大井川通信

大井川あたりの事ども

たまり場の記憶

たまり場「かっちぇて」が一時お休みするそうだ。けんちきさんとかおるこさんには、今年の一月にお話しをうかがって、先月には二人の不在時に「かっちぇて」のある坂段を訪問している。3年間開いてきた自宅でのたまり場を、さりげなく休止する。何かを終わらせ、何かをつなげて、何かを始める。自分たちの感覚と話し合いをなにより大切にする二人らしい。

僕も、大学時代、地元の公民館のたまり場に通っていた。青年室という部屋で、年齢が上の「障害」を持つ人を含む社会人の先輩たちと、成人式をきっかけに集まった地元の学生たちが主なメンバーで、大学の帰りなどに無意味に入り浸っていた。先輩たちが「障害を越えてともに自立する会」を作っていて、青年室の隣で、職業訓練と交流を目的としたカフェを始めていたから、自然とその活動に加わったりもしたが、立ち上げを知らなかったためか、さほど熱心でもなかった。ただ、常連の先輩たちとは仲良くなり、誕生日会に自宅に呼ばれたりもした。

今、次男が特別支援学校を卒業してから、勤務先と自宅とを往復するだけの生活になりがちだから、35年前のあの場所の意味が、あらためてわかるようになった。次男が仕事の帰りや休日に、地元の若者と友達づきあいできる場所が、果たして身近にあるだろうか。

公民館にあるおかげか、青年室とカフェは当時と変わらない姿で地元に残っていて、久しぶりに顔を出すと、当時とおなじように学生たちがそこにたまっている。35年前の経験者といえば、僕が学生の時代だったら、戦争中の人間がいきなり姿を現して来たようなものだ。僕は、自己紹介して、「青年室で無為にだらだらと過ごした時間が、あとになってとても貴重に思えます」と話すと、若い学生は、ちいさくうなづいてくれた。

いまは、たまり場や居場所というものが脚光を浴びるようになったけれど、「たまる」場所とは、本来、自分をもてあましたあげく、どうしようもなく引き寄せられるような、少しうしろめたい場所なのだと思う。だから、そこにいてただ座っているだけの人間が、はじかれることなく存在を認められるのだ。

そういう場所を体験することは、もしかしたら、その人の心の中のくらがりに、穏やかに他人と同居できる空間を開くことにつながるのかもしれない。