大井川通信

大井川あたりの事ども

批評

人は死んではいけない

開発が進むこの地域にも、大型の鳥の姿を見かけることは多い。トビや、アオサギやカワウなど。カラスだって、けっこう大きい。彼らの一羽一羽は、生まれ、育ち、老いて、死んでいっているはずだが、その死骸を見る機会はめったにない。残された森や里山の奥…

人を忘れるということ

うろ覚えなのだが、心に引っかかっていることがあるので、書いてみる。 ある高名な宗教学者の文章にこんな部分があった。彼は、死や老いについて繰り返し書いたり、語ったりしている人だ。アメリカ大統領の長年の友人が、あるときその元大統領が痴呆によって…

『目羅博士』 江戸川乱歩 1931

読書会で乱歩の作品を読んでいる時、隣の席の若い女性の参加者が、『目羅博士』が好きだと言った。『目羅博士』は、かつて僕も、乱歩の短編の中で一番好きだった。読み直してみると、少しも色あせてなくて、嬉しかった。ごく短いものだが、構成も内容も文体…

中村宏と安部公房

安部公房の『飢餓同盟』を読みながら、中村宏(1932-)の初期の頃の絵を連想したので、久しぶりに画集をとりだしてみた。小説では、田舎町を舞台にして、動物めいたグロテスクな人物たちがうごめいて、革命や闘争が奇怪で生々しい展開を見せる。 この小説が…

「積極奇異」でいこう

僕は、人間の問題の大枠は、岸田秀の唯幻論で理解できると固く信じているので、「発達障害」についても、こんな風に思ってきた。 人間は本能の壊れた動物である。壊れた本能の代わりに、擬似本能として文化や自我をでっち上げて、なんとか種の存続を図ってき…

ほんとうの話 /うその話

僕は、若いころから、批評が好きだった。小説は、意識して読もうと思わない限り、手に取ることはない。ただ、世間では、本好きな人といえば、小説を楽しむ人が大部分だろう。しかし、小説好きでも、自分で小説を書いてみようという人は、それほど多くない気…

その後の樋口一葉

読書会で、樋口一葉(1872~1896)の短編の続きを考えるという課題がでた。一葉の小説を読むと、まず大人の世界がしっかり描かれていることに驚く。脇を固める市井の人たちが生き生きとして実に魅力的だ。 主人公の方は『にごりえ』のお力、『十三夜』のお関…

新宿思い出横丁と『永続敗戦論』

今回の帰省では、喜多方ラーメン坂内ばかり食べていた。立川店、有楽町店、そして新宿思い出横丁店。坂内は、とろけるようなチャーシューが特徴なのだが、カウンターだけの小さな思い出横丁店は、歯ごたえのあるチャーシューが、それも他店の倍くらい入って…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その3)

この小説を原作とする映画『メッセージ』(原題はArrival)をビデオで見た。原作と比較しながら見たために、純粋に映画自体に入り込めなかったかもしれない。普通に見ていたなら、上質なSFとしてもっと楽しめただろうと思う。 映像になると、異星人や彼らと…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その2)

主人公は、ヘプタポッドの文字群をマンダラのようだと述べている。前回書いたように、言語の形式的な特徴のみで未来をのぞくことは難しいとしても、この言語に宿る実質的な別の力によってそれが可能になるのではないだろうか。人類がもつもので、この言語に…

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その1)

僕にはもう10年以上やっている少人数の勉強会がある。毎月開催が理想だが、何年もあいてしまったこともある。今のメンバーは、文学、映画、現代美術が専門のAさんと、映画など映像関係が専門で博覧強記のYさんと、三人でやっている。多少の批評好きという程…

『やまとことばの人類学』 荒木博之 1983(中動態その6)

この本も『中動態の世界』への不満から、積読の蔵書から手にとったもの。その点でいえば、日本語が、ヨーロッパの言語と同様に能動対受動を根本的な対立としているかのような妄言を、完膚なきまでにたたきつぶしている。しかも、きわめて具体的に、そして平…

『西田幾多郎』 永井均 2006 (中動態その5)

少し前に『中動態の世界』を読んだときに、能動と受動の対立を当然の前提として議論を始めていたのがひどく乱暴な気がした。哲学はこの辺をもっと繊細にあつかっていたはずと思って、とりあえず心当たりを再読したのがこの本だ。 この本では、日本語的把握と…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その4)

ずいぶん乱暴な感想を書いてきたが、最後にさらに身勝手な連想をつけくわえたい。 著者が、能動/中動という、行為の二類型を時間をさかのぼって取り出したのは刺激的だった。著者は、この対立概念は基本的に抑圧されたままだと結論づける。しかし、それでは…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その3)

ほんの少し前までは、つぶやく、というのは徹底して私的な行為だった。独り言を小石のように道端に投げ捨てる。言葉は、即座に砂利に紛れて消滅し,当の本人は、つぶやいたことなどすっかり忘れて、目的地へと急いでいる。行為者は、つぶやきという行為の外…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その2)

それでは著者は、中動態をどのように定義するのか。「主語が動詞によって示される過程の外/内のどちらにあるか」が、能動態と中動態との区別の基準だという。中動態は、主語(行為者)がある過程の内部にいることを示す、と。これは、あっけないほど簡単な…

『中動態の世界』(國分功一郎 2017)を読む(その1)

昔からかかわっている読書会の課題図書として読む。よく売れていて、書評等でも評価は高いようだ。しかし、苦労して読んでみると、納得できなかったり、疑問を感じたりするところが多い本だった。たくさん考えさせられた、という意味では刺激的で得難い読書…