大井川通信

大井川あたりの事ども

泉福寺仏殿 大分県国東市(禅宗様建築ノート1)

今から30年ばかり前、国東半島をドライブして、泉福寺に立ち寄ったことがある。事前に情報はなかったのだが、思いがけず本格的な中世の禅宗様仏殿を見つけて、興奮して撮った写真が今でも何枚も残っている。熱心に観察する若者の姿が目に留まったのだろう、境内を掃除していたご住職が声をかけてくれて、座敷にあげていただいた。土地柄四国とのつながりが深いことや、ご自身が本山の総持寺から派遣されたことを話してくださった。その自然な立ち居振る舞いが、深く印象に残っている。

今回再訪して、その時のご住職が稲井令弘老師であることを知った。今のご住職は稲井御前と呼ぶ。お会いしたのは、おそらく派遣されてまもない70歳過ぎの頃だった。結局19年住職を務めて、病でお寺を離れた後91歳で逝去されたそうだ。ちなみに老師の後には、子ども電話相談室で有名だった無着成恭さんが住職になったのが話題になった。

1524年建立の仏殿が、そのあと国の重要文化財に指定されたのは知っていたが、指定には稲井老師が力を尽くしたことを知る。もしかしたら見ず知らずの若者が仏殿のすばらしさに目を輝かせていたことも記憶の片隅にあったかもしれない。仏殿は全面的に解体修理されてカヤブキに復元されていた。もさっとした茅葺屋根の禅宗様仏堂は見たことはなかったが、意外に似合っているという印象だ。その理由を考えてみる。もともと禅宗様仏殿は急傾斜の大き目な屋根を持っている。ただ屋根材が薄く軒ぞりが強くため、軽快感や飛翔感を演出していた。茅葺にそれを望むことはできない。しかし、禅宗様が好む屋根材(檜皮葺は木の皮、杮葺は木の板)と茅とは、植物系であり茶系の色合いという共通点がある。

僕は、禅宗様建築の魅力は、クワガタムシのような甲虫の身体の精緻な組み立ての美しさに通じるものがあると考えている。有機的なフォルムの構成要素として、茅葺きの屋根もふさわしいのだ。瓦屋根は日本建築にはよく調和するものだが、本格禅宗仏殿だけにはどうもなじまない。解体修理を経て、扇状に広がる垂木も、細かい組み物も機械的な美しさを増して、おおらかな屋根をうまく受け止めている。

内部に入って見よう。禅宗様仏堂は、床が土間であり、天井を張らずに化粧屋根裏とするために、小型の堂にもかかわらずに垂直方向に広い空間が作られる。また通例どおり内部の前面の柱を省略し、室町後期の特色として、さらに仏壇の脇の来迎柱を半間後退させているので、なおのこと広々とした空間を作っている。このためドーム状にせりあがった天井の架構もゆったりとして狭さを感じさせない。ただ、印象でいうと、前後にわたされて天井を支える二本の梁材が、もう少し太くて力強いデザインなら、無柱空間の素晴らしいアクセントになったのだと思う。元禄の修理時に取替えた影響だろうか。

六郷満山開山1300年記念ということで、仏壇の裏の涅槃像も見学することができたし、もう一つの重要文化財である開山堂を拝観することができた。

禅宗様仏殿は、中学生以来の僕のアイドルだ。こうして彼らの姿に間近く接し、つたなくとも言葉にできることをこの上なく幸せに思う。