大井川通信

大井川あたりの事ども

『現代思想のキイ・ワード』 今村仁司 1985

5月5日は恩師の今村先生の命日なので、追悼で何か読もうとして、一番手軽そうな新書を手にとってみた。社会人2年目に出版と同時に読んでから、読み通すのはおそらく30数年ぶりになる。しかし、手軽と思ったのは大間違いだった。

当時流行していた「現代思想」の用語集の体裁をとっているが、それはほんのきっかけであり、今村思想に大胆に踏み込んだ内容が目立つ。今から読み直すと、その後20年間の研究生活で死の直前まで考え抜いた根本の問題が、しっかり問われている。もちろん当時の僕は、他の多くの読者とともにそんな部分は読み飛ばしていて、ドゥルーズデリダフーコーの名前が出てくることで、満足していたのだろう。

今村先生は、死の直前に体系書『社会性の哲学』(2007)を著して、それを「存在の贈与論的構造」から説き起こすが、端緒の「根源分割」として人間のアイデアは、この小著の中にすでに書き記されている。

また、晩年、仏教(清澤満之研究)に寄り道してまで追究した終生のテーマである「暴力の発現を抑制する倫理」の探究についても、自らの今後の仕事として宣言されており、そのためのユートピア思想の紹介に一番多くのページが割かれている。

今村先生は、哲学研究から出発した人ではなく、マルクスと社会批判への関心から思索を開始した人だった。だから、現代思想を扱っていても、決してスマートではない無骨な思考の手触りがあって、そこに学生たちを考えることを誘う力があったのだと思う。

今回再読して勇気づけられたのは、こんな部分だ。伝統的な一元論的思考を批判すると称して、「多様性」と「関係」を持ち出しても、それは一元論からの借り物であって、影によって本体を批判するむなしさがつきまとう。だから取るべき道はただひとつしかない。「さしあたり多様性や関係という言葉を借りて語るけれども、これらの言葉がかすかに指示している現象や経験をあるがままに描写し考えぬくこと、これである」

マルクス生誕200年のニュースで、今村先生の命日がマルクスの誕生日であることを初めて知る。偶然とはいえ、生涯マルクスにこだわった先生らしい因縁だ。