大井川通信

大井川あたりの事ども

『木馬は廻る』 江戸川乱歩 1926

読書会で、この作品の入った短編集(創元推理文庫『人でなしの恋』)を読む。

浅草木馬館(メリーゴーランド)の初老のラッパ吹きが主人公。貧しく気苦労の多い家庭生活と、木馬館での仕事に打ち込む自負心。同僚の切符切りの娘への愛情にひと時の慰安を得ている。若い男が娘に渡した恋文で、彼の日常は嫉妬にかき乱されるが、実はそれが刑事に追われたスリがやむなく手放した給料袋だった、という部分だけが推理小説仕立てだ。給料袋の大金を手に入れて逡巡するものの、最後はやけになって、娘らとともに回転木馬に乗り込んでひと騒ぎする。庶民の哀歓が密度濃く描かれていて、他の作品と一線を画している。なお、乱歩は、この作品の5年後に、朔太郎といっしょに浅草の木馬に乗ったそうだ。

短編集では、多くの作品で、主人公がこの世を「退屈」であると感じていて、そこから強い「刺激」を求める、という筋立てになっている。そして自ら求めた「刺激」が、『一人二役』のように格好の娯楽になる場合もあれば、『覆面の舞踏者』のように悲劇におわる場合もある。この時代、探偵小説自体が、「退屈」な読者に、手を変え品を変えて新しい「刺激」を提供するものとして登場したのだろう。

ところで、この「退屈」という感情がベースの時代は、果たして今につながっているのだろうか。ごく近年、ネットへの接続によって「刺激」が常態であり「退屈」がむしろ貴重である時代へと大きく変質してしまった気がするのだが。