大井川通信

大井川あたりの事ども

虫のいろいろ

玉虫、飛ぶ

玄関先のケヤキの幹に、見える限りでも50匹以上のクマゼミがとまっている。こうしてみると、同じクマゼミでも色合いとか大きさとか形が微妙に違う。アブラゼミの姿はまったく見えないけれど、午後遅くなって、ジリジリというアブラゼミの声も聞こえるから、…

コガムシとゲンゴロウ

大井の田んぼで、はじめてゲンゴロウの仲間を見つけたのが2005年だから、それからもう15年が経つ。この辺りでも多少開発が進んで、秀円寺の前の田んぼも住宅街になってしまった。いつのまにか見かける水生昆虫の種類も減ってしまったような気がする。 にもか…

ヒメハルゼミとゲンゴロウ

コロナ騒動も落ち着いて、ようやく地元のセミの様子を調べる余裕がでてくる。 秀円寺の裏山から大井に降りようと近づくと、はやくもヒメハルゼミらしき声が聞こえてくる。一昨年、昨年と気づかなかった。秀円寺の並びにある和歌神社まで来ると、鎮守の杜では…

カエルくんの獲物

我が家の玄関先には、ブリキのカエルの人形が置いてある。素朴なカエルの造形なのだが、起き上がった姿勢で、左肩に棒のようなものを担いで、人間みたいに歩いている姿だ。 その担ぎ棒の先端に、セミの抜け殻が二個ついている。よく見ると、空だった右手のて…

アゲハの羽化

朝出勤する時、駐車場の裏のブロック塀に、見たこともないような美しい大きな蝶が止まっているのに気づいた。透明にかがやく羽に、艶やかな帯の彩りがある。印象は新鮮なのだが、デザイン的には見たことがあると思っていたら、普通のアゲハ蝶(あとで図鑑で…

セミと現代詩

セミは僕の大切な持ちネタで、このブログでもたくさん記事を書いてきたが、まだセミヤドリガのことについては書いていない。セミヤドリガとの出会いは、ちょうど10年前の夏の忘れられない思い出である。セミヤドリガのために、僕は生まれて初めて骨折をして…

今年のセミの聞き始め

海岸沿いの松林を目指して歩く。薄暗い雑木林の中では、キビタキの声が響いている。ウグイスもあちこちにいるが、松が多くなっても、目当てのハルゼミの鳴き声はなかなか聞くことができない。 ギーコ、ギーコ、ギーコ。ゼンマイ仕掛けのオモチャを動かすよう…

春のアゲハは小さい

今月になってから、何回か、アゲハチョウが飛ぶのを見かけた。どれも、おやっと思う程小さい。アゲハ特有の虎皮みたいな立派な模様はあるのだが、大きさがどうもものたりない。 昔から図鑑などで、アゲハなどの春型は夏型に比べて一回り小さいという知識はあ…

セミとクワガタの話

久しぶりに会った知人を、鉄板ネタでもてなす。 まず、セミの幼虫はなんで長期間地面の下にいるのか。まずはクマゼミとアブラゼミとの地中での年数の違いや、カブトムシはどうなのかという伏線をはり、僕の家の庭で毎年ひろえる抜け殻の数から、地中の状態を…

芭蕉とニイニイゼミ

閑かさや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉がこの有名な句を詠んだのは、元禄二年(1689年)5月27日で、新暦では7月13日に当たる。場所は、出羽国(山形市)の立石寺。「おくのほそ道」の旅の途中である。 かつて文学者の間で、このセミがニイニイゼミかアブラゼミか…

クモとムカデとヘビ

職場の網戸に変な虫がしがみついている。一センチばかりの小さな身体が、薄い緑一色で、足には赤味がさしている。自分の体長より大きいくらいのクワガタ虫のような大きなカマを広げているのが奇妙なのだが、よく見ると長い前足だった。 図鑑で調べると、クモ…

ツクツクボウシの話(まとめ)

職場近くで、9月以降はセミの地位を独占していたツクツクボウシの声が、10月9日を最後に聞こえなくなった。今の職場はこの地方の内陸にあり、自宅は海に近いところにあるけれども、気候などの条件に大差はないだろう。自宅近くでは、ババウラ池で10月4日に聞…

今年のセミ

セミがマイブームだった昨年とは違って、今年のセミとのつきあいはたんたんとしたものだ。それでも、いくつか確認できたことがある。 庭のセミの抜け殻は、目につく限りひろったが、20個ばかり。ほぼクマゼミだと思う。発見できたのは7月の初め(7月4日)か…

天邪鬼とヒメハルゼミ

職場の窓の外のセミたちの声も、クマゼミとアブラゼミが主力になり、それにニイニイゼミが混じるようになった。自宅の庭で見つけるクマゼミの抜け殻も、10個を数えるようになった。はやく、あのセミを聴きにいかなければ。 小説家のポーが、人間の本質は「天…

セミの季節

5日ばかり前に、職場の窓の外の林から、不意にセミの鳴き声が聞こえてきた。 一年ぶりの出来事だから、まだカンが戻らず、というかそもそもセミに真剣に向き合ったのは去年が初めてだったので知識が身についていなくて、何のセミの声なのかはわからない。翌…

カマドウマとゲジゲジ

子どもの頃使っていた小学館の『昆虫図鑑』を手に入れてページをめくっていると、昔実家でよく見かけた虫のことを思いだした。 よくトイレで見かけたカマドウマ。バッタの仲間だろうが、羽のない背中が丸く盛り上がっている姿は不気味で、好きになれなかった…

ベニカミキリと昆虫図鑑

新しい職場の裏の林を散歩していたら、きれいな赤色の甲虫が羽を広げて、ゆったりと飛んでいる。とまったところを見ると、細長い身体の小さなカミキリムシだった。 体長は15ミリ程度。前羽は鮮やかな赤で、前胸部には黒い斑点が五個ある。頭と手足と長い触覚…

初春の女郎蜘蛛

暖かいお正月だったが、今日にいたっては日中20℃にもなった。4月の陽気である。 正月連休前には、職場近くの林のジョロウグモは、二匹を残すのみだった。前年の冬よりサバイバーの数は少ない。久しぶりにのぞいてみると、一匹だけは年を越してまだ生きて…

ハイイロゲンゴロウの昇天

今年、十何年かぶりかで、ゲンゴロウを飼った。その前は、50年前の小学生の時にさかのぼる。 今年は、ウスイロシマゲンゴロウという、初めての種類を見つけたのがきっかけだった。8月13日のことだ。ウスイロは、小さなオタマジャクシを与えたときなど、ハ…

虫の死によう

大井を歩いていると、アスファルトの上にスマートなトンボが落ちている。腹の付け根が極端に細く、腹部の黄色いシマは目立たない。黄緑色の身体に鮮やかなブルーの斑点がある。夕方になると、目の前をぐるぐると元気に巡回していたカトリヤンマだ。季節が終…

セミのいろいろ

9月の下旬に入って、家の近くではもうツクツクボウシの鳴き声も聞かなくなった。ある程度まとまった林に行けば、まだツクツクボウシは元気にないているし、おそらく来月の初旬まで聞くこともできるだろう。しかし、もうセミのシーズンは終わったといっていい…

女王の交代

昨秋から、クモを観察するようになった。職場近くの林には、ジョロウグモのクモの巣があちこちにかかっている。自分の巣にぐるぐる巻きに絡まったときに脱出できるか、とか無慈悲な実験をやってみたりした。冬が深まると、巣の数は減っていくのだが、大寒波…

ゲンゴロウとガムシの食欲

この夏は、十年ぶりくらいにゲンゴロウとガムシを飼っている。 大き目のガラス瓶の底に砂利をいれてたもので、ハイイロゲンゴロウを二匹。小さめのガラス瓶にも同じく砂利を入れて、ウスイロシマゲンゴロウとヒメガムシを飼っている。 エサは乾燥したイトミ…

『田んぼの生きものたち ゲンゴロウ』 市川憲平 2010

子ども向けの写真絵本の体裁をとっているけれども、ゲンゴロウの生態についての総合的な知見を得ることができる本で、類書はなく、出版当時は、驚くとともに喜んだ。 著者の市川憲平(1950-)は、以前にタガメの繁殖戦略についての研究を、子どもむけの物語…

ゲンゴロウの歓喜

十数年前に、近所の田んぼにもゲンゴロウがいるのではないか、とふと思い立ち、近隣を歩き始めたのが、大井川歩きの原点だった。その夏に、10ミリ前後以上の大きさの中型種ではハイイロゲンゴロウとシマゲンゴロウ、コシマゲンゴロウを発見する。ろ過装置を…

世界は小ネタでできている

商業施設の裏手で、何か見慣れない虫がとんでいく。落下地点にいってみたら、カミキリムシだった。ゴマダラカミキリより一回り小さく、身体の斑点が黄色っぽい。キボシカミキリの名前がすぐに浮かぶ。首が長めで精悍な印象。昼間から飛ぶ気満々で、すぐに羽…

『カブトムシvs.クワガタムシ 強いのはどっちだ!』 本郷儀人 2015

著者の本郷儀人(1977-)は若手の昆虫学者。以前に『カブトムシとクワガタの最新科学』(2012)を読んで強く印象に残っていたのだが、それを子ども向けにやさしく書き直したような本だった。 『カブトムシ山に帰る』という本は、生活の中で身近な自然にとこ…

セミの死に方

昨日、自宅のケヤキの傍で、クマゼミ二匹とアブラゼミ一匹の死骸を見つけた。まとまってセミが死んでいるのを見たのは、今年初めてだ。庭で抜け殻をちらほらと見かけるようになったのは7月の初旬からだから、このセミは羽化後、一カ月近く生きていたと推測で…

『カブトムシ 山に帰る』 山口進 2013

昆虫写真家の山口進(1948-)による子ども向けの入門書で、さらっと読めるが、中身はすこぶる濃い。5年ばかり前に初めて読んだときにも、目からウロコが落ちる思いがしたが、ある大切な指摘については、読みとばしていた。最近、そのことの重要性に気づいて…

『クマゼミから温暖化を考える』 沼田英治 2016

数年前からの積読だったが、今回のセミのマイブームで手に取ってみた。若い読者向けの本だが、面白い。クマゼミが大阪の街で増えたという事実を、さまざまな角度から、根気よく調べていく。著者の探究を支えるのは、次のような信念だ。 「大学の教員は社会と…