大井川通信

大井川あたりの事ども

大井川歩きで山城に登る

穏やかな日差しに誘われて、久しぶりに大井川歩き。天候やら用事やらで地元を歩くのはだいぶ間があいてしまった。歩くとまちがいなく楽しくいろいろ発見もあるので、これからはできるだけ毎週歩こうと、あらためて思った。

ダムで見慣れぬ大きな水鳥をみつけ、スケッチするが、あとでありふれたカワウであることに気付く。やはりだいぶカンが鈍っている。カモ類やバンやカイツブリが、広い水面で日向ぼっこ。平和な風景だ。大井の枝村を過ぎて、冠(かむり)という山あいの集落を目指す。途中、ウォーキングの二人連れと、畑仕事のおじさんと挨拶。天気がいいことを一言添える。しかし、それ以上話題は振れず。カンがやはり鈍っているか。

冠には、中世の山城跡と熊野神社がある。ロープにつかまって急な山道を登る。頂上付近で、熊野神社を開いた法師が入定した(生き仏となった)場所という説明板がある。このため、後に弥勒山とも呼ばれたそうだ。大井の里山にもミロク様の石祠がまつられている。宮田登の『ミロク信仰の研究』が読みかけだったのを、思い出す。標高160メートルばかりの狭い頂上は、三方が切り立った斜面であり、尾根伝いは「堀切」を掘って守られていて、いかにも山城にふさわしいロケーションだ。ここからは海と島々が見渡せる。振り返ると、我が家の方向の街並みが遠望できる。

熊野神社では、ウォーキングのおばさんと話をする。地元ではなく隣町の住宅街の人だったが、四国の松山や小倉を経て、この土地に来たそうだ。近辺の見どころの情報交換をする。神社の鳥居は、古い鳥居をコンクリと鉄筋でおおって補強したものだが、18世紀初めの「元文」の年号が刻みなおしてある。昨夏から始めた元号ビンゴの観点では、初出のものだ。

隣接して開発された県営住宅との境に、「千鳥様」のホコラがある。熊野神社の神官だった姫が、恋に破れて身を投げたという言い伝えがあるのだそうだ。我が身を犠牲にして仏となった高僧の伝説と、悲恋のお姫様の伝説。映画も小説もなかった時代の人々にとっては、教訓や娯楽として貴重な物語だったのではないのか。てくてく坂を下りながら、そんなことを考える。この反芻する時間が大井川歩きの妙味。

庭先の紅白の梅が美しい。電線にホオジロが止まるが、まださえずりは聞かれない。ほの暗いやぶの中に、黄色いミカンがなっているのかとおもったら、目元の黒いアオジの丸いお腹だった。