大井川通信

大井川あたりの事ども

里山の恐怖

荒神』には実際の山村のリアリティや怖さが描かれていないと書いた。大井川近辺での体験から、それを拾い出してみる。

もう3年以上前のことだ。半世紀前に出版された地元の郷土史家の聞き書きで、大井村の里山にヒラトモ様という神様が祀られていることを知ったが、その本以外、その神様についての情報はまったく見当たらなかった。大井周辺の山はかなり開発されている(僕の自宅も旧里山の住宅団地)ので、もう壊されるか移されるかしてしまったのかもしれない。あきらめきれずに聞き取りを続けると、心当たりがあるという農家の老人に出会った。山道を行くと大きな二股の木があって、その先道が三本に分かれる。真中の傾斜のきつい道を登っていくとその先にあるのだと。今はどうなっているかわからないが、と老人は付け加えた。どうやら信仰はすたれてしまっているらしい。

雑木林の傾斜地にはもう道などなくて、木の幹や枝に手をかけながら息を切らして登っていく。やや開けた山頂付近の林の中に、一段高い土地があって、近づくと木々に囲まれるように古びたほこらが鎮座していた。それは通常の加工された石材だけでなく、大きな平たい自然石を屋根にして作られていたから、苔むした姿は生き物のようにも見える。またいっそう奇妙なのは、大小のうねうねと曲がったたくさんの木の棒が、ほこらに立てかけられていたことだ。間違いなく誰かが奉納したものだが、そんなお供えものをみたことはない。無人の山上で、僕は何かのタブーを犯してしまったのではないかと怖くなった。遠くではイノシシ狩りの猟銃の音が響いており、その音に追われるように、足早に神域をあとにした。

それから10日ばかりたって、実家で一人暮らしをする母親からの電話で、出張中の僕を装った男から、オレオレ詐欺の被害を受けたことを知った。晴天の霹靂だった。被害額は目玉が飛び出るほどの大金だ。僕はすぐにヒラトモ様のことを考えた。その時は、僕が山の中で余計な事をしてしまったことと無関係だとはとても思えなかったのだ。しかし山の神の祟りなどと口にすることはできなかった。