大井川通信

大井川あたりの事ども

闖入者ミソサザイ

芭蕉の門人に野沢凡兆(1640-1714)という人がいる。才能豊かだったが、師を離れ不幸な晩年を送ったらしい。学生の頃、凡兆が気になって、大学図書館から戦前出版された全句集を借り出したことがある。その時全頁をコピーして紐で閉じたものが手元に残っていて、今でも何句かは暗唱することができる。そのうちの一句。

「身ひとつを里に来鳴くかみそさざい」

ミソサザイを実際に見たのは、この土地で鳥見を始めてからだ。渓流が近い林の斜面の藪のなかで、チッチッと短く鳴きながら移動する。単独で生活し、早春には、平地の里でも美しいさえずりが聞くことができる。そういう生態を、凡兆がよくとらえているのに気づいた。

今朝も氷点下の冷え込みで、林に囲まれた職場の建物に、「身ひとつ」で小鳥が紛れ込んできた。スズメよりずっと小さい。全身こげ茶色で、細かいまだら模様が見える。眉がやや白いところまで、間近く観察できたのだが、すぐにミソサザイと気づかなかったのは、短い尾をくの字に立てる得意のポーズが見られなかったためだ。やはり、明るい会議室では勝手が違ってとまどったのだろう。やがて窓から、凍てつく林に帰っていった。