大井川通信

大井川あたりの事ども

天神で喜多方ラーメンを食べる

僕のきわめて貧弱なB級グルメ生活においても、それなりのドラマはある。僕が唯一その関わりが自慢できる「すた丼」のチェーン店が福岡天神に出現したこと、餃子の王将が地元に3度目の返り咲きを果たしてくれたこと、トマトラーメンの「発見」等々。 そして…

『光と風と夢』(中島敦 1942)から

・・静かだった。甘藷の葉摺の 外、何も聞えなかつた。 私は自分の短い影を見なが ら歩いてゐた。 かなり長いこと、歩いた。 ふと、妙なことが起った。 私が私に聞いたのだ。 俺は誰だと。名前なんか 符號に過ぎない。 一體、お前は何者だ? この熱帯の白い…

「今年の日記から 製造所資材二課 松井恒弥」(リッカーミシン社報1968年12月号 随筆欄)

某月某日 午ごろ一家で街にでた。この春最高とおもわれる暖かさである。山吹れんぎょうの黄、木蓮の紫、雪柳の白、等々、多彩な色の饗宴に花の春は今が盛りかとおもわれる。 オモチャ・フレンドで安彦にリモコンのジープ、玉田で倫子に約束の自転車をかった…

今あるもので満足すればいいじゃない

モームの小説には、紙面から浮き上がってくるような名言が多い。『お菓子とビール』から。 ロウジ―は、若き医学生のアシャンデンが、彼女の男関係を嫉妬するのを知って、こんなふうに言う。 「どうして他の人のことで頭を悩ますの? あなたにとって何の不都…

行橋詣で(2024年4月)

年度末と年度初めの多忙さで、自分自身と自分の暮らしの矮小さにあらためて気づかされる中、気を取り直して、新年度最初のお参りにでかける。国東半島の両子寺の有名な仁王像の誕生年が金光大神と同じ文化11年(1814年)であることの縁で、寺で売られていた…

美は退屈である

モームの小説『ビールとお菓子』から。 「美は恍惚であり、空腹のように単純だ。美について何か語るべきことなどありはしない。バラの香水のようなもので、香りを嗅いで、それでおしまい。だからこそ、芸術の批評というのは、美と無関係つまり芸術と無関係で…

『お菓子とビール』 サマセット・モーム 1930

モーム(1874-1965)の小説は面白い。僕に小説を読む楽しさを与えてくれる数少ない作家のひとりだ。5年ばかり前に、読書会の課題図書をきっかけにまとめて読んだ時期があったのだが、その後で思いついて買っておいた文庫本の頁をめくってみた。 とにかく登…

次男の入校式

次男の障害者職業能力開発校の入学式に夫婦同伴で参加する。次男が入学する総合実務科(知的障碍者対象)の人数は3名で、専属のスタッフの数も同じだから手厚い指導が受けられるだろう。親はどうしても欲目で見てしまうが、次男のコミュ力はかなり限定的だ。…

臼杵石仏に驚く

国東市に一泊して、さて翌日どうしようかと悩んだ。前日に国東半島は一人で堪能している。今日も再訪では刺激が少ない。それで足を延ばして臼杵まで行くことにした。別府、大分市の先の臼杵を訪ねる機会は今までなかった。石仏が自慢といっても、それなら国…

富貴寺大堂を観る

妻の送り迎えで国東半島に行く。メタルアートの先生のアトリエで、べっ甲アクセサリーのワークショップがあるためだが、その待ち時間、僕に自由時間ができた。国東半島は若い頃から好きで、何度も来ているので、いざ自由行動できるとなると行先に困る。そこ…

道玄坂の100年(つづき)

先月18日の父親の生誕百年の記念日の記事で、渋谷道玄坂のカフェでお祝いをしたことを書いた。その文を、次のように結んだ。 「渋谷にあふれる人の波を見ながら、この中に父のことを知る人が(僕以外)誰もいないということを、当たり前でありながらとても不…

父が書いたもの

あらためて考えてみると、父は書いたものをほとんど残さなかった。今のように誰もがSNS に手を出すような時代ではないから、一般の人が何かを書いて発信するということは稀だった。ただし、父は文学好きで、小説以外でも思想や詩歌、古典についての専門書も…

柳川異聞

午後の空き時間を利用して柳川に行く。自宅から柳川まで自動車で行くとなると、かなりおっくうな長旅だ。しかし、職場のある福岡市から西鉄電車の特急に乗ると、驚くほど短時間で柳川に着く。特急は車両を揺らしてしゃかりきに飛ばすが、乗客はぼんやり揺さ…

国東半島の電波少年

吉田さんとの勉強会「宮司の会」も今回で60回。コロナ禍等で出来なかった何回かをのぞけば毎月実施しているから、ほぼ5年続けたことになる。 2005年から始めた安部さんとの「9月の会」が、57回続いたので、それを越えることをぼんやり目標にしていたところ…

『押絵の奇蹟』 夢野久作 1929

角川文庫で読む。久作の短編集の新刊や復刊が続々出版されており、角川文庫が夢野作品を手軽に数多く読めるシリーズになっている。 表題作のほかに、『氷の涯』(1933年)と『あやかしの太鼓』(1926年)が収録されている。『氷の涯』を筆頭に中編と呼べる分…

こんな夢をみた(モンゴル人の陳情)

僕は市役所の職員のようだった。役所でモンゴル系の在留の人たちのグループからの陳情を受けていた。いろいろな項目があるが、目玉は、モンゴル人たちが工場をやっている土地の権利関係の問題のようだった。若い職員たちがそんなことを噂していた。 現場に行…

サークルあれこれ(番外編:教育研究会)

記事が遅れがちになり、東京旅行もはさむことから、ある程度回数を稼げるテーマとして苦し紛れに「勉強会・読書会・サークル」シリーズを書き始めたのだが、自分の学びを振り返るよい機会となった。ちょうど新年度から、自分の学びを更新し、ブーストをかけ…

サークルあれこれ(番外編:哲学講読会)

かつてあった哲学の勉強会の話。 今から10年以上前、数年間(2014~2016)にわたってとびとびで地元の哲学カフェに通った。今人気の哲学風議論のカフェではなくて、哲学書の翻訳文を月二回地道に読んでいく会だった。主催は、在野の哲学者にして市民運動家の…

サークルあれこれ(その7 聞法道場)

地元の街で開かれている浄土真宗の門法道場と出会ったのも、今となってはとても貴重な偶然だったと思う。当時僕は、今村先生の導きで浄土真宗大谷派の清沢満之を読むようになってはいたが、刊行されたばかりの全集を持て余しているところもあった。 それで、…

サークルあれこれ(その6 宗教勉強会)

昨年夏から、金光教の行橋教会に通い始めた。毎月中旬に一回と決めているが、月二回となるときもある。井手先生はその都度拝礼をしてくださるが、今のところ参拝が目的ではなく、金光教を中心とする宗教、思想について話をするのが目的となっている。 僕の方…

『『金光教経典』物語』 福嶋義次 2019

大矢嘉先生の文章に教えられて、福嶋義次(1934-)を読んでみようと思って手に取ったのだが、良い本に出会ったものだと思う。自分史にからめて経典再編の経緯をたんたんと書いた本で、あっさり読めてしまうが、僕にとってはある意味で高橋一郎の本とおなじ…

長沢芦雪を観る

数日前から、風邪をひいてしまった。昨年末にあれだけ風邪をこじらせたのに、まただ。東京で美術展が思いのほか良かったので、ここにきて九州国立博物館の『芦雪展』に行ってみたくなった。週末が最終日なので、どこかで時間を見つけていくしかない。 風邪で…

こんな夢をみた(学校訪問)

僕はアポをとってT高等学校を訪問する。K教主催の青少年向けイベントのチラシをもっていくのだ。宗教関係は嫌われるが、これはあくまで子どもが主体のイベントだし、公の後援もとってあるからそれは大丈夫と考えていた。 T高校につくと、ひろい職員室の片…

円融寺釈迦堂 東京都目黒区 (禅宗様建築ノート12)

東京23区で一番古いという室町建築の重要文化財。円融寺釈迦堂を「禅宗様建築」の仲間に分類することは、素人の僕でも抵抗がある。中世から近世にかけて、純粋に禅宗様の手法で建てられた建物が多くあり、そのように容易に和様化されないところに禅宗様のア…

おかげと取次

半年ぶり以上に、地元の金光教会にうかがって津上教会長と話をする。ちょっとしたきっかけだった。近所の酒屋で「感謝」という銘柄の焼酎の小ぶりのボトルがあったので、行橋の参拝用にと思って購入したときに、同じものをもって地元の教会に行こうと思いつ…

装甲騎兵ボトムズと再会する

自動車の免許を取ったのは大学の4年、就職が決まった後だった。中央線から見える東小金井の尾久自動車教習所に通った。中央線も高架になり、かつての田舎駅たちも立派な駅ビルとなって沿線風景も一変してしまったが、教習所は昔通りの練習コースと建物の姿…

行橋詣で(2024年3月 再び)

隣町の苅田に仕事で出かける用事があったので、その帰りに同僚の車で教会の近くまで送ってもらう。前回から10日程度しか経っていないが、東京旅行をはさんでいるせいか、話題には事欠かないし、心境の進展もある。東京みやげのどら焼きをお持ちする。 大矢嘉…

美術展で仏教を学ぶ

府中市美術館には頭が上がらない。帰省先の隣町だから気楽に寄れるし、ユニークで切れのいい特別展は、いつも予想をこえて面白い。牛島憲之の常設展示スペースがあるのもよい。 今回の特別展は『ほとけの国の美術』。誰もが知るような目玉の展示作品があるわ…

動坂と八幡坂

東京の田端に行った。芥川の屋敷跡は、駅のすぐ近くの住宅街にあった。こんなに近いなら大学時代にでも見ておけばよかったと思ったが、早稲田の漱石山房跡すらのぞかなかったのだから仕方がない。 芥川が歩いた道をたどるのは楽しい。田端文士村記念館でもら…

くりばやしの餃子に歓喜する

僕には食へのこだわりはほとんどない。こだわってもせいぜいB級グルメで、それもごく少数だからすでにネタは尽きている。そう思っていた。 時は35年前にさかのぼる。僕は新採で入った会社を辞めて実家に戻り、八王子で塾講師をやっていた。父親はリーカーミ…