大井川通信

大井川あたりの事ども

『あなたの人生の物語』テッド・チャン 1998(その3)

この小説を原作とする映画『メッセージ』(原題はArrival)をビデオで見た。原作と比較しながら見たために、純粋に映画自体に入り込めなかったかもしれない。普通に見ていたなら、上質なSFとしてもっと楽しめただろうと思う。

映像になると、異星人や彼らとの接触に至る過程の描写の比重が大きくなる。原作にない巨大な宇宙船のビジュアルも圧倒的だ。主人公が軍の一部による先走った宇宙船への攻撃に巻き込まれたり、国際政治の緊張の中で中国を筆頭として宣戦布告の危機が生じ、それを主人公の活躍が食い止めるという活劇的な要素が付け加えられている。そのかわり、原作の中心だった言葉をめぐる思弁的な議論が削られていて、ストーリーを彩る一要素に後退している。

ヘプタポッドの言語については、必要最小限の説明にとどめている。時制がないから時系列もなく未来を知ることができる、というのは直観的にわかりやすい説明だと思う。言語が思考を規定するという理屈にもさらっと触れている。原作では、ヘプタポッドの言語の習得によって、自らの未来を知るという能力が獲得されるという設定になっていたが、映画では、主人公がヘプタポッドとの交流を通じて一時的に未来をのぞくことができたように描かれる。「未来を知る」「時を開く」というヒントがヘプタポッドから与えられるのだ。

原作では無造作に並べられていた本編と未来のパートの断片を映像でどう処理するのか、興味があった。あらかじめプロローグで未来パートを圧縮して示しておいた上で、ヘプタポッドとの接触が深まる中で、主人公の幻聴やフラッシュバックとして導入するのは映像ならではの自然な手法だ。気を取り直してからの「あの娘は誰」というセリフは、本編との関係をさりげなく示している。また原作では25歳での娘の事故を、もっと子どものうちの病死に変更しているのは、主人公の見た目の変化を目立たせないためだろうか。

原作では、未来との関係も「記憶」という受身の関係に限られる。映画では、未来との同一化によって、ヘプタポッドの言語を解読したり、中国の将軍を説得したりして、未来を知ることの効果を劇的に表現している。異星人の訪問の目的についても、原作では「観察」や「交換」等の示唆はあるが、結局はよくわからない。しかし映画では、3000年後に人類の助けが必要だから今の人類を助けに来たと、ヘプタポッド自身に明快に語らせる。

総じてハリウッドの娯楽映画の文脈に、原作の素材を落とし込んでいるという印象である。映画作品は、因果律的な世界観をゆるがないベースとしている。この意味では、そこからの離脱をテーマとする原作とは、力点の全く異なる作品に仕上がっている。Arrival(到来、出現)という原題は、むしろ正直にそれを告げているのだろう。