大井川通信

大井川あたりの事ども

石炭ケーブルカー

「よいことを聞かれた」と、ハツヨさんの口ぶりがいっそう元気になる。僕がふと思いついて、石炭を運ぶケーブルカーのことを知らないか尋ねてみたときだ。

隣村からの往還(道)の上を、ケーブルカーが通っていて、その車輪がぐるぐる回っていたそうだ。石炭が落ちることがあって、頭をケガする人もいた。だからハツヨさんが子どもの頃は、ケーブルの下を走って通り抜けたという。歯が二本の下駄ばきだから、走るのも大変だった。

町史で調べると、この空中ケーブルは、池田炭鉱から駅までの四キロメートル半を結んでいた。貨車一つに180キログラムの石炭を積み、時速6キロ余りの速度で運搬するという、地方には珍しい大仕掛けのものだった。大正8年(1919年)に開通して、昭和11年(1936年)まで操業していたというから、当時5歳のハツヨさんは、のどかな村に突如鉄塔が並び、次々に石炭を積んだ貨車が吊るされていく姿に、きっと目を見張ったことだろう。23歳で他県にお嫁に行く頃まで、村のなじみの風景だったはずだ。

いたずらで石炭を落とす人や、途中で盗む人もいた。そんなときは駅に着く前に、石炭がのうなってしまった、とハツヨさんはさもおかしそうに話してくれた。