大井川通信

大井川あたりの事ども

本の話

先日テレビをながめていたら、ある書店員の日常が映されていた。本屋大賞の運営に関わるようなカリスマ店員のようだ。しかし彼女の自室には、小さな本棚しかなく、読んだ順番に乱雑に並べているだけだった。しかも本の山が雪崩を起こしたら、その部分をゴミに出すのだという。古書店に売らない、というのは新刊書店の店員としての何らかのポリシーがあるのかもしれないが、とにかく書物の扱いがぞんざいなのが気になった。

読めば頭に入っているから、とその店員さんは言っていたが、紙の本を情報の器でしかないと思うのは、今の時代では普通の感覚なのかもしれない。もはや本好きということが、本を大事にあつかうこととイコールでなくなったのだ。かつては本が唯一の情報の貯蔵庫だった。しかし今後ますます、ネットであらゆる情報にアクセスできるようになるだろう。そうすると、読まない本を手元に置いておく、という行為が無意味になる。

とりあえず将来のために、情報へのアクセス権をキープするために本を買う、ということがなくなってしまえば、書籍のマーケットは確実に小さくなる。と同時に、今の自分にとっての必要性という視点だけで本を買うようになるだろう。これは、商品の購買としては、まことに当たり前の態度だとはいえる。

かつては、将来の自分の成長の可能性に期待して、必ずしも今必要でない本も購入するのが普通だった。すると、自分の蔵書は、現在の自分にとってハードルの高い本で構成されるようになり、蔵書を手に取ることが自分の成長を促すという仕組みができあがる。まだ読んでいない本には、どんな知恵が隠されているのかわからない。こうして、本をいわば物神として崇拝する態度が維持されてきたのだろう。本をまたぐのさえはばかられる、というふうに。

そんなわけで僕の書棚には数十年間未読の本が並び、考える種には事欠かない状態である。