大井川通信

大井川あたりの事ども

ある訃報

石牟礼道子さんが亡くなった。水俣病を告発し支援し続けた作家として、地元の新聞では一面トップと社会面で特大の扱いをしている。僕は『苦海浄土』すら読んでいないし、高群逸子を扱ったシンポジウムで、上野千鶴子らと登壇している姿を見たことがあるくらいだ。ただ、ことさら大きな訃報の扱いは、石牟礼さん自身の思想にもかなっていないように思えた。東京で闘病を続ける、彼女と同世代の僕の母親のことが頭にあったからかもしれない。

僕が住む近所に、石牟礼さんと同じ「サークル村」出身の作家が住んでいる。近年著作集が編まれたくらいで、仕事の評価は高い。数年前、散歩の途中でお会いして挨拶をしたら招かれて、そのままご自宅で話を伺ったこともある。ただその時も、その出来事をことさらに大きなものとして扱いたくはなかった。当時は、紙の大井川通信を発行していて、数部を友人に郵送していたのだが、近所でちょっと変わり者で有名なおばさんに声をかけられたエピソードと並べて、まったく同じように紹介した記憶がある。

実際、土地を中心に見ると、人間というものは誰もが等しくその上でよたよたと生きて、やがて死んでいく存在に過ぎない。遠方から望遠レンズを向けるから、特別な偶像が生み出され一人歩きを始めてしまうのだろう。

昼休みに、そんなことを考えながら散歩をしていると、河口の対岸でトビが奇妙な振る舞いを繰り返しているのが気になった。水面近くまで降りて、足先を水につけて何かをつかむと、飛びながらそれを食べている。橋を渡って確認すると、水面に誰かがまいたビスケットが浮かんでいたので、何だかがっかりした。しかしそれも双眼鏡で彼らの生活を盗みみる人間の勝手な言い草だろう。河口から海岸に回ると、浜辺にはたくさんのハリセンボンが打ち上げられていて、さっそくカラスの群がそれをねらっていた。