大井川通信

大井川あたりの事ども

生態系カズクン 飛ぶ劇場 2017

1997年が初演。劇団30周年を記念して、出世作となった舞台の4度目の再演だという。祖母の通夜が行われる麦山家の一室に、おじやいとこなど、親族の面々が集まってくる。おそらくは架空であるこの地域は、死者に対する扱いに独特の風習があって、死者の魂が身体に戻ったのを確認してから、お宮へと運び、海に流すことになる。

だからテーマは「死者」や「他界」ということになるが、その描き方は、とても手堅い、というか、観る側に親切だ。麦山家の人々のどこか奇妙な習慣は、他地域からやってきたいとこの結婚相手の目を通すことで、解きほぐされる。「猫似」族であるカズクンとその仲間たちという不可解な存在も、基本的に麦山家の飼い猫と近所の野良猫としてみればいいことが示唆される。彼らは、死者や他界により近い存在だ。心に障害を持ったいとこの一人が、猫似族との媒介者を務めるのもわかりやすい。死者の登場の仕方もそのキャラクターも親しみやすいものだ。この間の達者な役者たちの軽妙なやり取りは、物語を近づきやすいものにしてくれるし、劇団のファンなら一層楽しめるだろう。

多少の波風は立つものの、麦山家の人間関係に大きな進展や深まりはなく、それは猫似族たちも同様で、だからクライマックスの出棺もカタルシスよりも、予定調和を感じてしまった。しかし演出家の泊さんは、パンフの中で「現代の寓話」を目指すと言っているのだから、パターンによる予定調和の印象はむしろ歓迎されるのかもしれない。

にもかかわらず、この舞台には、寓話を突き抜けた、言ってみれば真の「他界」を指し示す力が感じられる場面があった。役者たちが、おそらくは海とその彼方をうかがうように、沈黙して観客の側に視線を向ける演出が、途中2回、終幕の前に1回あったと記憶する。登場人物たちから突然向けられたあの視線には、原理上、われわれ観客の姿はいっさい映っていないはずだ。その瞬間、観る側の存在は、暗い海洋上をさまよう不可視の霊魂に過ぎないことに気づかされたし、そこから見下ろされる舞台が「この世」の孤独な一隅であることが見て取れた。