大井川通信

大井川あたりの事ども

芥川と凡兆

ミソサザイとの出会いから、野沢凡兆という俳人を思い出した。芭蕉の一門人である彼を、どうして知るようになったのか。すると、芥川龍之介のことに思い当った。大学の前半くらいまでは、僕は古風な文学少年だったので、地元の図書館で芥川や泉鏡花の全集などを借り出して、パラパラめくっていたのを覚えている。特に才人だった芥川にはあこがれを持っていて、たしか凡兆についても彼の文章で教えられたのだ。調べると、『凡兆に就いて』という短いエッセイがある。そこで芥川は、凡兆の句を「非常に鋭い頭」「犀利な趣き」と評価して、数句を引いている。いずれも深い詩情があるわけではないが、芥川好みの鋭利な神経が感じられる。

「物の音ひとり倒るる案山子かな」「捨舟のうちそとこほる入江かな」

ところで、僕がかつて大学図書館でコピーした高木蒼梧著の『凡兆俳句全集』に大正15年6月の日付があり、芥川のエッセイは同年の11月発行の俳句雑誌に発表されている。おそらく芥川も同じ本を手にとっていたのではないか、と今回気づいた。全集といっても薄い文庫本程度の本なので、ざっと通読してみる。

「ながながと川一筋や雪の原」「重なるや雪のある山ただの山」

今日は、この地域では珍しく雪が積もった日なので、印象鮮明な雪の句を二つ引いてみた。一番気に入ったのは、春のお寺を詠んだ次の句である。枢(くるる)とは門の鍵のこと。それを僧侶が順番に閉めていく大きな伽藍の夕暮れの様子。三好達治の近代詩の感覚にも通じる叙景だ。

「花散るや伽藍の枢(くるる)おとしゆく」