大井川通信

大井川あたりの事ども

柄谷行人のこと

社会人になって二年目の長男と電話で話をした。息子は、父親が金曜日の夜にあんなに機嫌が良かった理由がわかった、という。日曜日の午後になると憂鬱になるよね。月曜になってしまえば、その気になれるのだけど。そうそう、と勤め人として共感しながら、だらだらと話をする。

読書好きだった息子は、今でも本を読んでいるという。しかし、学生時代に夢中になった思想や論理が、社会に出てすっかり色あせてしまうという経験はきっとしているはずだ。ぼくも、仕事をするようになって、思想の言葉の無力さにがっかりした経験を持っている。それでも本を読み続けることができたのは、評論家柄谷行人のおかげかもしれない、と思い当る。

学生時代、柄谷はすでにスター思想家だったが、僕自身はとくに柄谷が好きというわけではなかった。ただ、就職して、忙しい仕事の合間に目を通すようになって、多くの思想書が輝きを失ってしまう中で、柄谷の本だけが、リアリティを持ち続けているように思えたのだ。たとえば、こんな部分。

 

「私はこう思っている。『外国文学』をやらねばならぬ。というより、一ヶ国語でも『外国語』をやらねばならぬ。文学とか文化の差異などというのは、あるいは『他者』などというのは、体裁のいい概念にすぎない。リアルなものは言語だけである。相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして『制度』というものはわからない」(『隠喩としての建築』1983  281頁)

 

なれない会社員生活で、叱り飛ばされ、文字通りへとへとになりながらも、それがリアルな他者や制度と向き合う道なのだと、柄谷の言葉を読み替えることで、自分を励ましていたような気がする。

息子にそんな話をしながら、今の若い人にとってそういう書き手はいるのだろうか、と考えたりした。