大井川通信

大井川あたりの事ども

木で作る話

ずいぶん久しぶりに筑豊山中の木工の展示会に顔を出した。夫婦と帰省中の長男と3人、正月のドライブを兼ねて。工房「杜の舟」の主人内野筑豊さんは、絵や文もたしなむ才人で、常に新たな造形を生み出す作家性と、ていねいに作品を作りこむ職人気質を兼ね備えた人だ。我が家の壁や棚には、彼の作った時計やオルゴールや人形が古い同居人のように息をひそめている。

毎年正月の展示会では、その年の干支(犬)にちなんだ作品が販売されるが、僕は一昨年の干支の猿を買った。「庚申達磨(コウシンダルマ)」と銘打たれ、手足もなく頭と胴が一体となった素朴な造形に、石仏のような魅力を感じたのだ。猿が入る円形の「湯舟」も、神仏の台座のようだ。

大井川歩きを続ける中で、かつての庶民の庚申信仰に興味を持った。由来についても、信仰の対象についても、信仰とも親睦ともつかない庚申講についても、とにかく雑多で何でもありという印象がある。石の庚申塔に刻まれる文字も、庚申であったり、猿田彦であったり、青面金剛であったりばらばらだ。東京などの庚申塔は文字でなく、青面金剛や三猿の像が彫られている。近隣で講を組み、二月に一度くる庚申の日に順番で集まって庚申様の掛け軸をかけ、オコモリ(飲食)をしたという。

無宗教の僕が信仰で連なれるとしたら、伝承と生活が混ざったような庚申信仰ではないか、と漠然と考えていた。しかしそのためには、掛け軸や庚申塔のような象徴が必要だ。この小さな庚申ダルマを見たときに、これこそそれにふさわしいとひらめいたのだ。

内野さんにそんな突飛な用途(庚申様として信仰する)を話しながら、ふと家にある家族の人形のことを思い出して、お礼を言ってみた。細長い胴体と楕円の頭に目鼻がついただけの人形を内野さんが多く作っていた時があって、それは本来妖精か何かのキャラクターだったと思う。大小や表情がさまざまな像から、家族に似ている像を4体選び出して購入し、以来家の棚にずっと並べてあるのだ。いつ間にか子ども二人の身長は母親を追い越して、昨年には長男は家を出てしまったが、それでもこの4体の人形は、あの頃の家族の姿をそのままとどめている。

「あの時は、誰の表情に似ているとかで盛り上がって選んでましたよね」内野さんの言葉に僕は驚愕した。僕たちは、多くても年に数回訪れるくらいの客で、とてもお得意とは言えなかった。それも10数年前の話である。

おそらく作家は、自分が手塩にかけた作品がたどる運命についても、無関心ではいられないのだろう。内野さんが包装用の紙袋の1枚1枚にその場でていねいにイラストを描くのも、手放す「我が子」のこれからへの祈りが込められているのかもしれない。人形を家族に見立てるという予想を超えた買い手の言動は、きっと作者の心に深く刻まれていたのだろう。そう考えると、突飛でも庚申様のことを話しておいてよかったのかなと思う。