大井川通信

大井川あたりの事ども

北九州監禁殺人事件(事件の現場1)

大学を出て、新卒で就職した会社で、北九州に赴任した。前任者の借りていたアパートがモノレールの駅の近くにあって、そこに入居した。周囲はお寺が多い湿っぽい路地で、少し歩くとタバコ屋があり、小さな雑居ビルのようなマンションの一階に喫茶店もあった。大通りに出れば食べ物屋も多かったけれど、休日のお昼などその喫茶店で済ますことが多かったと思う。当時確か60巻くらいまでしか出ていなかった『ゴルゴ13』が全巻そろっていて、その店で読み切ったので、そのころはいっぱしのゴルゴ通のつもりだった。

結局はその会社は3年で辞めて、東京に帰ることになる。ただ行きつけの飲食店をあまりつくらない方なので、出来の悪かった会社員時代に無為に入り浸ったその店の印象は強い。その後、別の仕事で九州に戻った後も、小倉に車で出かけたときには、アパートとこの喫茶店の近くに立ち寄って懐かしんだりした。

今から15年ほど前、北九州で7人もの人間が殺された監禁殺人事件がニュースになったときに、かつて自分が住んでいた街の事件なのに、それがどこなのか気にならなかったのは我ながら不思議だ。世間を騒がす事件への好奇心は強い方だからだ。親族同志で殺し合わせるという凄惨さに顔を背けていたのかもしれない。

ところが、最近ほんの偶然から、あの喫茶店のビルが監禁殺人の舞台だったことに気づいて心底驚いた。なるほど文庫化されたノンフィクションの表紙には、あの小さなビルが写っている。

正月に小倉まで長男を送った帰り、あらためてそのあたりに立ち寄ってみた。30年以上前に住んだアパートは路地の奥に健在だった。タバコ屋は営業を止めていて、向かいのラブホテルは大きなマンションに建て替わっていたが、古いビルはそのままだ。5階建てで各階4戸程の規模だが、事件の影響からか入居者の気配がない。1階の喫茶店はずいぶん前に店が変わっているが、それも閉店したようだ。僕が毎週のように通っていた頃と事件とは10年以上の隔たりがある。さらにそれから15年。濃密な青春の思い出と、事件の記憶と、現在の風景がうまく混じり合わないで、なんだか変な気持ちになった。