大井川通信

大井川あたりの事ども

あるアイドルの話

妻からファンだと聞いていたのは、草川祐馬(1959-)というアイドルだった。ファンクラブにも入り、博多でコンサートにも行ったらしい。西城秀樹のものまねをきっかけにスカウトされて、1975年に歌手デビューをする。1978年に病気で一時休業した後、俳優として今も活動している人だ。

その話を初めて聞いたときに、おやっと思った。草川祐馬は、一時、僕の実家の近所に住んでいたからだ。国立の市街地は、碁盤の目のように区画された造成地だが、僕が生まれた頃は、ところどころ雑木林や大きな空き地が残っていた。近所の四つ角にも、公園くらいの広い空き地があって、正月にはたこあげをしたりした。そこも小学生の内には、何軒かの家で埋め尽くされたが、その中にひときわ立派な作りの家があった。

そこが芸能プロダクションの社長の家で、草川祐馬という芸能人が住み込みでいることは、いつのまにかうわさになっていた。ネットでみると、地元の中学に3年の途中で転校してきたようだ。僕は、家の前の道でバイクにまたがっている姿を何となく覚えているので、高校生までそこにいたのだと思う。実家からは、道沿いに三軒隣りという至近距離だ。その話をすると、なにより妻が驚いた。なんといってもあこがれのアイドルが、結婚相手のご近所さんだったわけだから。

「世間の狭さ」には、何度となく驚かされてきた。しかし、それが理論的な問いの対象になること、そして、そのことに「社会」を組みかえる可能性が秘められていることを教えられたのは、昨年、東浩紀の本によってである。だから、ちょっと下世話なエピソードを書きとめてみた。