大井川通信

大井川あたりの事ども

『虫のいろいろ』 尾崎一雄 1948

最近、ようやく虫のカテゴリーを立ち上げて、名前を「虫のいろいろ」にしたので、本家の小説を手にとってみた。短編だが、一部分は読んだ記憶がある。試験問題や副読本で部分的に読んだことがあったのだろうか。

ところで、有名な作品だが、あまり良くなかった。身近な虫を観察したり、ちょっかいを出したり、人づてに聞いた虫の話を勝手に解釈したりするのだが、すべて虫を人間に置き換えて、人間の尺度を虫に押し付けて、ああだこうだといっているのだ。その、寝そべったような、余裕しゃくしゃくで見下ろしている感じが、たまらなく嫌だ。

屋内に住むクモ(おそらくアシダカグモ)は、何かの拍子に窓の隙間に閉じ込められても、冷静に何日でも機会をまって、瞬時に逃れる。不屈で見事な態度だが、自分には性に合わない。力学的には羽が小さすぎて飛べないはずのハチ(おそらくクマバチのこと)は、「飛べないことを知らないから飛べる」(これはかつての俗説)そうだが、この向こう見ずな自信も、自分には及び難い。見世物のために仕込まれたノミは、跳ねることを禁じられた環境に痛めつけられて、すっかり跳ぶことをあきらめた腑抜けだが、これが一番自分に似ている・・・すべてこんな調子だ。

クモもハチもノミも、あなたには一切似ていない。あなたとはまったく無縁の論理によってまったく異質の世界に生きている。期待も、絶望も、自信過剰もない世界で、あなたよりはるかに正確な命を刻んでいる。そのことを、まずは虚心に見なければいけない。驚異の念をもって、言葉をうしなわなければいけない。

小説『虫のいろいろ』は、まるで反面教師のおしゃべりだった。