大井川通信

大井川あたりの事ども

あいさつの境界線

大井川歩きのときは、すれちがう人には自然にあいさつをしている。しかし、いつでも誰に対しても、というわけではない。ある時、見知らぬ人にあいさつがしやすい状況には、ある法則があることに気づいた。

山道では、むしろ義務みたいにあいさつをする。お互いの警戒心や緊張を解くための儀礼のようなものだ。平地に降りても田畑の広がる場所なら、あいさつは自然と出てくる。朝ならなおさらだ。でも昼間のあいさつは少しハードルが高いかもしれない。

住宅街に入るとどうか。早朝、相手が犬を連れている場合なら、あいさつはしやすい。しかし日中、見知らぬ相手に声をかけるのは抵抗がある。変な意図をかんぐられそうだ。住宅を抜け、大通りの商店街に入ると、たとえ朝でもあいさつするとしたら、場違いで変な感じとなるだろう。駅前の繁華街までいくと、もうあいさつは思い浮かびもしない。見知らぬ人に声をかけるのは禁じられているのだ。

場所でいえば、周囲に自然が多いほど、また時間でいえば、朝が早いほどあいさつはしやすくなる。一方、人間同志のかかわりが増えて、用事や仕事に縛られる場所や時間帯に近づくほど、他人同士のあいさつは不必要なものになっていく。社会学に「儀礼的無関心」という概念があったと思うが、都会では見知らぬ人には無関心を装うことがマナーなのだ。同じ早朝の住宅街でも、職場へ急ぐ人にあいさつして心を乱すことは思いやりに欠ける行為だが、日常から解放されて犬と散歩している人とのあいさつはOKとなる。

こうした使い分けは、TPOに応じて誰もが当たり前にしていることだろう。ただ、大井川流域の様々な土地を歩き通すことによって、身近にある境界線の存在がきわだって感じられるのだと思う。