大井川通信

大井川あたりの事ども

演劇

「宗像SCAN」(主催M.M.S.T.)を観る

日本と韓国の演出家と役者を地元に滞在させて、地域を題材にした演劇作品を制作上演してもらう、という企画を観ることができた。こんな企画が自分のフィールド内で行われること自体おどろきで、ありがたい。 もちろん規模や内容において制約や限界があるのは…

『九州男児劇 せなに泣く』 田上豊 作・演出 2018

2時間以上の芝居だったけれども、飽きることなく最後まで楽しむことができた。観劇後の満足感からも、とても上質な舞台だったのは間違いない。台本も役者も演出も、さまざまな面で水準を満たしているのは、素人の僕でもわかる。ただ面白い舞台と言うだけで…

『夜と耳』Ort-d.d(Theatre Ort)2012

安吾の短編集を読んで、6年前に観た小劇場の芝居を思い出した。安吾の『夜長姫と耳男』を原作とした劇だったからだ。 中年過ぎてから、とあるワークショップに参加したのをきっかけに小劇場の舞台を観出した僕は、なんとか舞台を観る眼を養いたいと、観劇リ…

『わかりあえないことから』 平田オリザ 2012

読書会の課題図書として再読。出版当時、すぐに読んでいる。それまでも、著者の本は、演劇や演劇史、演出の入門書で重宝していたので、これも抵抗なく面白く読んだ記憶がある。しかし、今回は近作の『下り坂をそろそろと下る』に大きなほころびを見つけてし…

『下り坂をそろそろと下る』 平田オリザ 2016

正直なところ、後味のわるい本だった。著者の本は、今までに何冊か読んできて、面白く読めた印象があったので、この読後感は自分でも意外だった。しかし、この後味のわるさは、この本の中心にドカッとすわっている。それをさけるわけにはいかない。 簡単にい…

「あゆみ」 劇団しようよ 2018

枝光のアイアンシアターに久しぶりに行く。市原さんが辞めてから、行ってなかった。枝光本町商店街は健在だった。もう商店街を舞台にした芝居、とかはやってないと思うが、そういうことと関係なく、したたかに生き延びている。演劇とか、現代美術とか、ある…

学芸会的な芝居について

知り合いに頼まれて、アマチュアの劇団がカフェでやる芝居を観に行った。ふだん小劇場の芝居しか観ないが、それも久しぶりだ。そういうものだと思って観たので、とくにがっかりしたとか、面白くなかったということはない。ただ、せっかくなので、そういう芝…

ある演出家のこと

昨年末、ある演出家のセクハラの話が、ネットニュースで大きく取り上げられた。ネット上でのセクハラ告発が評判になっているさなか、ハリウッドの大物プロデューサーの事件の日本版みたいな扱いも受けたようだ。 彼は、僕が6年前、地域密着型の演劇ワークシ…

「冬の盆」から6年

その演劇ワークショップに申し込んだのは、ちょっとした気まぐれだった。しかし偶然が重なり、2年越しの参加となって、実際の小劇場の舞台に立つことになる。それがちょうど6年前。 公立劇場の先進的な取組に、多田淳之介という優れた演出家が力をふるった…

柿喰う客フェスティバル2017 「無差別」

劇団「柿喰う客」の旧作上演のフェスティバルで、「無差別」の再演を観る。面白かった。主宰の中屋敷法仁の才能と劇団の力量に、文句なく圧倒された。 やや前傾した円形の小さな舞台の上で演じ、踊るのは、黒いシンプルなコスチュームをまとった7人の女優だ…

生態系カズクン 飛ぶ劇場 2017

1997年が初演。劇団30周年を記念して、出世作となった舞台の4度目の再演だという。祖母の通夜が行われる麦山家の一室に、おじやいとこなど、親族の面々が集まってくる。おそらくは架空であるこの地域は、死者に対する扱いに独特の風習があって、死者の魂が身…

「演劇」覚書

「例えば映画なら、ストーリーに反するような事物や撮影機材がスクリーンに映り込むことは、原則ありえないでしょう。しかし、演劇は、反ストーリー的な要素を排除できないし、むしろそういう不純物の現前が演劇の存在意義、立脚点ともいえるわけです。 演出…

非対象化労働

物語を生み出すのが、対象化の働きなら、ゼロ記号は、拡散する舞台を一つにつなぎとめる。それは、いわば非対象化の働きだ。 恩師が編んだ概念で、思考する喜び。

蜷川

初戯曲のミニ芝居は、成功裡に終わった。勉強会の場所が、百年の歴史を持つ旧旅館で、虚構のネタに事欠かなかったから。年末のテレビで、蜷川幸雄も言ってたっけ。記憶を組織するのがよい芝居、と。

ゼロ記号

三人の勉強会用に、簡単な芝居の台本を書く。その場で実際に演じてから、演劇を論じ合う、という試み。日常の居室を舞台へと転轍するためには、意味を欠いたゼロ記号の配備が不可欠、と実感した。