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大井川通信

大井川あたりの事ども

「演劇」覚書

 

例えば映画なら、ストーリーに反するような事物や撮影機材がスクリーンに映り込むことは、原則ありえないでしょう。しかし、演劇は、反ストーリー的な要素を排除できないし、むしろそういう不純物の現前が演劇の存在意義、立脚点ともいえるわけです。 演出家の岡田利規は、このことを、「役者と役柄の一致」という約束は正視に耐えない嘘だ、という言葉で説明しています。役者と役柄のズレが、むしろ面白いのだと。ところで、僕は、この事態を、記号(舞台)と意味(ストーリー)の二重性と呼びたいわけですが、映画や小説と共通の課題、つまりストーリーに何らかの中心性、求心力を持たせる必要とは別に、そこからはみ出してしまう舞台の側を秩序立てる仕掛けが必要になってきます。それがストーリーとは一見無関係でありながら舞台に存在し続け、舞台を魅力あるものにするゼロ記号の存在であり、優れた演出家は感覚的にそれを巧みに創出し、使いこなしているように思えます。例えば、ある芝居では、それは舞台に林立する竹の棒であり、役者たちは、棒の位置を自在に変えつつ、演じていきます。ゼロ記号は、役者たちが操作する特徴的な舞台装置である場合が多いのですが、もっとシンプルな舞台では、役者たちの特異な動きや発声自体がゼロ記号となって、舞台にリズムを作り、秩序を生み出すこともあります。