大井川通信

大井川あたりの事ども

挺身隊の思い出

母は、終戦前の一年ばかり、千葉の軍需工場で、女子挺身隊として働いていた。三菱の軍用機を作っていて、完成するとみんなで機体を送り出したそうだ。勤務期間中に、工場の疎開も経験している。

同僚なのか兵士だったのかは聞きもらしたが、地方出身の若い男の人と、地元の友だちとでグループ交際みたいなことをしていたらしい。母の地元の東金の八鶴湖(はっかっこ)は、今でも桜の名所だが、当時、工場の休みの日に、みんなで花見に出かけたそうだ。母の実家は、街中の畳屋だが、家が汚くて恥ずかしいから、店の前の道を通らないように案内したというのが、みえっぱりなところもある母親らしい。

相手の二人の名前を覚えていて、そのうちの一人は、北海道出身でかわいらしい顔をしていたと懐かしそうだ。母親も16歳。あの頃が、一番楽しかった、と話してくれた。
 
今日は母親の納骨の日だった。高台の見晴らしのいい霊園に、母の遺骨を納めた。楽しい思い出とともに、旅立ってくれたらと願う。