大井川通信

大井川あたりの事ども

霞が関ビル誕生50年

日本で初めて高さ100メートルを超えた「霞が関ビル」が、この4月で完成から50年を迎えたそうだ。僕がちょうど小学校に入学した年の完成になるが、それならちょうど記憶にあう。

日本で初めての高層ビルのことは、当時たいへんな話題になっていた。東京郊外の国立の街は碁盤の目のような区画だから、南に伸びる通学路を歩くと、東西に走る道との交差点をいくつか渡らないといけない。その一つから西の方角に顔を向けると、道の突き当りに白い大きなビルが見えた。隣町のビルだったけれど、僕は、それを霞が関ビルと思い込んで、毎日見るのを楽しみにしていたのだ。方角は正しいが、数十キロメートル先にある本物が見えるはずはないのに。

なぜ、そんなことを覚えているのだろうか。多分、家族や友達に話して、笑われて恥ずかしい思いをしたか、真相を知ってがっかりしたためだろう。失敗談は、手術中うっかり置き忘れたメスのように体内に残り続ける。

やはり、小学校の低学年の頃、市議会議員選挙で町中が騒然としているとき、宣伝カーを追いかけて候補者の調査をしたことがある。それを得意になって家族にひろうしたのだが、「おだたら・はりく」という名前に、親がひっかかった。

宣伝カーの看板の横書きの平仮名を、逆に読んでしまったのだ。正解は、くりはら・ただお。おそらく、その後何度も家族に笑い話として取り上げられたのだと思う。いまでは、もちろん当時の市議会議員の名前は一人も記憶に残っていない。ただし、「おだたら・はりく」の名前だけは、僕は今後もずっと忘れることはないだろう。