大井川通信

大井川あたりの事ども

批評

世代について

『現代社会はどこに向かうか』の読書会が終了。やはり、この本だけを対象にすると、著者の議論は突っ込みどころ満載という感じで、参加者の心を深くとらえるものとはならなかったようだ。見田宗介の全盛期を知る者としては、ちょっとつらい。 再読するといっ…

写真家藤原新也の話を聞く

世界遺産沖ノ島の写真展で、神社の宝物館に藤原新也が来館した。僕には、1983年の『東京漂流』のベストセラーで懐かしい名前。トークイベントでの藤原さんは、小柄でお洒落な老人といった風情だ。 古代人は眼で決めていたはずだから、写真家と共通している。…

寝具にくるまって

体調がすぐれなくて、寝具にくるまって休んでいる時に、ふとこんなことを考えた。 たとえば、圧倒的な権力や経済力を誇っている人物にしたって、あるいは、何かの分野で突出した才能を発揮して名声を勝ち得ている人間にしたって、一日に一度は、こうして寝具…

LGBT(性的少数者)をめぐって

職場でLGBTについての研修会があった。こうした場で当時者の話を聞くのは何度目かである。そこでの、ざっくりした印象。 僕は80年代前半の学生の時に、東京郊外で、「障害者」自立生活運動とかかわりをもった。90年代以降は、被差別部落の運動と断続的にかか…

写真を撮りましょうか?

家族連れで、観光地を歩いた。本当に久しぶりのことだ。子どもがなんとか仕上がるまでは、経済的にも、精神的にもそれどころではなかったので。 若い女性から、写真を撮りましょうか、と不意に声をかけられる。いや、大丈夫です、ととっさに答えてすれちがう…

「当事者マウンティング」について(その3)

かなり以前のことになるが、ある「当事者」の運動において、差別葉書が連続して送付されて話題となったことがあった。同じ被害者のもとに届く差別葉書は何十通にも及んで、その内容はエスカレートしていく。被害者のことは運動の機関誌でとりあげられ、集会…

「当事者マウンティング」について(その2)

「当事者マウンティング」という造語について、それが、多数派であり、強者である「当事者」をターゲットにしているから、問題ないのではないか、ということを書いた。 たしかに、この言葉が、少数者であり、被差別者である「当事者」に対して使われる可能性…

「当事者マウンティング」について(その1)

たまたまネットで、「当事者マウンティング」という記事を読んで、しばらく考え込んでしまった。若いころ、この問題をめぐってずいぶん消耗した記憶があるからだ。 一読して、あるカテゴリーの当事者というくくりの中には、多様な要素がある。その差異性を抹…

平山鉱業所の話(その2)

津屋崎海岸に面して建つ旧旅館に住む友人がいる。その旧旅館の別館を老朽化のために取り壊すことになった。友人は、現代美術にかかわりを持つ人だったから、その前に旧旅館全体を会場にして、現代美術展をおこないたい。それも半年くらいの期間を使って、会…

平山鉱業所の話(その1)

新刊の『絵はがきの大日本帝国』(二松啓紀著 平凡社新書)をながめていたら、産業発展をあつかった章で、炭鉱関連の二枚の絵葉書の画像があった。ただ二枚とも平山鉱業所のものなのが、少し意外な感じがした。全国には、はるかに規模が大きくて有名な炭鉱が…

人類の未来

ウェルズの『タイムマシン』を読む読書会で、「将来、人類の社会はどのようになっているか」という課題がでた。そんなことは全く考えたことがないけれども、話のタネになればいいので、ざっと考えて、次のように回答した。 ・2050年頃 世代間の対立。とくに…

雨ごいとW杯

子どもの頃、地理の授業で、降水量の少ない四国の讃岐平野にため池が多いと習った記憶がある。近所を歩くと、僕が住む地域も、小さなため池があちこちにある。ほとんど江戸時代に作られたもので、水量の豊富な川がないことが理由だろう。それでも日照りには…

親子は別れてはいけない

春、巣作りから始まるツバメの献身的な子育てが、間近で続いている。しかし、巣立ち後まもなく、親であり子であった事実は忘れ去られるだろう。 以前、内田樹のこんな言葉に救われたことがある。生物学的にいえば、親の唯一の役割は、こんな親と一緒にいると…

人は死んではいけない

開発が進むこの地域にも、大型の鳥の姿を見かけることは多い。トビや、アオサギやカワウなど。カラスだって、けっこう大きい。彼らの一羽一羽は、生まれ、育ち、老いて、死んでいっているはずだが、その死骸を見る機会はめったにない。残された森や里山の奥…

人を忘れるということ

うろ覚えなのだが、心に引っかかっていることがあるので、書いてみる。 ある高名な宗教学者の文章にこんな部分があった。彼は、死や老いについて繰り返し書いたり、語ったりしている人だ。アメリカ大統領の長年の友人が、あるときその元大統領が痴呆によって…

読書会三昧

大学の頃からの延長で、ずっと読書会というものにかかわってきた。友人や職場の同僚を誘って主宰したり、既存の会に申し込んで参加したりした。もし読書会がなかったら、社会人になってから勉強を継続することはできなかっただろう。その恩恵は感じる一方、…

中村宏と安部公房

安部公房の『飢餓同盟』を読みながら、中村宏(1932-)の初期の頃の絵を連想したので、久しぶりに画集をとりだしてみた。小説では、田舎町を舞台にして、動物めいたグロテスクな人物たちがうごめいて、革命や闘争が奇怪で生々しい展開を見せる。 この小説が…

「積極奇異」でいこう

僕は、人間の問題の大枠は、岸田秀の唯幻論で理解できると固く信じているので、「発達障害」についても、こんな風に思ってきた。 人間は本能の壊れた動物である。壊れた本能の代わりに、擬似本能として文化や自我をでっち上げて、なんとか種の存続を図ってき…

ゴーゴリ『死せる魂』を読む(その2)

第1部は、完成されて1842年に出版されたものだ。一方、第2部は、1852年の死の直前にゴーゴリが自ら原稿を焼却してしまったため、残った草稿やノートから復元したもので、分量も1部の半分程度である。未完だし、欠落や粗略も目立つ。しかし、通読して2部…

ゴーゴリ『死せる魂』を読む

子どもの頃から、ニコライ・ゴーゴリ(1809-1852)が好きだった。なんで好きになったのか、もう覚えていない。隣のいとこの家にあった少年少女世界文学全集で『外套』を読んだためかもしれない。唯一の好きな外国文学の作家で、それでロシア文学の勉強をし…

ほんとうの話 /うその話

僕は、若いころから、批評が好きだった。小説は、意識して読もうと思わない限り、手に取ることはない。ただ、世間では、本好きな人といえば、小説を楽しむ人が大部分だろう。しかし、小説好きでも、自分で小説を書いてみようという人は、それほど多くない気…

その後の樋口一葉

読書会で、樋口一葉(1872~1896)の短編の続きを考えるという課題がでた。一葉の小説を読むと、まず大人の世界がしっかり描かれていることに驚く。脇を固める市井の人たちが生き生きとして実に魅力的だ。 主人公の方は『にごりえ』のお力、『十三夜』のお関…

新宿思い出横丁と『永続敗戦論』

今回の帰省では、喜多方ラーメン坂内ばかり食べていた。立川店、有楽町店、そして新宿思い出横丁店。坂内は、とろけるようなチャーシューが特徴なのだが、カウンターだけの小さな思い出横丁店は、歯ごたえのあるチャーシューが、それも他店の倍くらい入って…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その3)

この小説を原作とする映画『メッセージ』(原題はArrival)をビデオで見た。原作と比較しながら見たために、純粋に映画自体に入り込めなかったかもしれない。普通に見ていたなら、上質なSFとしてもっと楽しめただろうと思う。 映像になると、異星人や彼らと…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その2)

主人公は、ヘプタポッドの文字群をマンダラのようだと述べている。前回書いたように、言語の形式的な特徴のみで未来をのぞくことは難しいとしても、この言語に宿る実質的な別の力によってそれが可能になるのではないだろうか。人類がもつもので、この言語に…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その1)

僕にはもう10年以上やっている少人数の勉強会がある。毎月開催が理想だが、何年もあいてしまったこともある。今のメンバーは、文学、映画、現代美術が専門のAさんと、映画など映像関係が専門で博覧強記のYさんと、三人でやっている。多少の批評好きという程…

『やまとことばの人類学』 荒木博之 1983(中動態その6)

この本も『中動態の世界』への不満から、積読の蔵書から手にとったもの。その点でいえば、日本語が、ヨーロッパの言語と同様に能動対受動を根本的な対立としているかのような妄言を、完膚なきまでにたたきつぶしている。しかも、きわめて具体的に、そして平…

『西田幾多郎』 永井均 2006 (中動態その5)

少し前に『中動態の世界』を読んだときに、能動と受動の対立を当然の前提として議論を始めていたのがひどく乱暴な気がした。哲学はこの辺をもっと繊細にあつかっていたはずと思って、とりあえず心当たりを再読したのがこの本だ。 この本では、日本語的把握と…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その4)

ずいぶん乱暴な感想を書いてきたが、最後にさらに身勝手な連想をつけくわえたい。 著者が、能動/中動という、行為の二類型を時間をさかのぼって取り出したのは刺激的だった。著者は、この対立概念は基本的に抑圧されたままだと結論づける。しかし、それでは…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その3)

ほんの少し前までは、つぶやく、というのは徹底して私的な行為だった。独り言を小石のように道端に投げ捨てる。言葉は、即座に砂利に紛れて消滅し,当の本人は、つぶやいたことなどすっかり忘れて、目的地へと急いでいる。行為者は、つぶやきという行為の外…