大井川通信

大井川あたりの事ども

私と鳥とお年寄りと

先日、若い友人の教師が遊びにきてくれた。今、何をしているのか聞かれたので、お年寄りと話すようにしている、と答えた。その流れで、かなり適当な理屈だけど、こんな話をした。子どもはかわいい。子どもには未来がある。子どもは教えたことをタオルみたいに吸収する。大人の思惑を超える振る舞いで驚かせてもくれる。ひょっとしたら、思い出や感謝の気持ちをもち続けてくれるかもしれない。

お年寄りとつきあうことは、たぶんのその正反対の事だ。聞き書きで、その人しか知らない昔話を聞いて、それを簡単な絵本にして、手渡す。読んでもらう。それは、そこで完結する。未来なんてない。聞き書きができれば、何かは残るだろうが、もうそういうこともできない人も多い。

今日、仕事の帰りに、お年寄りたちが暮らしをする家に立ち寄って、いろいろ忘れてしまっているみたいな人と話をした。しかし、ほんの少しでも思い出す喜びがあるのは、だれもいっしょだ。縁側からの風が気持ちがいいことと、今住んでいる家がとてもいいところだ、という話もできる。

少しくらい会話が難しくとも、僕のことがよくわからなくて、すぐに話したことを忘れてしまったとしても、気にならないのはなぜなのだろう。帰り道に、きっと鳥が好きで、ながく鳥を暮らしの友として生きているからだろうと、思い当った。野鳥は、僕のことに関心などもっていないし、直接何かを与えてくれるわけではない。でも、彼らが存在する様子と気配が、何より心強くうれしいのだ。