大井川通信

大井川あたりの事ども

だじゃれを言ったの、だれじゃ?

今では人に自慢できる才能などまるでないけれども、かつてはダジャレを作ることには自信があった。ダジャレ自体は、昔からそれほど評価の高いものではなかったろうが、ある時期から親父ギャグと言われてさげすまれるようになり、今ではうっかり若い人に言おうものなら、殺意を持った視線でにらまれるような時代になってしまった。そんなに軽蔑するなら自分で作ってみろよ、簡単じゃないんだ、と内心思ってみても、多勢に無勢だ。

多作だったころ(笑)には、自分なりのルールがあって、一つには、パクリでない自分のオリジナルであること、もう一つは、その場で思いつく即興であること、にこだわった。後者は、好きだった山本健吉の俳句論の影響かもしれない。

若い頃、塾の専任講師をしていた時、ある授業で、前列の生徒がノートに正の字で、僕の言ったダジャレを数えているのに気づいた。それならと、本気でたたみかける。時計を見ながら問題をとけい! こんな時計はほっとけい! この時計を取っとけい!  その答えはほんとうけい?  振り返れば、当時はまだ、ダジャレに寛容なよき時代だった。

塾が終わってファミレスで遅い夕食をとりながら、今度は同僚のダジャレ名人と、連句のようなダジャレの言い合いを楽しんだりもした。その時の二人の会心のやりとりを、今でも覚えている。

僕「このとり肉、とりにくい」  友人「そうかもね」