大井川通信

大井川あたりの事ども

点鬼簿

夏休みの詩の宿題

もう10年くらい前になると思うが、以前職場の同僚だった人から自分の子どもの夏休みの宿題の代作を頼まれたことがある。たしか間に誰かが入っていて、僕ならなんとかなりそうだということで話が回ってきたのだと思う。 仕方なしに、セミのネタで「夏の合唱…

追悼 イマニュエル・ウォーラーステイン

「世界システム理論」で著名な、歴史学者・社会学者のウォーラーステイン(1930-2019)が亡くなった。冥福をお祈りしたい。僕の学生時代には、すでに輝かしい名前だった。 手持ちの『史的システムとしての資本主義』を再読する。原著の元になった講義は、19…

河童忌に芥川龍之介の『河童』を読む

芥川龍之介(1892-1927)は、10代の頃の僕のアイドルだった。今も、唯一全集を持っている小説家である。だから、河童忌だけは、昔から忌日として意識していた。 芥川がアイドルだったというのが、僕の限界というか、いかにも自分らしい。漱石はもちろん、太…

桜桃忌に太宰治の『桜桃』を読む

今日は太宰治(1909-1948)の忌日の桜桃忌だそうだ。実家の比較的近くには太宰が入水したという玉川上水が流れているし、太宰の墓がある三鷹の禅林寺にも行ったことがある。 しかし桜桃忌を当日に意識したのは初めてのような気がする。ただ、意味記憶とエピ…

ムーミン谷の霊園

両親は、60代のうちに自分たちの墓地を購入していた。東京と埼玉との県境を過ぎたあたりで、JRと徒歩で行ける場所にあるから、当時でもそれほど安い買い物ではなかったはずだ。無神論者であるはずの父親のそんな振る舞いが、当時の僕には少し不思議な感じが…

いつも外を見とんしゃった

妻は博多の呉服町という下町の生まれだ。かつてミシン屋をしていた実家はもう取り壊されてしまったが、近所には間口の狭い商家が立て込み、大小のお寺が並んでいる。そんな町に育ったせいか、博多弁のなまりは強いほうだと思う。おかげで僕も影響されて、家…

ふるさとへ廻る六部は

伯父伯母の呼称というのは面白い。僕の両親とも戦前の人だったから、兄弟が多かった。年長の兄弟に対しては、赤坂のおばさん、誉田のおじさん、というように地名をつけて呼ぶ。年少の兄弟には、ふみ子おばさん、やすおおじさん、というように名前で呼んでい…

忌野清志郎の顔

衛星放送を見ていたら、忌野清志郎(1951-2009)の特集をやっていた。93年くらいに制作された番組で、インタビューやライブ映像などを取りまぜている。国立のたまらん坂の上で「多摩蘭坂」を歌い、国立駅北口で「雨上がりの夜空に」を熱唱する。 まだ少しく…

ハチの葬式

約束の午後1時に、もち山のクロスミ様の前の道を抜けて、山向こうの葬祭場に家族でむかう。ハチが悪さをしたとき、「もち山にすててイノシシに食べさせちゃうぞ」と妻が叱っていたことを思い出す。 葬祭場は、納骨堂や共同墓地を兼ねているので、休日のため…

ハチのお通夜

昨年のクリスマスの前に、我が家に迷い込んできた子猫のハチが死んだ。てんかんの発作を持っていたけれども、月に一度、何分間かで収まる程度だったので、獣医と相談して、ゆっくり投薬治療をしていけばいいと思っていた。 今回の発作は、一度収まったあとに…

ヤマシタキヨシさんの家

ヤマシタキヨシといえば、あの「裸の大将」だ、放浪の貼り絵画家だ、というのは、今の若い人たちにも通じるのだろうか。通じはしまい。人気テレビシリーズが終了したのは、20年前。その特別編として数作が放送されてからも、10年が経つ。せいぜいドラッグス…

井亀あおいさんのこと

10年前に小山田咲子さんの本を読書会でレポートするために、夭折した若者の日記で公刊されているものを探して読んでみた。有名な高野悦子の本は再読だったけれども、初読の時と同じく、平凡であまり魅力が感じられなかった。 驚いたのは、それほど世間には…

小山田咲子さんのこと

二年ばかり前、ネットが苦手の僕がたまたまブログの登録したときに、書き続けてもいいと思ったのは、以前に小山田咲子さんの書いたブログを読んでいたからかもしれない。 僕は、彼女が亡くなった後まとめられた『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛している』…

輪島の訃報

大相撲の元横綱輪島(1948-2018)が亡くなった。記録を見ると、初土俵から3年半で横綱に昇進したのが1973年で、引退が1981年。ちょうど僕の中学、高校の頃が全盛期で、家族の影響もあって、相撲を一番見ていた時代だと思う。 父親はしぶい取組の大関旭国が…

はさみでチョキン

もう20年も前の話だが、とても気難しい上司がいた。そのうえ、ほとんど口を開かない。部下が書いたあいさつ文を読み上げるときなども、すぐに声が小さくなり後半はほとんど聞き取れなくなる。僕はほんの若造だったから、職場で彼との接点はまったくといって…

影絵の世界

母親の義弟にあたる叔父から聞いた話。 僕の父親が、勤務先のミシン会社の同僚だった叔父を1年間じっくり観察した後で、この人なら大丈夫と、母の妹の結婚相手に紹介したのだという。勝気の叔母は、私は家のある人でないと結婚しないと言ったそうだ。(ひょ…

挺身隊の思い出

母は、終戦前の一年ばかり、千葉の軍需工場で、女子挺身隊として働いていた。三菱の軍用機を作っていて、完成するとみんなで機体を送り出したそうだ。勤務期間中に、工場の疎開も経験している。 同僚なのか兵士だったのかは聞きもらしたが、地方出身の若い男…

親戚の消滅

葬儀のあと、親戚と久しぶりに顔をあわす。僕たちの親の世代(80代以上)が姿を消して、いとこたち(50代以上)が中心になり、その子どもたち(20代以上)がいくらか加わる。 父親は4人兄弟、母親は6人兄弟。当時としては、けっして多くはないだろう…

あるスターの死

西城秀樹(1955-2018)が亡くなった。今までファンだったという話をほとんど聞いたことはないのだが、妻が相当ショックを受けて、喪失感にかられている。不謹慎な話だと思うが、昨年、疎遠だった実の兄が亡くなったときより、衝撃が大きいという。芸能関係…

小心と怒り

少し前に姉から聞いた、ずいぶん前の実家のエピソード。 まだ父が生きている頃、台所で母が手にケガをした時のこと。包丁で誤って手を切ってしまい、血を流している母に向かって、父は動転して叱りつけるばかりで、何もできない。姉がタクシーを呼び、外科医…

グリコのおまけ

もうだいぶ前に亡くなった知人で、太平洋戦争の戦場で戦友のほとんどが戦死する中、生き延びた経験をもつ人がいた。彼は、残りの人生を「グリコのおまけ」と表現して、それは他人のためにささげるのだと公言していた。そこまで極限の経験がなくとも、戦中派…

老いの過程

僕は、祖父母の記憶がほとんどない。母の田舎の座敷でふとんに寝ている母方の祖父の姿を、ぼんやり思い出すだけだ。あとの三人は、僕が生まれる前に亡くなっている。そのせいかわからないが、お年寄りのことを分かっていない、と自覚することがある。 80代…

おっさんち

母の見舞いもかねて、帰省する。 隣町の姉のマンションに一泊して、姉と実家まで歩いたとき、小学生の頃通った駄菓子屋があった近辺を通りかかった。帰ってからネットを見ると、バラックの小屋のような店や、店主のおっさんの風貌まで懐かしむ書き込みや記事…

自転車で

父は退職まで、隣町の立川の工場に自転車で通っていた。僕が家を出た後のことになるが、府中の再就職先まで、8年間やはり自転車で通勤したようだ。小学校の頃は、月に一度几帳面な父と一緒に、自転車をピカピカに掃除をするのが習慣だった。 父が定年になっ…

父の遺影

無神論の家風のせいで、帰省しても取ってつけたような仏壇に手を合わせることもしなくなった。 家を出て30年、父が死んで10年。 母と姉が選んだ、とびきりの笑顔の父の写真を見上げて、はじめて自然に言葉がかけられるように思えた。