大井川通信

大井川あたりの事ども

事ども、のこと

このブログの説明に、大井川あたりの事ども、と書いている。大井川と言っても、あの大井川ではなく、ネットの検索でも出てこないような、小さな河川の支流のことだ。そのあたりの事ども。しかし、事など、でいいところ、なぜこんな気取った言い回しをしてしまうのか。これには、小学校で刻印された原体験がある。

小学校高学年での同級生に、S君がいた。彼は本当の秀才で、並の優等生だった僕には脅威だった。宿題が終わってやることがない、と言った僕に、勉強することはいくらでも自分で見つけられるんだよ、と彼が諭してくれた言葉は、ずっと耳に残っている。彼は名門の私立中学に進学したのだが、彼が小学校の卒業文集に残した文の題名が、たしか「校舎のことども」だったのだ。建て替えられた木造校舎の思い出をつづったものだが、僕たちは「ことども」という聞いたこともない言葉に強い衝撃を受けた。

もうだいぶ前だが、その時の級友の一人のブログの表題に、「ことども」が使ってあるのを見つけ、ひそかに共感した。彼もおそらく僕と同じように、S君へのコンプレックスを長く持ち続けているのだろう。

ところで、その卒業文集に、僕は、自宅の裏の原っぱでコウモリを見つけたエピソードをのせている。ほぼ全員が、修学旅行などの思い出を書いている中で、学校生活とまったく関係ない身辺雑記を書いていたのだ。今思えば、すでに「積極奇異」ぶりを見せていたのだろう。

S君は今でもなぜか、僕の誕生日にきまって電話をくれたりする。もしかしたら、彼のほうでも僕の発揮していた「積極奇異」の行方が、多少気になっているのかもしれない。