大井川通信

大井川あたりの事ども

槻田アンデパンダンー私たちのスクラップ&ビルド展 2017

僕の住む町から遠くない工業都市では、古い木造の市場を見かけることができる。アーケードのかかった商店街ではなくて、入口には市場の名称を掲げた木造校舎みたいな大きな構えの建物の中に、細い路地のように通路が走り、いろいろな店が並んでいる。今のショッピングモールのミニチュア版のようなものだが、東京郊外では目にしなかった気もする。最もこの街でもかなり前から、がらんとした暗がりの中でほんの数店舗だけが営業していたり、建物全体を閉じてしまったりするケースが目についていた。

少し前に朝日新聞の夕刊一面に大きく「木造市場、アートと融合」と写真入りで市内最古の木造市場での現代美術展を紹介していたので、最終日に顔を出してみた。大通りから一本入ったところで、初めて見る市場だったが、その分周囲の街並みになじんでいる風情だった。製鉄所の全盛期は、70軒以上が入っていたというが、現在の15店舗だけでも、意外な活気が感じられた。20近い作品が、空き店舗等の空間を利用しているためかもしれない。

新聞記事が言うように、確かに木造市場の猥雑で人間味あふれる空間に、同じく雑多で手作り感あふれる現代美術の作品は似合っていると思う。展示場所と作家名の表記された配布資料には、作品の説明とモチーフが記されている。それが「作品」である以上、作家たちは素材や環境を、別の観念やイメージへと転調させる必要がある。つまり、言葉を悪く言えば、古い市場にあふれるイメージから任意にパクッて自らの個性的な表現に利用しているわけだろう。そう考えると、夕刊一面のほとんどを占めるという「過剰な」紹介記事自体が、もっとも現代美術らしい作品といえるのかもしれない。しかし美術家によるイメージの収奪を批判しても始まらない。市場の方もウインウインで宣伝の恩恵を受けているし、観覧料自体が「商店街で買い物すること」なのだから。

展覧会が終わってから、もう一度この木造市場を訪ねてみることにした。「融合」したアートが抜けた後の市場の姿を確認したかったからだ。すると、こちらの方がいい、というのが意外な、しかし正直な印象だった。もちろん、展示に利用された空きスペースはシャッターが閉められ、派手な造形や音楽もなくなっている。しかし、その分、一つの意志をもって70年生き抜いてきた木造の生命体の全体が、すっきりと目に飛び込んできたのだ。身体の大半は死んだ内臓のようにうずくまっているが、そこには古い看板やショーケースが化石のように連なっている。そんな中で、肉や揚げ物を商う明るい店舗の活気がかろうじて市場の全身に血液を送っているというふうに見える。

「めずらしいね。元気?」「かつかつ元気よ」市場の路地では、そんな会話も聞こえてきた。