大井川通信

大井川あたりの事ども

新しい詩人にも挑戦してみよう

思潮社の現代詩文庫で『三角みづ紀詩集』を読んでみる。以前詩を扱う小さな書店に行ったとき、ちょうど詩人がゲストとして来るイベントの直前で、平積みになっていたので、つきあいで購入したもの。三角みづ紀(1981-)は、僕でもなんとなく名前は知っているくらいだから、詩壇ではすでに有名な詩人なのだろう。このアンソロジーには、2004年の第一詩集と2006年の第二詩集が全編収録してあるので、そこまでを通読して、例のチェックをしてみることにした。

すると、全56篇のうち、〇が8篇、△が15篇という結果になった。「打率」でいうと4割を超えていて、先の三人とは、球界を代表する打者と控え選手くらいの差ができてしまった。しかも、自己流の採点基準は、おのずから厳しくなっている。魅力が部分にとどまっているのが無印、魅力が全体に及んでいるのが△、魅力が全体に貫徹して独自の世界を構築しているのが〇、というふうに。前回までは、魅力が感じられない作品も多かったために、部分的な魅力でも△にしていたかもしれない。

言葉がのびやかで、自在なリズムをうっているから、長い作品もうねるように一気によませてしまう。言葉やイメージの飛躍や結合も、けしてわかりやすくはないのだが、不思議な説得力がある。言葉のすみずみまで彼女の神経がいきわたり体液で満たされているようだ。

以下は、第一詩集の巻頭の詩。はじめから圧倒的なのは、まるで荒川洋治みたいだと思う。

 

私を底辺として。/幾人ものおんなが通過していく/たまに立ち止まることもある/輪郭が歪んでいく、/私は腐敗していく。/きれいな空だ/見たこともない青空だ/涙は蒸発し、/雲になり、/我々を溶かす酸性雨と成る/はじめから終わりまで/首尾一貫している/私は腐敗していく。/どろどろになる/悪臭漂い/君の堆肥となる/君は私を底辺として。/育っていく/そっと太陽に手を伸ばす/腕、崩れる        (「私を底辺として。」)