大井川通信

大井川あたりの事ども

博多一家四人殺害事件(事件の現場3)

大井川周辺の聞き取りでも、何らかの事件や事故に関連して、その供養のためにまつられた石仏やホコラの話が何件もでてくる。旅の人間が行き倒れになった場所に不動さんをまつったとか、殺人のたたりから子孫を守るための地蔵とか、雷に打たれて人が亡くなった供養でまつった笠仏などの話だ。民話集にあるようなストーリーだが、どれも正式に記録などされてはいなくて、かろうじて少数の人が伝え聞いているものだ。

少し前に、神々は外部への情報端末ではないか、と書いたが、神仏が人工的に作った異界とのアクセスポイントであるなら、事件の現場とは、日常に無理やりこじ開けられた外部への穴であり、異界へ通じる亀裂だろう。その穴や亀裂にとりあえずフタをして、定期的な祭礼でメンテナンスするために神仏という装置が利用されたわけである。

ところが現代では、たいていの事故や事件の現場は何の処置もされずに、亀裂や穴はそのまま放置される。何もせずとも、絶えず更新される流動化した日常が、難なくその場所を修復してしまうと考えているのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。

ネット上にあげられた事件現場のレポートを見てみると、同じ現場に何度も足を運んで写真を撮っている人がいる。悪趣味だと思う人が多いかもしれないが、放置されたままの日常の亀裂にひきつけられて、その場所を記録せずにはいられないという心理の根底には、昔の人が事件や事故を手厚く供養したのと同じ思いがあるような気がする。実際に事件の現場を訪れて感じるのは、その土地が大きく均衡を欠いているにもかかわらず、バランスを回復する方途がないという感覚だ。

表題の事件は、2003年に、中国人留学生3人によって、夫婦と二人の幼い子どもが自宅で殺害されて博多湾に遺棄されたという事件である。交通量の多い国道3号から一本入っただけの路地の小さな敷地の二階屋は、事件後まもなく取り壊されて平地となっていたが、最近隣の区画と合わせてアパートに建て替えられて、すでに入居者がいるようだ。勝手な思い込みだろうが、この土地が負った傷はあまりに深く、うかつに目を離すことを許さないような力がある。