大井川通信

大井川あたりの事ども

プライバシーの境界線

日本全国もそうなのだろうが、僕の住む地域はとんでもない冷え込みである。真冬の一番寒い時のような気候が、12月に入って続いている。例年12月は、けっこう暖かい日が続いていたと思う。そんなわけで大井川歩きの看板が泣くような休日を過ごしているのだが、久しぶりにその話題を。

僕は、今でも個人情報の保護という考えがしっくりこない。現実的にそれが必要な場面が多いのは理解できるのだが、それを金科玉条のように振りかざされると、とまどってしまう。他者に知られることは人間の存在のはじまりでありその条件である、と青臭く考えるからかもしれない。

大井川歩きでの情報源は、道端で偶然出会った人との立ち話である。そうして知り合った人を後に訪ねることはあるが、いきなり訪問することはないし、第一そうする名目がない。道であうおじいさん、おばあさんたちは、その場でいろいろ教えてくれる。もちろん、信用してもらうための努力はしているのだが、自分の経歴から、家族や親族や村のことなど何でも話してくれる人も多い。そういう人は、たいてい80歳代だ。おそらく70歳代のどこかくらいに、プライバシーの感覚の境界線があるのだろう。もっともこれは農村に近い地域に限定の話になる。

以前、農家の庭先で、90歳近いおばあさんにあれこれ話を聞いていたら、母屋から60歳代と思しき息子が、何か売りつけられているとでも勘違いして血相を変えて出てきたことがあった。おそらくこの地域でも、あと10年もしないうちにこんな聞き取りの手法は通用しなくなるかもしれない。