大井川通信

大井川あたりの事ども

批評

『ビブリオ漫画文庫 』山田英夫編 2017

ちくま文庫所収の本をめぐる漫画アンソロジー。本をテーマにした漫画を集めると、結果として古本屋を舞台にしたものが多くなるのはなぜだろう。 先日、一箱古本市というものに初めて出店した。主催者が出店が少なくて困っているというので、実際は一箱ではな…

旺文社文庫の箱

だいぶ前に発行をやめてしまったが、学生時代には、旺文社文庫が好きだった。文庫には珍しく箱入りの時代もあって、当時は古本屋の棚でそれを見かけることができた。箱がなくなったあとのカバーも、他の文庫とは違って一冊ごとに違うデザインで装丁されて明…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その4)

ずいぶん乱暴な感想を書いてきたが、最後にさらに身勝手な連想をつけくわえたい。 著者が、能動/中動という、行為の二類型を時間をさかのぼって取り出したのは刺激的だった。著者は、この対立概念は基本的に抑圧されたままだと結論づける。しかし、それでは…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その3)

ほんの少し前までは、つぶやく、というのは徹底して私的な行為だった。独り言を小石のように道端に投げ捨てる。言葉は、即座に砂利に紛れて消滅し,当の本人は、つぶやいたことなどすっかり忘れて、目的地へと急いでいる。行為者は、つぶやきという行為の外…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その2)

それでは著者は、中動態をどのように定義するのか。「主語が動詞によって示される過程の外/内のどちらにあるか」が、能動態と中動態との区別の基準だという。中動態は、主語(行為者)がある過程の内部にいることを示す、と。これは、あっけないほど簡単な…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その1)

昔からかかわっている読書会の課題図書として読む。よく売れていて、書評等でも評価は高いようだ。しかし、苦労して読んでみると、納得できなかったり、疑問を感じたりするところが多い本だった。たくさん考えさせられた、という意味では刺激的で得難い読書…

「秋の祈り」高村光太郎 1914

秋は喨喨(りょうりょう)と空に鳴り/空は水色、鳥が飛び/魂いななき/清浄の水こころに流れ/こころ眼をあけ/童子となる 多端紛雑の過去は眼の前に横はり/血脈をわれに送る/秋の日を浴びてわれは静かにありとある此(これ)を見る/地中の営みをみづか…

柿喰う客フェスティバル2017 「無差別」

劇団「柿喰う客」の旧作上演のフェスティバルで、「無差別」の再演を観る。面白かった。主宰の中屋敷法仁の才能と劇団の力量に、文句なく圧倒された。 やや前傾した円形の小さな舞台の上で演じ、踊るのは、黒いシンプルなコスチュームをまとった7人の女優だ…

また身の下相談にお答えします 上野千鶴子 2017

上野さんが新しいフェミニズム論をひっさげて活躍していたころ、僕も若かったこともあって、だいぶ影響を受けた。冷戦終結の頃と思うが、社会主義がテーマの大きなシンポジウムで、壇上にいた大御所のいいだももが、フロアの上野に向けて「理論的挑戦をした…

生態系カズクン 飛ぶ劇場 2017

1997年が初演。劇団30周年を記念して、出世作となった舞台の4度目の再演だという。祖母の通夜が行われる麦山家の一室に、おじやいとこなど、親族の面々が集まってくる。おそらくは架空であるこの地域は、死者に対する扱いに独特の風習があって、死者の魂が身…

荒神 宮部みゆき 2014

今年になって文庫化。恐ろしい山の神がもたらす災厄を江戸時代の山村を舞台に描いていると聞いて、ふだん手にしない人気作家の長編を読んでみた。おそらく娯楽小説としてよくできていて、とくに結末に向けてどんどん物語にひきこまれた。ただ、読書の関心が…

槻田アンデパンダンー私たちのスクラップ&ビルド展 2017

僕の住む町から遠くない工業都市では、古い木造の市場を見かけることができる。アーケードのかかった商店街ではなくて、入口には市場の名称を掲げた木造校舎みたいな大きな構えの建物の中に、細い路地のように通路が走り、いろいろな店が並んでいる。今のシ…

なぞり術/聞きなぞり 石野由香里 2017

知人の住む旧旅館で開催された「聞きなぞり」の実演に参加してみた。 座敷に座った若い女性が、しずかに老女になったかのように体験を語り始める。これは一人芝居なのではなく、彼女が実在の語り手の話を聞きこみ、それをそのまま再現しているのだという。パ…

アジア辺境論 これが日本の生きる道 内田樹 / 姜尚中 2017

内田樹の本を久しぶりに手に取った。 相変わらず、鮮やかな指摘(グローバル化で、自由という概念が「機動性」に改鋳された等)にうならされる一方、言葉の失速を感じる場面も多かった。 随分前、内田樹が中年過ぎて、学究と子育ての生活から論壇にさっそう…

ガクエン退屈男 永井豪 1971

子どもの頃読んで、忘れがたかった漫画。そう話したら、友人が貸してくれた。 1960年代後半の学生の反乱が、70年代に入り、あらゆる学校の広がり、教師が武器をとって学生を鎮圧し、学生ゲリラたちが解放のために戦う時代となる。文字通りの殺しあいであり、…

高階杞一詩集 ハルキ文庫 2015

1951年生まれの詩人の15冊の詩集からのアンソロジー。今では小学校の教科書にも載っている。平明な言葉で、素直な感情のひだをやさしくうたう。もちろん食い足りない人はいるだろうが、それが彼の選択した「詩」なのだろう。 僕は、突き抜けた設定で飄々と押…

アメリカ人はどうしてああなのか テリー・イーグルトン 2017

原書は2013年にアメリカで出版、原題は『大西洋の反対から-ある英国人のアメリカ観』というちゃんとしたもの。著者はイギリスの高名な批評家だが、読んだのは初めてだ。 ここにくだけた調子で書かれている内容は、日本ではおそらく西欧文化論とかポストモダ…

観光客の哲学 東浩紀 2017

とてもいい本だった。 リベラリズム、ナショナリズム、グローバリズム、そして観光客。キーワードは少ないが、論述は驚くほどていねいだ。 数少ない精選された概念で世界のリアルな見取り図を描くという、言うは易く行うは難い現代思想の課題をあっさり果た…

「イエスの方舟」論 芹沢俊介 1985

報道された情報だけを使って、自らの解釈と思弁を強引に進めていく手法は読みにくいが、かつての批評のスタイルなのだろう。ただ前半で、家族(対幻想)の解体と変容という物差しを振りかざして、「既成の価値体系」にしばられた親を貶め、イエスの方舟の新…

現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史 2017

イースト新書刊。本書の中で、月間150冊出版される新書が雑誌の代わりになったのが、論壇劣化の元凶のように言われているが、まさにそれを地で行くような内容だった。 ロスジェネ世代でもある社会学者北田暁大が、若者論の批判的研究をしている後藤和智と、…

南無阿弥陀仏 柳宗悦 1955

柳は、平易な新しい言葉で仏教を説くことの必要をとく。そして、念仏とは何か、阿弥陀仏とは何か、浄土とは何か、について現代人にも通じる本質的な説明を試みるのだ。 「少なくとも幾千万の霊(たましい)が、この六字で安らかにされたという事実を棄てるこ…

自由の彼方で 椎名麟三 1954

語り手は、1927年に数えで17歳の若き日の自分山田清作を「死体」として回想を始める。第一部では、親元を家出して、大阪でコックをしていた当時の不良少年仲間との交渉が語られる。第二部では、1929年に神戸で私鉄の車掌となり、非合法の共産党員となって労…

無邪気な人々 椎名麟三 1952

緒方隆吉が妻弘子と住む二階屋に、突如赤ん坊が届けられる。空襲で死んだはずの弘子の前夫が、弘子との間の子であるという戸籍とともに置いて、立ち去ったのだ。 敬虔なキリスト教徒の隆吉は、事態の不可解さとともに、重婚を犯した罪におののく。 赤ん坊の…

深夜の酒宴 椎名麟三 1947 

刑務所のようなアパートで、おじ仙三からの理不尽な責め苦に耐えて絶望を生きる須巻。収監者である住民たちは、困窮の中で、徐々に死にむかっていく。戦時中、挺身隊で働く工場の工員と付き合った(僕は自分の母からそんな思い出話を聞いている)という若い…

「演劇」覚書

「例えば映画なら、ストーリーに反するような事物や撮影機材がスクリーンに映り込むことは、原則ありえないでしょう。しかし、演劇は、反ストーリー的な要素を排除できないし、むしろそういう不純物の現前が演劇の存在意義、立脚点ともいえるわけです。 演出…

曜変

国宝曜変天目の再現にいどむ陶芸家の姿が忘れがたい。 テレビドキュメンタリーで、彼は、苦しくて仕方がない、とつぶやく。 それは、彼にとって作陶が目的でなく手段になってしまっているからだろう。完全な曜変の輝きを捕まえるための。

非対象化労働

物語を生み出すのが、対象化の働きなら、ゼロ記号は、拡散する舞台を一つにつなぎとめる。 それは、いわば非対象化の働きだ。 恩師が編んだ概念で、思考する喜び。

蜷川

初戯曲のミニ芝居は、成功裡に終わった。 勉強会の場所が、百年の歴史を持つ旧旅館で、虚構のネタに事欠かなかったから。 年末のテレビで、蜷川幸雄も言ってたっけ。記憶を組織するのがよい芝居、と。

ゼロ記号

三人の勉強会用に、簡単な芝居の台本を書く。 その場で実際に演じてから、演劇を論じ合う、という試み。 日常の居室を舞台へと転轍するためには、意味を欠いたゼロ記号の配備が不可欠、と実感した。

埴谷

CDで埴谷雄高の洒脱な語りを聞く。 台湾での少年時代、空気銃でスズメを撃ち落とした経験が、自分の文学につながっている、と。 しかし、そのスズメは比喩であって、本物の他者でないようにも思える。鳥を眺めながら、ただ暮らしている者からすると。