのため、間違いや誤解を含む。 ◎『バビロンの塔』 バベルの塔が完成し、天に届いたという幻想的な設定を、天の表面を「掘りぬく」ために塔に登る鉱…

新宿思い出横丁と『永続敗戦論』

今回の帰省では、喜多方ラーメン坂内ばかり食べていた。立川店、有楽町店、そして新宿思い出横丁店。坂内は、とろけるようなチャーシューが特徴なのだが、カウンターだけの小さな思い出横丁店は、歯ごたえのあるチャーシューが、それも他店の倍くらい入って…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その3)

この小説を原作とする映画『メッセージ』(原題はArrival)をビデオで見た。原作と比較しながら見たために、純粋に映画自体に入り込めなかったかもしれない。普通に見ていたなら、上質なSFとしてもっと楽しめただろうと思う。 映像になると、異星人や彼らと…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その2)

主人公は、ヘプタポッドの文字群をマンダラのようだと述べている。前回書いたように、言語の形式的な特徴のみで未来をのぞくことは難しいとしても、この言語に宿る実質的な別の力によってそれが可能になるのではないだろうか。人類がもつもので、この言語に…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その1)

僕にはもう10年以上やっている少人数の勉強会がある。毎月開催が理想だが、何年もあいてしまったこともある。今のメンバーは、文学、映画、現代美術が専門のAさんと、映画など映像関係が専門で博覧強記のYさんと、三人でやっている。多少の批評好きという程…

『古代から来た未来人 折口信夫』 中沢新一 2008

地元の大井川の周辺を歩くと、まず目につくのは、平地に広がる田畑である。あるいは、里山に植林された針葉樹であったり、斜面に広がるミカン畑であったりする。大地や川や山は「物質」であり、それが育む稲や麦、果実は「生命」だ。集落には人々が住み、田…

『死者の書』折口信夫 1943

ある読書会で『死者の書』を読む。課題レポートを事前に提出するやり方は初めてだったが、とてもよく機能していた。読書会で起こりがちなのが、発言者と発言内容がかたよってしまうことだ。そして、悪貨は良貨を駆逐するの言葉どおり、本の内容から離れた世…

現代教養文庫のラインナップ

現代教養文庫は一風変わった文庫だった。文学と古典が中心だった老舗の文庫に対して、新書に入るような入門書や、単行本のような評論集、翻訳もの、変わり種の小説など、ごった煮のようなラインナップだった。社会思想社の文庫だから、社会科学系もそろって…

『やまとことばの人類学』 荒木博之 1983(中動態その6)

この本も『中動態の世界』への不満から、積読の蔵書から手にとったもの。その点でいえば、日本語が、ヨーロッパの言語と同様に能動対受動を根本的な対立としているかのような妄言を、完膚なきまでにたたきつぶしている。しかも、きわめて具体的に、そして平…

詩人村野四郎のこと

鹿は 森のはずれの/夕日の中に じっと立っていた/彼は知っていた/小さな額が狙われているのを/けれども 彼に/どうすることが出来ただろう/彼は すんなり立って/村の方を見ていた/生きる時間が黄金のように光る/彼の棲家である/大きい森の夜を背景…

哲学者廣松渉の少年時代

本屋に行ったら、岩波文庫の新刊の棚に、廣松渉の『世界の共同主観的存在構造』が並んでいた。初めての文庫化ではないが、岩波文庫に入るのは古典として登録されたようでまた格別だ。廣松渉の逝去から、もう20数年が経つ。僕自身は、廣松さんの話を直接聞い…

『小さい林業で稼ぐコツ』農文協編 2017

農家の仕事なら、ふだん目にするから、なんとなく想像できる。林業となると、見当もつかなかったが、近所の里山に出入りするようになると、植林された林や、伐倒の跡など、林業の痕跡を意外に身近に見ることができた。しかし、今、山が荒れているとよく耳に…

『ビブリオ漫画文庫 』山田英夫編 2017

ちくま文庫所収の本をめぐる漫画アンソロジー。本をテーマにした漫画を集めると、結果として古本屋を舞台にしたものが多くなるのはなぜだろう。 先日、一箱古本市というものに初めて出店した。主催者が出店が少なくて困っているというので、実際は一箱ではな…

『西田幾多郎』 永井均 2006 (中動態その5)

少し前に『中動態の世界』を読んだときに、能動と受動の対立を当然の前提として議論を始めていたのがひどく乱暴な気がした。哲学はこの辺をもっと繊細にあつかっていたはずと思って、とりあえず心当たりを再読したのがこの本だ。 この本では、日本語的把握と…

旺文社文庫の箱

だいぶ前に発行をやめてしまったが、学生時代には、旺文社文庫が好きだった。文庫には珍しく箱入りの時代もあって、当時は古本屋の棚でそれを見かけることができた。箱がなくなったあとのカバーも、他の文庫とは違って一冊ごとに違うデザインで装丁されて明…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その4)

ずいぶん乱暴な感想を書いてきたが、最後にさらに身勝手な連想をつけくわえたい。 著者が、能動/中動という、行為の二類型を時間をさかのぼって取り出したのは刺激的だった。著者は、この対立概念は基本的に抑圧されたままだと結論づける。しかし、それでは…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その3)

ほんの少し前までは、つぶやく、というのは徹底して私的な行為だった。独り言を小石のように道端に投げ捨てる。言葉は、即座に砂利に紛れて消滅し,当の本人は、つぶやいたことなどすっかり忘れて、目的地へと急いでいる。行為者は、つぶやきという行為の外…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その2)

それでは著者は、中動態をどのように定義するのか。「主語が動詞によって示される過程の外/内のどちらにあるか」が、能動態と中動態との区別の基準だという。中動態は、主語(行為者)がある過程の内部にいることを示す、と。これは、あっけないほど簡単な…