大井川通信

大井川あたりの事ども

批評

エピソードが思考する

前々回の記事の『ほんとうの道徳』の書評は、その本をめぐって、若い教育学者の友人と、何回かメールでやりとりしながら考えたことのエッセンスである。メールの分量は、僕が書いたものだけでも、この書評の5倍以上はあるだろう。 僕は専門の学校教育には不…

ポストモダンの時代感覚

吉村昭の『高熱隧道』の読書会に参加した時、僕の読みのポイントは、80年前の近代の暗黒期(戦時中)に遂行されたトンネル工事を題材にして、50年前の近代の充実期(高度成長期)を背景に執筆された作品を、現在のポスト近代の時代に読みあうことの意味を問…

自国の政治家/隣国の政治家

ネットを見ていると、自国の政治家(指導者、権力者、トップ)をあがめて、隣国の政治家をおとしめるコメントがあふれている。彼らはマスコミの報道などうそばかりだという。うんざりする。 一方、そうした風潮を批判する側の発信もあって、それによると自国…

『高熱隧道』 吉村昭 1967

読書会の課題本。吉村昭だし(といっても彼の作品をまったく読んでいないのだが)、ドキュメンタリーだし、あんまり文学的でなさそうだし、ということで全く期待してなかったのだが、どっこい、かなり面白かった。 一つには、これが黒部渓谷のトンネルの難工…

ある文芸評論家の死

加藤典洋さん(1948-2019)が亡くなった。冥福をお祈りしたい。90年代に、加藤さんを囲む会みたいな場所で、何度か話を聞いた。その風貌と話しぶりは、いかにも「文芸評論家」という感じで好感をもった。けれど、作品に関しては、当時から僕にはピタッとく…

三題噺の行方

今年になってから、気の合った同世代の友人との勉強会を続けている。月に一回、事前に日にちを決めて、ファミレスで4,5時間話をするだけの気楽な会だ。気楽だから、何の準備もないとただのお話会となってしまう。そこで、お互い、この一カ月の報告もかねて…

資源目録と経済倫理

およそ30年前の廣松渉の対談本を読み終わる。最後の章は、社会主義の行方という内容で、今読むと、とても古びた話題と理屈が語られている。冷戦崩壊直後の時代にはかろうじて認めることができた社会主義をめぐる希望や可能性が、その後完全に潰えてしまった…

『経済学のすすめ 私の体験的勉強法』 正村公宏 1979

自分自身の経済や経済学の勉強について、振り返ってみる。80年に大学に入学して、一年間マルクス経済学の原論の講義を、割と熱心に聞いた。永山武夫という労働経済が専門の先生で、素朴に製本した自分の講義ノートをテキストに使い、ひなびた感じの授業がよ…

分類法について

フーコー(1926-1984)は、『言葉と物』(1966)の冒頭で、中国のある百科事典の奇天烈な動物の分類法を紹介している。その分類では、動物を14のカテゴリーに分けるが、それは、「皇帝に属するもの」「芳香を放つもの」から始まり、「今しがた壺をこわし…

自分にとって特別な本

読書会で、珍しく自由回答の課題が出た。以下はその質問の要旨と回答。 ・特別な本 岡庭昇『萩原朔太郎』1981年読:この本で批評の世界を知る。 中川武『建築様式の歴史と表現』1987年読:この本で生活の迷路を抜ける。 永井均『〈子ども〉のための哲学』199…

昭和最後の日

1989年1月7日。当時、僕は東京八王子で塾講師をしていた。前年から昭和天皇の病状の報道が続いていたが、早朝に「天皇崩御」の報道があった。通勤の道を歩きながら、いつもは目をあわせることもない通行人たちの表情が気になり、その一人一人とほとんど目く…

平成天皇の顔

僕の父親は戦中派で、戦争で苦労した人間だから、天皇と天皇制と神道とを忌み嫌っていた。天皇がテレビに映るとチャンネルを変えていたし、実家では初詣の習慣すらなかった。僕はそんな空気の中で育ったし、大学に入ってからも、学問の世界や論壇では、まだ…

井伏鱒二を読む

読書会の課題図書で、井伏鱒二(1898-1993)の短編を集めた文庫が指定された。初めは、今さら『山椒魚』かと少しがっかりした。今はその不明を恥じるばかりだ。 なにより驚いたのが、漫画家のつげ義春(1937~)との類似性だ。つげが井伏鱒二を好きだとは聞…

いとうせいこうの沈黙

夕方、テレビを見ていると、教育テレビの子ども番組でいつものように、いとうせいこうが派手な衣装で出演している。まだやってるのか。チャンネルを変えると、そこにもいとうせいこうの大写しの顔が現れる。こっちはちょっと真剣な表情。 ローカルニュース番…

『蜜柑』と『檸檬』

読書会の課題図書で、梶井基次郎(1901-1932)の短編集を読んだ。学生時代、愛読していたつもりだったが、『檸檬』以外はあまり記憶に残っておらず、今読んでもピンとはこない。『檸檬』は別格という感じがするが、もし梶井が『檸檬』を書いていなかったら…

世代について

『現代社会はどこに向かうか』の読書会が終了。やはり、この本だけを対象にすると、著者の議論は突っ込みどころ満載という感じで、参加者の心を深くとらえるものとはならなかったようだ。見田宗介の全盛期を知る者としては、ちょっとつらい。 再読するといっ…

写真家藤原新也の話を聞く

世界遺産沖ノ島の写真展で、神社の宝物館に藤原新也が来館した。僕には、1983年の『東京漂流』のベストセラーで懐かしい名前。トークイベントでの藤原さんは、小柄でお洒落な老人といった風情だ。 古代人は眼で決めていたはずだから、写真家と共通している。…

寝具にくるまって

体調がすぐれなくて、寝具にくるまって休んでいる時に、ふとこんなことを考えた。 たとえば、圧倒的な権力や経済力を誇っている人物にしたって、あるいは、何かの分野で突出した才能を発揮して名声を勝ち得ている人間にしたって、一日に一度は、こうして寝具…

LGBT(性的少数者)をめぐって

職場でLGBTについての研修会があった。こうした場で当時者の話を聞くのは何度目かである。そこでの、ざっくりした印象。 僕は80年代前半の学生の時に、東京郊外で、「障害者」自立生活運動とかかわりをもった。90年代以降は、被差別部落の運動と断続的にかか…

写真を撮りましょうか?

家族連れで、観光地を歩いた。本当に久しぶりのことだ。子どもがなんとか仕上がるまでは、経済的にも、精神的にもそれどころではなかったので。 若い女性から、写真を撮りましょうか、と不意に声をかけられる。いや、大丈夫です、ととっさに答えてすれちがう…

天邪鬼について

読書会の課題図書で、岩波文庫のエドガー・アラン・ポー(1809-1849)の短編集を読む。『黒猫』『天邪鬼』で展開されている「あまのじゃく論」が新鮮だ。これが他の諸短編を貫いており、全編「天邪鬼小説」として読めるのではないか。 新鮮さの由来は、天邪…

「当事者マウンティング」について(その3)

かなり以前のことになるが、ある「当事者」の運動において、差別葉書が連続して送付されて話題となったことがあった。同じ被害者のもとに届く差別葉書は何十通にも及んで、その内容はエスカレートしていく。被害者のことは運動の機関誌でとりあげられ、集会…

「当事者マウンティング」について(その2)

「当事者マウンティング」という造語について、それが、多数派であり、強者である「当事者」をターゲットにしているから、問題ないのではないか、ということを書いた。 たしかに、この言葉が、少数者であり、被差別者である「当事者」に対して使われる可能性…

「当事者マウンティング」について(その1)

たまたまネットで、「当事者マウンティング」という記事を読んで、しばらく考え込んでしまった。若いころ、この問題をめぐってずいぶん消耗した記憶があるからだ。 一読して、あるカテゴリーの当事者というくくりの中には、多様な要素がある。その差異性を抹…

平山鉱業所の話(その2)

津屋崎海岸に面して建つ旧旅館に住む友人がいる。その旧旅館の別館を老朽化のために取り壊すことになった。友人は、現代美術にかかわりを持つ人だったから、その前に旧旅館全体を会場にして、現代美術展をおこないたい。それも半年くらいの期間を使って、会…

平山鉱業所の話(その1)

新刊の『絵はがきの大日本帝国』(二松啓紀著 平凡社新書)をながめていたら、産業発展をあつかった章で、炭鉱関連の二枚の絵葉書の画像があった。ただ二枚とも平山鉱業所のものなのが、少し意外な感じがした。全国には、はるかに規模が大きくて有名な炭鉱が…

人類の未来

ウェルズの『タイムマシン』を読む読書会で、「将来、人類の社会はどのようになっているか」という課題がでた。そんなことは全く考えたことがないけれども、話のタネになればいいので、ざっと考えて、次のように回答した。 ・2050年頃 世代間の対立。とくに…

雨ごいとW杯

子どもの頃、地理の授業で、降水量の少ない四国の讃岐平野にため池が多いと習った記憶がある。近所を歩くと、僕が住む地域も、小さなため池があちこちにある。ほとんど江戸時代に作られたもので、水量の豊富な川がないことが理由だろう。それでも日照りには…

親子は別れてはいけない

春、巣作りから始まるツバメの献身的な子育てが、間近で続いている。しかし、巣立ち後まもなく、親であり子であった事実は忘れ去られるだろう。 以前、内田樹のこんな言葉に救われたことがある。生物学的にいえば、親の唯一の役割は、こんな親と一緒にいると…

人は死んではいけない

開発が進むこの地域にも、大型の鳥の姿を見かけることは多い。トビや、アオサギやカワウなど。カラスだって、けっこう大きい。彼らの一羽一羽は、生まれ、育ち、老いて、死んでいっているはずだが、その死骸を見る機会はめったにない。残された森や里山の奥…