大井川通信

大井川あたりの事ども

神隠しをめぐって

山口県で2歳の幼児が行方不明になった、というニュースが連日報道されている。家族にとってはとんでもない事件だが、このネタが全国ニュースで報じられるのはどうかと思っていた。ただ、田舎で2日間も見つからないのは、たぶんもうダメだろうと。

それが今日、山中で見つかったとの報道を見て、心底うれしかった。そんな純粋な善なる思いが、我ながらちょっと不思議だったが。こういうとき、よせばいいのにネットニュースのコメント欄をのぞいてしまう。案の定、家族が「目を離した」ことへの説教のあらし。もっともらしい意見を吐き出す脊髄反射

子育てで、100パーセント目を離さないなんてことはありえない。まして、家の中や、その周辺にいるときには。目を離しても、ほとんど子どもはそこにいる。そこにいなくても、目で追えばその辺にいる。見えなくても、周辺を探し回れば、いつもいる場所にいる。探しても見つからないような迷子となるのは、目を離した千回のうち一回もないだろう。そういうレアケースの内、さらに特別に小さな確率で、ニュースになるような悲惨な事故が生じるのだ。

我が家の二人の子どもも、何度か行方不明になりかけたことがある。それぞれ一回ずつは、大きな事故につながっても仕方がない状況だった。たまたま運が良かったから、今生きているのだ。

ところで、山口の事件で子どもを発見したのは、大分から単身やってきた迷子探しの経験のあるボランティアで、「子どもは必ず上へ上へといく」からと、一人で700メートルばかり山を登ったところで短時間で見つけたという。多人数の捜索範囲の外だったのだろう。こういう時の捜索隊は、迷子の行動心理学といったものを指針にしてはいないのだろうか?