大井川通信

大井川あたりの事ども

『弟子』 中島敦 1943

母親の法要で実家に帰省した時、亡くなった父親の書棚から借りて読んだ本。中島敦(1909-1942)の自筆原稿をそのままの大きさで復刻したもので、古い原稿用紙をそのまま読むような不思議な感覚を味わえた。父親は以前、代表作『李陵』の自筆原稿版も所有していたと記憶する。小説の蔵書はあまり多くなかった父親だが、どうしてそれほど中島敦が好きだったのだろう。本人に聞く機会はなかった。

父が亡くなった時、引き出しの底に原稿用紙が一枚あって、達者な書体で散文詩のようなものが書きつけてある。書き物も好きだった父だったが、他はすべて処分してあって、偶然か故意かこれだけが残されていた。内容的に、父の創作とも思えない。ふと思い立って蔵書の『中島敦全集』をめくると、(何かに導かれたとしか思えない偶然なのだが)『光と風と夢』の一節を書き写したものであることに気づいた。引用部分は、主人公が南洋の道を歩きながら、「私とは何か」という問いに激しくとらえられる場面である。

『弟子』でも、小説の叙述をはみ出すようにして、「なぜ善ではなく悪がはびこるのか」という主人公子路の問いを正面から問いかける場面がある。わずかに読んだ範囲内でも、中島敦には、小手先の論理や時代の気分からではなく、この世界の原理について、根本を問う姿勢があったような気がする。父親は、その部分にひかれていたのかもしれない。そう考えると、父の関心のありかが、意外と今の自分と近いようにも思えるのだ。