大井川通信

大井川あたりの事ども

千差万別

村瀬孝生さんによると、時間と空間の見当を徐々に失っていくのは、人にとってごく自然な過程ということになるが、ブログの文章を書くというのは、ささやかなそれへの抵抗という側面がある。住み慣れた住居が、その人の日常生活の時間と空間を血肉化したものだとすれば、生活全般にわたって書き込んだ文章群も、その人の精神生活を秩序立て、血肉化したものといえるかもしれない。

どういう言葉を使うか、という点でも、自分の内に自然に浮かんでくる言葉の意味を確かめて、自分の語彙として再度定着させる作業のようなものだろう。だから、できるだけわかりやすくと心掛けながら、愛着の感じられる言葉や漢字についてはあえて使用しているところがある。

千差万別という言葉を使おうとして、変換できないので戸惑った。文字づらを思い浮かべて、「せんさまんべつ」と入力していたのだ。どう考えても「せんさまんべつ」だろう。しかし気になって調べると「せんさばんべつ」が正しい読みだと知って、不思議な気持ちになった。万を「ばん」と読むのは変だし、実際に口に出しても、「せんさまんべつ」の方が自然な気がする。何より多少は言葉に敏感なはずの自分が、こんな読み間違いをしているというのが、思い上がりのようだが腑に落ちなかった。

しかし、何回か口に出してるうちに、音としては「せんさばんべつ」の方が自然であること、「せんさまんべつ」にははっきりと違和感があることがわかってくる。時間をかけて、じわじわと感覚がよみがえってくる感じなのが面白かった。

たぶん視覚情報と聴覚情報では記憶される場所が通常は別にあって、読むことが優位な生活の中では、視覚のイメージが、聴覚の記憶を引き出すのを妨害している、ということなのだろうか。

ところで、千差万別を何度も口にしているうちに、こんな言葉が思い浮かんだ。千客万来。こちらは、どう転んでも、せんきゃくばんらい、だ。すると、僕らの世代ではとりわけ懐かしい、万博(万国博覧会)「ばんぱく」が、次には万国旗「ばんこくき」までひらめきだした。