大井川通信

大井川あたりの事ども

親と子

この春から長男が新しく住むようになった街へ、親子三人で長距離ドライブをした。マンションの部屋や勤め先を見たり、近所の観光地を家族四人でぶらぶら歩いたりする。

僕がかつて東京から千キロ離れた街で一人暮らしを始めたときにも、両親は訪ねてきた。だから、長男の居心地が悪いような気持ちもなんとなくわかる。こちらもついつい、仕事の心構えなど念押ししたりしてしまう。

長男の子育てでは、受験の時も、大学生活や就職活動についても、多少のかかわりをもった。彼にはうっとうしかったはずだが、それができたのは、親子がほぼ共通の生活体験を持っているからだ。英語の受験問題は長文ばかりとなり、就職試験の申し込みがネットになっても、ベースは変わらない。

敗戦前後の混乱期に青春をむかえた僕の両親は、戦後の高度成長以後の新しいシステムに組み込まれる子どもたちに、アドバイスする言葉を持てなかったのだと思う。その代り、戦争の体験について繰り返し聞かされた。当時はよく親子や世代の断絶とかが当たり前のように話題になっていたが、それには特異な時代背景があったのかもしれない。

今はまた時代の変化が声高に語られるようになっている。子どもたちは、その次の世代にどんな経験をつなぎ、どんな言葉を語ることになるのだろうか。