大井川通信

大井川あたりの事ども

ふたたび、柄谷行人のこと

七月のうちから猛暑日がえんえんと続いたり、台風が東海地方から新幹線の下りに乗るみたいに逆走してきたり、と今まで経験したことのない異常気象が続いている。そのせいか、頭がボーっとして書く意欲がわかない。昨日の流れで、柄谷行人の小ネタで、お茶をにごすことにしよう。

柄谷の本を始めて買ったのは、大学4年の秋(正式な就職内定日のあと)だったから、在学中は柄谷にはむしろ冷淡な方だった。古書店で手に入れた『マルクスその可能性の中心』(1978)には83年10月18日のメモがある。それ以前、キャンパスに柄谷の講演会の看板がかかっていたときにも、別の用事で参加しなかった記憶がある。

しかし、そのマルクス論は、当時の僕には驚くべきものだった。大学一年で習うマルクス経済学の基礎は、ざっくりいうと、こういうことだ。労働者の労働は、市場価値以上のものを生み出す。それが剰余価値で、資本家は市場取引によって、本来の持ち主からそれを奪っている。僕は、この搾取という不正義が左翼の主張の正しさの根拠であることを知って、それが意外に簡単な理屈であることに驚いた。

柄谷の小ぶりなマルクス論は、この剰余価値の発生を、搾取からではなく、二つの価値体系の差異から説明する。遠隔交易が、外国で安いものを買ってきて、それを本国で高く売って利益を得るのと同じように、資本家は、安い労働力や原材料を調達し、それを効率的に組み合わせて生産することで、いわば価値体系の差異を自国内に作りだすことで、高く売って利益を得ているのだ。

この読み替えは、僕がそれまで触れた思考の中で、一番鮮やかで見事なものに映った。それが、ただの流行思想家と思っていた柄谷への見方を変えるきっかけになったのだと思う。

しかし、この話には続きがある。僕は、最初の会社員時代に、この本をいったん手放している。何かのきっかけで柄谷の話をした知人に、この本を譲ったのだ。この本が知人のなかでさらに大きな価値を生むことを、そしてそれが自分に見返りをもたらすことをひそかに期待したのだろう。しかし彼女はやがて不正経理で会社を辞めてしまって、そのあと偶然、彼女が勤務していた営業所のビルの一階に入る古書店で、棚に並ぶこの本を見つけたのだ。僕は泣く泣く、本を買い戻した。

さて今回、話のネタになったことであの時の元を取ったことにしよう。