大井川通信

大井川あたりの事ども

年末にニュータウンの境界を歩く

郊外のリノベーションの連続ワークショップで、自分の経験から、開発団地の境界付近が面白いという発言を何回かした。年末時間が空いたので、当該ニュータウンの境界線を実際に歩いてみることにする。大晦日という一年の境界の日の、黄昏時という昼夜の境界の時間帯に、新旧の街の境界を歩く、という徹底して「境界=中間領域」にこだわる趣向だ。

まず、給水塔を目印に、街の中心にある公団の団地の中に入る。棟が不規則に配置されて、その間をぬうような小道を歩くのが心地よい。いつの間にか眺めの良い高台に導かれたりもする。団地を抜けると、今度は規則正しく区画された住宅街だ。敷地の広い住まいにはそれぞれの生活ぶりがうかがえるが、あまりきょろきょろもできない。すると突然視界が開けて、田畑が広がった。その向こうには小さな集落もあって、氏神の森が見える。足を伸ばして、お参りする。鳥居の前には、地名の由来になった古い湧き水と江戸時代の庚申塔がある。新年に備えて境内も掃除が行き届いている。

住宅街に戻って、街はずれに沿った坂道を上る。畑の脇に不揃いなニンジンがまとめて捨ててある。遠目に里山の近くの白い建物が気になったのだが、近づくと保育園だった。園庭が里山の斜面の自然を取り込む設計になっている。自然と文化の境界を生きる幼児にはふさわしい環境だろう。

もうだいぶ暗くなってきたので、団地の中を横切って近道で戻ることにした。ところが団地を抜けた夕闇の大通りの様子が想像よりずっとにぎやかだ。見知らぬ街に迷い込んだように途方に暮れたが、すぐに自分が団地の中で迷って方向を失い、反対側の街に出てしまったことに気づいた。迷路のような団地と夕闇のいたずらだろう。

せっかくなので、街道沿いのうどん屋に入り、年越しそばを食べることにする。店を出るともうすっかり夜だったが、街には新年を迎える活気が満ちていた。